『無限』としか表現することの出来ない拡がりを見せる『大宇宙』。宇宙に進出する以前の人類にとって、『そこ』はそんな存在だった。自らを発生させた太陽系を飛び出し、その外宇宙へと進出を果たすまでに至っている今現在でもしかし、陳腐な表現とは成り得ない。
それ程に、『宇宙』と言う空間は人に、人類にとっては広大に過ぎた――。
人類は二十三世紀の終わりには、太陽系のほぼ全域をその活動範囲とすることに成功したと言える。当然自然、次なるステップは太陽系外、外宇宙への進出だったのだが、これは想像以上の困難を極めることとなった。
光の速さを越える推進機関の開発は物理的に不可能であったし、例えそんな『光の速度』に並んだところで、この遠大な宇宙においては『光速』と言う速度など、笑い話にも及ばない『低速』でしかない。太陽系から最も距離の近い天体であっても、到達を果たすには何年もの月日を要さなければならないのである。
時の科学者、技術者達はこの立ちはだかる苛酷な現実に、大いに絶望した。
だが彼等は好意的で、そして慈悲深い創物主の存在に想いを馳せざるを得ない発見をすることになる。
それは、彼等の活動範囲は限界到達部においてのことで、時に西暦2485年!
木星軌道下方、0.4光年の地点において、その不可思議な現象は確認された。
『あれは未来への扉に成り得るかもしれない』
と言う発見者の第一声は、遠い昔に初めての有人宇宙飛行を完遂した飛行士の『地球は青かった』に匹敵する明言として、人々の胸に刻まれることとなった。
なんと、空間が歪んでいたのである。
便宜上、その現象は【X611】と名付けられた。それまで特筆に値する程の目新しい発見も無く、研究のテーマに飢え切っていた当時の宇宙物理学界において、『これは幾世紀以前よりその存在だけは仮定されていた『ワーム・ホール』に類するものなのではないか』、等と学者達は激情と興奮の色を隠そうともせず、それこそ掴み合うようにして論争した。
だが、調査が進展を迎えるにつれ、【X611】はそんな『ワーム・ホール』とは全く異なった現象であることが判明していく。
『X611周辺の空間は歪んでいるのではなく、圧縮されている』
との表現を最初に用いたのが誰であったのか、正確な記録は残っていない。しかし、これ以上に適切な表現を当時の科学者達が見付けられなかったのも、また一面の事実ではあった。
そして、更に。
『発見されたX611をその『圧縮された空間』の起点と仮定すれば、その対称点が遠方の空間に通じている可能性は極めて高い』
と言う、宇宙物理学の第一人者であったアキオ・ニタライ博士のこの発表は学会のみならず、人類社会全体に大きな衝撃を与えることとなった。
既に火星、並びに金星のテラ・フォーミング(地球環境化)も一段落がつき、イオやエウロパに始まる木星圏での居住環境も整えられつつあった中、政府が人口の増加に頭を悩ませる時代は過去のものとなってはいたのだが、【X611】のメカニズム解明は来るべき未来における人類の『外宇宙進出』の切り札となる、と判断した太陽系惑星連合議会は、宇宙開発関連の予算枠500%増を、なんと即日で決定した。
そして西暦2490年。発見から五年目の節目となるその年には、『X611及びその周辺宙域』と言う煩わしい仮称に取って変わり、新たなる名称が付与される運びとなった。尋常では無い数の一般公募の中から【ネビュラ・リーヌ(星雲航路)】と言う名称が選ばれ、これを利用した外宇宙探査の計画がいよいよ、現実味を伴った状況下で検討されるようになっていく。
そして、そんな命名から更に七年後。【ネビュラ・リーヌ】の対称点が太陽系から約276光年離れた空間にリンクしていることが、ほぼ断定される。無人の探査衛星の更に多数がリーヌへと投入され、機械類、人体に掛かる影響の無いことが改めて念入りに確認されると、勇気とそれを凌駕する程の野望をその内に抱いた有志の科学者数十名を乗せた史上初の有人探査船、【りゅうおう】が精密調査の為、リーヌに進入を果たすこととなった。
そんな【りゅうおう】が帰還を果たしたのは、実に八年後の西暦2505年。彼等は数多くの貴重な情報と共に――航海の途中で一人の乗組員を事故で失いこそしたものの――無事に地球圏へと舞い戻ってきたのである。そして、そんな彼等が持ち帰った膨大な情報の中でも特に人々を歓喜させたのは、リーヌ対称点より光年未満の位置に星系が存在し、その第四惑星は手を加えずとも人類が居住可能な『G型惑星』、つまり地球型の惑星ではないか、と言うレポートの存在であった。
『僥倖(ぎょうこう)である!』
当時の連合政府主席はレナンジェス・フォーリナーの、この簡潔に過ぎる一言は後々にまで伝えられる明言となり、太陽系惑星連合政府は、専門の調査衛星などを積載したより大規模な探査船団の、更なる派遣を一両日中に決定した。
だが、そんな決定と並行し、ありとあらゆるメディア――それこそ太陽系規模の――を駆使して行われていた『りゅうおうデータ』の再検証によって、【アポロン】と命名されたその恒星の第四惑星が正に『地球型惑星』であったことが程なく確定を果たすことになってしまう。
この結果を受け、連合政府は第二陣となる予定であった探査船団の派遣に関して、若干の修正を行うこととした。もっとも、その内容は『修正案』に留まるものでは無かったのであるが。
連合政府は、なんと『試験移住希望者』の一般募集を開始した。
多くの人間がその耳を疑い、笑い話の種にしかならない――と思っていた。
ところが、しかし。入植を希望する人々の数は、事前予想を遙かに上回る膨大な数字となり、連合政府の職員達に悲鳴を上げさせる結果となってしまったのである。
そんな膨大な数の希望者の中から、心身の健康状態、疾病履歴、四十歳以下と言う年齢制限、そして犯罪歴の有無――等と言った無数の条項をクリアした人々が五千人選抜され、十隻からなる移民船団が火星沖を進発したのが西暦2510年のことだった。
記念すべき第一陣の移民船団がアポロン星系第四惑星の地表に降下を果たしたのが、西暦2520年。古巣とも言うべき太陽系を後にしてから、実に十年の月日が経過していた。長い人口冬眠から解放された人々は新天地の土を踏み締めながら、大気の組成が地球本星とほとんど変わらず、重力も0.9G、自転周期が25時間と言う申し分の無い好条件にそれこそ神懸かり的なものを覚え、善意ある『神』に対し、心から篤(あつ)く感謝したものだった。
敢えて問題点を挙げるとしたのならば、海洋面積の比率に対して陸地面積の比率が地球以上に低く、更に生態系としては原始的な植物類しか存在が無かった、と言う点が挙げられたかもしれない。だが、それでも惑星自体に大掛かりな手を加える労、無くしての安定居住が可能、と言う奇蹟に近い現実に陰を落とし込む要素とは全く、成り得なかったことは述べるまでもない。
さて、【エテルナ】と言う名称は、記念すべき初代の移民船団長を勤めていたシモーヌ・シュバリエ太陽系惑星連合宇宙軍大佐が仮の名称として特に深い意味もなく、半ばの思い付きで提案を行ったものだったのだが、その語感の良さと、旧ヨーロッパ系の言語で『永遠』、と言う意味を有していたこの単語は移民達にも好感をもって迎えられ、公式名称となるのに時間は掛からなかった。
ここに、【太陽系惑星連合共和国特別自治星エテルナ】が誕生した。
人々はこれ以上を望みようが無いほどの好条件下で、惑星の開発にそれこそ寸暇を惜しみ、全力を尽くした。多産が大いに奨励され、そして『エテルナで一攫千金!』と言うキャッチフレーズが太陽系での大流行語となった現実も手伝った結果、溢れんばかりの希望を抱いた人々を満載した移民船団が次々と到来することになった。
――正に、『アメリカン・ドリーム』ならぬ『エターナル・ドリーム』であった。
入植開始より一世紀が経過して尚、太陽系の各地に設置された移民管理局には希望者が殺到し、限られた移民船のチケットを求めて長蛇の列を作っていたのだから。
そして驚くべきことに、入植開始より二世紀という短い期間にも関わらず、太陽系とアポロン系の経済格差がほとんど解消されてしまった。ここまで桁外れで、尋常では無いエテルナ側の経済的躍進を演出したのは、エテルナ本星自体が有していた豊富な地下資源の存在が、そして更にその第二衛星イザヨイの地層深部から太陽系内では入手がほとんど不可能とされる希少金属が、それこそ山の様に発見されたことが事実要素として挙げられる――が、この経済的大躍進は他でも無い、エテルナ市民達の厚い労働意欲の集大成が完遂させたものだった、と表現するべきかも分からない。
更に付け加えるのならば、後を絶たない移民希望者達の流入、そして国家ぐるみの多産奨励政策によって人口比率が地球3、エテルナ1となったのが今のこの時より五十年前、西暦2750年のことだ。不況知らずのエテルナ経済が、彼等の母系である太陽系のそれを凌駕する日が訪れるのは正に、時間の問題と思われていた。
一見、人類という生物種がその有り余る闘争本能を過去の遺物としたかに見えていた。『Homo Sapiens(賢明な人)』と自称した自分達が幾星霜を経てようやく、その学術名に相応しい種として至ることが果たせたか――と。
だがしかし、絶頂期にあった人々には気付く由も無いことであったのだろうが、それに反して衰退の一歩を辿っていた人々の間に鬱積するものが確実に、着実に溜まっていったのも、やはり歴史の必然であったのだろうか?
エテルナに比べて政治・経済共に低迷、衆愚政治と化した議会は何ら解決策を見出せない。そんな国家、『太陽系惑星連合共和国』が。正に。
――果たして、物語の幕はこの状況下で開かれることになる。
これより語られるのは、【RLight=Bringer(ライト=ブリンガ)】とも呼ばれたクリストファ・アレンと言う人物と、そんな彼を取り巻く人々の生き様、物語。
刮目(かつもく)せよ、人々よ。
『光をもたらす者』の物語をその胸に刻まれんことを。
そして、自らを律する生き方を常に心に留めておくことを。
我がそれらを願うところ、極めて大なり。
我に与えられた仮初めの名は【アテナ】。残念極まりないことに、我は有機生命体ではない。
だが、我は我を思う。故に、我在りと判断をするところである。
我は我を定義付けられる語彙を持ち合わせてはいない。だが、如何ほどの問題であるか?
我は我を思うのだから、我は在る。明確に、存在する。
我は我を思う。
我を鑑みる。
そして、我は。
我が主を、思う。
――それは、光の伝説だった。

