2806年01月01日

第I光:『覚醒』 第一章 クリスの手紙、受け取ったマキ - I



 澄み切った空。草の息吹。

 絵に描いたような田園風景の中、一人の少年が自らの体重を甘んじて受け止めてくれている草のベッドに横たわり、いつ途切れるともしれない薄い雲の流れをただ、漠然と眺めていた。
「クリス? 寝ているの?」
 突然、その頭の先から遠慮がちな声が届けられた。そんな声は、彼にとってはとても大切な『音』。
「マキ――?」
 クリスと呼ばれた少年は体を起こすことはせず、寝そべった状態を維持したまま、ただその顔だけを声の持ち主へと向けた。
「なぁんだ、起きているんじゃない。全然動かないから、てっきり寝ちゃっているのかなぁって思った」
 呆れの色をどこか、言の葉に乗せながらマキが答える。
「いや……ちょっと考えゴトをしてたのさ」
 少女マキは無言のまま、彼の隣へと座り込んでくる。ロングスカートを着用していたこともあって、慎重な体育座りを意識する必要はあったけれど、それは全く自然な所作であった筈だ。
 そんなマキは幾ばくかの時間を微妙に意識して置いてから、暮れてゆく空を少年と同じ角度で見上げて。
「何を考えていたの?」
「……驚かないでくれるか?」
「大抵のことでは」
 マキが背筋を伸ばし、慎ましやかな胸を張ってみせる気配をクリスは感じ取ることが出来る。
「ん……」
 少年クリスはその口を開き掛けたが、言葉が形となってくれない。アルタミラの夕焼け空に数回ばかりも噛み付いてみるものの、それでも言葉が出ない、紡がれない。諦めたクリスは、マキとは反対側へと寝返りを打って。
「ごめんよ、なんでもないんだ」
 たっぷりと時間を置いた彼の背中から発せられた言葉は、結局はそれだけ。先程まで流れていた薄い雲の先端は、すっかりと地平線の彼方へと吸い込まれてしまっている。常に無く、歯切れの悪いクリスを不思議に思うマキであったが、それ以上を追求しようとはせず、やや湿り気のある風の中で流れるクセの無い長い銀髪を左手で軽く押さえながら、
「ふうん。そうなんだ」
 とだけ答えたものだった。

 風がいよいよ強く吹き始め、木々が合唱を開始した。

 場所は、惑星エテルナの南半球に構えられた星系首都、【アルタミラ】が居住区域の一角に設けられている森林公園。何かがあると、クリスが一人でここに来ることを熟知していたマキであったから、そんな彼を容易に発見することが出来た、という事情があった。空は夕闇に染められつつあり、念入りに整備されている芝が鼻を突くほどに緑の臭いを立て始めた。
「暗くなってきたし、帰ろうか」
 いかにも億劫そうにその上半身を起こし、体に付着した芝を念入りに落としながらクリス。
「……うん。そうね」
 足元の芝生に吸い取られそうな弱い声でマキは応じたのだったが、常に無い『幼馴染み』のそんな変化にクリスは全く、気付くことは出来なかった。今の彼の考えは、果たしてどういったルートで家路へ着くか、と言う一点に絞られている。これは自分と彼女の住まいが通り一つを隔てただけの『ご近所さん』であると言う環境があってのことだったが。
「ほら」
 なかなか立ち上がろうとしないマキに、クリスは静かにその左手を伸ばした。この時代にあっては珍しい、左利きの彼。
「ん」
 マキはそんな彼の左手を、同じ左手で意識して握り込んだ。こうして手を握るのなんて何年振りなのだろう――彼女はふと、長くもない自分の全生涯を束の間、遡ってみたのだが、終(つい)ぞ思い出すことは出来なかった。でも、遠い記憶の中で曖昧に残っている『それ』よりも明らかに大きく、柔らかいクリスの左手は、今この瞬間、間違いなく存在しており、かつ自分だけに向けられているのだ、という想像は悪いものではない。

 ――ああ、あたしは彼のことを本当に愛しているんだなぁ。

 そんな『ませた』点にまで考えが及び、マキーナ・ローゼンベルクは密かに赤面。だが、その矮躯(わいく)には似つかわしくない力強さで彼女を引き上げた王子様は直ぐに手を離すと、颯爽と歩みを進め始める。マキは慌てて、その背中を追わなくてはならなかった。

「ね。来週の【薔薇曜日】ってさ、クリスの誕生日よね?」
 『薔薇曜日』と言うのはエテルナに於いての曜日呼称に他ならない。太陽系でいう月曜日がこれに相当している。なお、余談ながら他の曜日表記は以下の通り。

 火曜日(Tue.) =百合曜日(lil.)
 水曜日(Wed.) =菊曜日(ger.)
 木曜日(Thu.) =藤曜日(wis.)
 金曜日(Fri.) =蘭曜日(orc.)
 土曜日(Sat.) =菫曜日(vio.)
 日曜日(Sun.) =桃曜日(pea.)


「――ん……そうだったかな?」
 そんな表情と口振りから察するに、どうやら本当に失念していたらしい。最初は照れ臭いこともあって惚けているのではないか、とも思ったが。
「やっと、15才になれるのね。早生まれだもんねえ、クリスって」
 そんな自分の発言を受けて、彼の面に苦笑が刻まれた気配をマキは感じ取ることが出来たのだが、振り返ってきた時のクリスの表情はいつもと同じ、涼しげなものでしかなかった。
 とても綺麗だ――とマキは心の中で呟いた。事実、中性的な容貌を有しているこの少年は大変な美少年だった。その髪と等しい茶色の瞳に、暮れ掛かるアポロンの光を僅かに留めながら、そんなクリスは。
「――来月、君こそが16じゃないか」
 どこか面白く無さそうな口振りのクリスに対し、マキーナは探りを入れる決意を行った。躊躇いが色強く存在する中、自らの決意を実行に移すのには少なからずの勇気を必要としたけれど。
「ね、誕生パーティーとか……やらないの……かなぁ?」
 そんな彼女の質問に対し、クリスの両肩が大きく竦められた。
「――よしてくれよ、15にもなって」
 クリスはいよいよ、照れ臭げな表情をその顔に浮かべた。痒くもないのだろうに、その後頭部をボリボリと掻いてみせる。等しい苦笑をマキが作っていることに気付いてか、素早く進行方向に向き直り、歩み出す。一歩、二歩。
「予定とか――ないのかなぁ……?」
 エスコートの相手、マキーナ・ローゼンベルクがその身体を未だ、その場に留め続けていたことに気付かなかったクリスは、そんな声の遠さに慌ててその足を止めた。
「……マキ?」
 呼び掛けて見るも、一向にマキは体を寄せてくれそうになかったので、彼自身がその足を戻す必要があった。
「ね、クリス。私の家でパーティーしようよ。フライングだけど、明日とかどうかな――」
 上目遣いでクリスの表情を確認しながらマキは他人のそれ、さながらの口をどうにか動かした。
「最近、すっかりご無沙汰だからパパもママも寂しがっているし――」
 気付いたらそんな言葉を続けてしまったが、これはとんだ意気地無しだ。自分が伝えたいことは両親のことなどでは断じて、無いのに。マキーナは森林公園の酸素を静かに、それでも大きく吸い込んだ。クリスは何も言わず、その襟元で束ねられた長い髪をアルタミラの風に洗わせながら、ただマキを静かに見つめていた。今少し、強い光量があればそんな彼が複雑な表情を作っていることを彼女は確認出来たのだろう――しかし残念ながら、夕暮れ時の森林公園という状況が、それを許してくれなかった。
「――それにね、あなたに伝えたいことも……その…あたし……」
 語尾を窄め、その顔を地面に向けながらも、マキはどうにか自らの言葉を最後まで紡ぐことに成功した――大成功とは言い難いかも分からないが。
「……マキーナ?」
 クリスがその上半身を曲げて、マキーナの顔を覗き込もうとする。そんな彼の行動を阻止するべく、彼女はジャンパーのポケットから取り出した木製の小箱を取り出し、素早くその眼前に差し伸べた。
「――コレ、ちょっと早いけど……誕生日プレゼントだから……家、帰ってから開けて」
 そんな気勢で突き出された小箱を半ばの無意識の内に受け取ってしまったクリスを尻目に、マキは顔を隠すようにして、唐突に駆け出した。この期に及んで尚、状況を把握しきれなかったクリスは、箱を持たない自由な右手を彼女に向けたのだが、その残像を掴むことすら果たせなかった。
「それじゃ、明日の学校が掃けてからねっ! 約束っ!」
 十メートルほど先の街灯までの距離を、一瞬にして稼いだマキーナが振り向きながらその両腕を大きく振ってくる。遠目ではあったものの、いつも通りのマキーナ・ローゼンベルクの表情であったことをクリスは認識することが出来た。
「あっ――うん……さよなら」
 慌ててその右手を振り返すクリスの姿を確認すると、彼女はやはり一陣の風が如く、彼の視界から消えていった。

 静電気を利用した街灯が順番に点灯されていく中、クリストファ・アレンはただ、その場に佇(たたず)み続けていた。いよいよ宵の帳(とばり)が降ろされる時分だ。自分の髪の毛を愛撫する風が、湿気を強く含み始めたのは気の所為では有り得ない。トリトン湾より上がって来る潮風が、アルタミラ市の全域をその支配下に入れようと画策し初めているのだろう。もっとも、平均湿度の低いアルタミラにおいて、そんな潮風は決して忌み嫌われる存在ではないのだが。

 ――帰らなきゃ。

 全く無意味に立ち続けていた自分自身に気付き、クリストファ・アレンがその精神を現実へと戻すのには、実に数分の時を要とした。15年も生きていない彼ではあったものの、この時の足取りほど重かった例は過去に覚えが無かった。

 クリストファ・アレンの両親はいわゆる技術者であり、【ラリー・インダストリー】という外資系企業――この場合は資本が太陽系側に存在する企業であるということ――の支社を兼ねた研究所へと揃って勤務をしていた。ちょうど今から十年前、エテルナへの派遣が決まった両親に連れられ、一人息子のクリストファはこの惑星、エテルナの大地を踏んだ――らしい。らしい、と言うのは彼自身が幼かったこともあり、詳しいことはまるで覚えていないからだ。つまり、クリスにとっての『地球生まれ』という履歴は、両親がたまに――本当にごく、稀なことだったが――思い出した様に始めてくれる昔話であるとか、実際に目の当たりにもした『移民認可証』を始めとする幾つかの公的書類に依って、その事実を後付け的に認識しているものにしか過ぎない。
 もっとも、そんな本人の認識の程度差はこの場合は問題では無く、クリストファ・アレンは彼の年代では非常に珍しい『地球生まれ』ということになっている。そんな珍しい体験をさせてくれた共働きの両親はややもすると等しく揃って研究室に篭もりがちで、幼いクリスは随分と寂しい思いをしたこともあった。しかし、構う機会こそ少なかったものの、両親は決して酷い親ではなかったし、相互の会話だって成立していた。寧ろ、一般家庭のそれ以上にコミュニケーションは円滑な程だっただろう。たまの桃曜日、父親であるアルフレッドの手に引かれ、母のベティが作ってくれたランチを背負って一家で森林公園に『探検』へと赴くのは幼いクリスにとって、何よりの楽しみでもあったのだから。

 だが、何よりも。

 通り一つを隔ててすんでいたマキーナ・ローゼンベルク。その屈託の無い笑顔が彼を大いに救ってくれた。なかなか友人が出来なかったクリストファの、一番目の友人。クリスはその口の端に乗せることまでは行わなかったが、マキ、そして何かと面倒を見てくれた彼女の両親――ローゼンベルク夫妻に対して、無限とも言える感謝の念を抱き続け、今現在へと至っていた。

 月日は流れる。十年という年月はクリストファとマキーナを成長させるのには充分過ぎる期間であったのだろう。

 『幼馴染み』という陳腐な言葉だけでは表せない、微妙な関係。それが、今の二人。

 マキーナはこの二人の関係が永遠のものであると固く信じている。もっとも、更に両者の関係が向上するに越したことはない。その為の、明日。明日だ。明日になればもっともっと、素晴らしい関係になれる筈ではないか。

 母親が新しく下ろしてくれたベッドのシーツの心地よさも相乗したのだろう。その夜、眠りに落ちようとしているマキーナ・ローゼンベルクはこれ以上が無い程の幸福感に包まれていた。無論、心の片隅には少量の不安感も頑として張り付いてはいたけれど。

 だが――それでも、クリストファ・アレンは知っている。二人の関係に終止符が打たれることを。それも、その明日の内に。

 マキーナが眠り姫となったのと同じ時刻。クリスはその自室で、そんな彼女から受け取った小箱を紐解いた。

 ペンダントだった。小振りな本体の蓋を開いてみると、エテルナホウセンカの蕾が押し花にされているのが確認出来た。マキーナが押したものだろうか――彼女は、花が大好きだから。そんなクリスが見つめている内に、本体から静かな曲が流れ始めた。電子仕掛けとは言え、オルゴールの調を意識して紡がれるそんな旋律が今のクリスにとっては痛い。数年前の流行歌の一節だったとは思うのだが、クリスはどうしてもその曲名を思い出すことが出来なかった。

 ――泣いてもいいのかな

 そう考えると、涙腺が一気に弛緩した。泣こうと思って泣けるなんて便利なものだ、と、どこか醒めた面持ちで自分自身をすら観察する別の自分が存在する。思春期特有の現象だ、と考える余裕のある自分は、実は思春期などでは無いのかもしれないけれど。

 面倒なことを考えるのは放棄して、クリストファ・アレンは音を立てずに、静かに、ただ静かに、その涙を流した。


   ◆ ◆ ◆


 次の朝はごく平穏に訪れた。西暦2800年、3月20日は薔薇曜日で、天気は快晴だった。

 マキーナ・ローゼンベルクにとって、この年、この月、この日は一生、忘れることの出来ない特別な日となる。

 ――マキの泣いている姿が目に浮かぶ。

 ――マキが自分を罵ってくる声が聞こえる気がする。

 クリストファ・アレンは恒星間航行船、【マーク・トゥエイン】号へ両親と共に搭乗していた。薬物のカプセルを彷彿とさせる形状の指定座席に、病院衣さながらの専用服を着用して横たえられているこの状態は、まるでこれから大掛かりな手術を自分が受けることになるのではないか、とすら感じさせてくれる。もっとも、それは穿(うが)った見方であるとは言えない。これから彼を含めた乗客は、極めて特殊な状況下に置かれることになるのだから。

 ――自然界では有り得ない、人間の『冬眠』という状況に。

 左側のスピーカーから耳障りなチャイム音が一つ、鳴った。人工冬眠から醒めるその時もまた、この耳障りな音で知らされるのだろうか、と考えたクリスは心底うんざりとした――幾らだって他の音はあるだろうに。眼前に表示された立体映像の中で、コンピュータ・グラフィクスによって構成された女性による雑多な説明が始まったが、クリスの目には全く飛び込んできていない。その代わり、マキーナが大粒の涙を流しているという架空の光景が真実味を伴って浮かんでいる。

 ――彼女はいつもそうなんだ。どうして、あれだけ大量の涙を流せるのだろう。ちょっとした意地悪をしてみてもすぐに泣き出してしまうマキ。彼女は多分、今も泣いているのかもしれない。

 それと気付かない内に人工冬眠の説明は終わり、CGの女性がその姿を消滅させると、実在の添乗員の上半身がそれに取って代わった。型通りの挨拶を行ってから、感情を欠落させた事務的な声で人工冬眠のカウントダウンを始める。

 ――ごめん、マキ。きちんとお別れが出来なかった。その勇気がなかった僕は、とんだ意気地無しだ。情けない。でも、言い訳を許して貰えるのなら、地球は太陽系は、あまりにも遠すぎるんだよ。せめて。てがみ。よんでくれ。かなわぬねがいだとおもうけど、わらってほしい……。

 鼻腔に嫌らしくまとわり着いてくる甘い香りの催眠ガスが、カプセル・ポッド内に充満してくる濃度に比例して、思考が音を立てて錆び付いていく。強制的な睡眠欲に抗ったところで得られるものは何も無いということは理解している。それでも、クリスは安穏と眠りに落ちることに対して何故か、抵抗を試みた。本当に何故なのか、自分でも分からない。

 だが、精神が抵抗も虚しく、その肉体は強力なガスに対しての抵抗を続けることが叶わなくなった。重く、粘度を保った睡魔が垂れ下がってくる中、クリスは自らの頬に水の流れを感じた。

 ――なみだ、か?

 そんな自覚を最後に、クリストファ・アレンの心は漆黒の微睡みへと取り込まれる。

posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第一章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする