2804年01月01日

第I光:『覚醒』 第一章 クリスの手紙、受け取ったマキ - III


 ローゼンベルク夫人は満足していた。本日のメイン、ビーフ・ストロガノフがここ数ヶ月に無い完璧な仕上がりを達成してくれた為である。圧力鍋に蓋を施すと、今や家族の帰宅と客人の来宅を待つことだけが彼女に残された仕事となった。
 客人とは説明するまでもなく、愛娘のボーイフレンドこと――あくまでも娘は否定しているが――クリストファ少年のことである。柔らかい笑顔のよく似合う、大変に美しい少年であり、ローゼンベルク夫人としては『自分の息子』に等しい感覚を持たせてもらっている。幼い頃から頻繁に訪れ、夕食は疎か、時には朝食まで摂っていくこともあったクリス。だが、そんな少年は昔ほどは頻繁に我が家を訪れることがなくなった。お年頃なのかしらねぇ、と考えた夫人は自分の誇り高い仕事場、キッチンで一人微笑を浮かべたものだ。
 『誕生パーティー』ではクリスが照れるだろうから、と言う娘の一言を受けて、今日の食卓に並べられるのは特に飾らない、全くいつも通りの料理の数々だ。勿論、どの料理だって普段よりは三割り増しほどの手間は掛けられているが、それはサービス。
『おおう、それは楽しみだなあ。早く帰ってくることにするよ』
 朝方、夫のライアンは整えられた髭にスクランブルエッグが付着しないよう、細心の注意を払って食事を進めながら言ったものだった。どうも、夫はクリスを相手に一局を申し込む腹積もりのようだ。
 ふと、リビングの壁に貼られたマキお手製の勝敗表の存在を夫人は思い出した。夫の在宅時にクリスが訪れた時は決まって、その将棋相手をさせられており、マキはそんな二人の対局を横合いから覗き込みながら、あれやこれやと口出しを行って――それは紛うことのない、家族の光景だった筈だ。エプロンを外した夫人は火の元を確認してから居間へと向かい、そんな勝敗表を改めて観察した。

 クリス:38勝に対して、夫ライアン:7勝――1、無効試合(ノーコンテスト)。

 ――自ら張り切って挑んでおきながら、今日もまた、クリスにボロ負けするのかしら。

 勝者に『……参りました』と頭を下げながら答える夫の情けなさそうな表情を容易に想像することが出来て、夫人は口元に手を当てて再度、一人微笑する。

 炊事、洗濯、掃除に始まる家事のほとんどが満了してしまい、些か時間を持て余すことになった夫人は読み差しの文庫本を手に取りながら、居間のソファへ体を沈めた。未だ、時刻が午後四時にも至っていないと言うのに全ての労働が終わってしまったという現実は、自分自身の気分もまた、高揚しているということを婉曲的に伝えてくれるものであり、夫人は苦笑を禁じ得なかった。

 そんな夫人が文庫本の栞を抜いた、その時のことだった。エア・バイクのエンジン音がその耳朶を震わせてきた。一風変わったそんな機動音は間違いなく、娘の愛機『スカイ・ラビット』のものだ。案の定、自宅裏庭のステップでそのエンジン音は停止した。
 常であれば生気溢れる声で『ただいまーっ』と、自らの帰宅を声高に宣言しながら玄関に飛び込んでくる娘であったが、この日はどうも状況が異なっており――リビングに入ってくることもなく、階段を駆け上って自室へと直行してしまったようだ。

 ――?

 夫人は改めて、壁に掛けられたクラシックなグランパズ・クロック(おじいさんの古時計)に目を向けて、今のこの時刻が学校の掃ける時間では有り得ないことにようやく、気付くことが出来た。

「あらあら、こんなことは初めて――」
 夫人は独語して、二階に据えられている娘の私室へゆっくりと向かった。扉の前に辿り着いたその時、リルケ・ローゼンベルクは確かに耳にした。自分の娘の、押し殺すような泣き声を。ベッドに伏して泣きじゃくっているのだろう、と言う想像は容易(たやす)くついたが、それでも夫人はノックを行うことが出来なかった。元より鍵などの類は設置されてはいないが、ノブに手を掛けることもしない。扉の隙間から漏れてくる娘の泣き声をその心に留め、登ってきた時のそれ以上にゆっくりと、夫人は部屋の前から立ち去った。

 程なくして、夫のライアンが帰宅。妻から事情を簡潔に聞いたライアン・ローゼンベルクはネクタイを片手で器用に緩めながら――そっとしておくのが一番だ、自分の意志で出てくるのを待っていればいい、俺達の自慢の娘はそんなにヤワじゃあないさ――と、狼狽の余りにその顔を蒼白としてしまっている妻を慰めた。
 アポロン(恒星)が如き明るさを常に溢れさせ、『元気』と言う言葉の権化そのものとも言える自分の娘らしからぬそんな行動の根元にいかなる出来事の介在があったのか、忖度する術は夫妻にはなかったのだが、それでも薄々と感じるものはあった。今日という特別な日、そこに考えを至らせれば、自ずとその要因は見えてくる。

 ――少年。一体、何があったのだ?

 ライアンは、一人その胸中で呟いた。

   ・
   ・
   ・

 その晩。大量の料理を持て余しつつ、ローゼンベルク夫妻が二人だけで食事を進めていた時だった。リビングの壁に設置されていた情報端末が、メールの受信をそのチャイム音で知らせてきた。

「珍しいな、こんな時間に――」
 フォークを空いたプレートの上に置きながら、ライアンはその腰を上げた。その気になれば、端末に人工音声で読ませることも可能なのだが、この夫妻は音声に関する機能を全て、チェックから外していたのである。

「なんと――」
 呼び出した新着データを確認して、ライアンはその場で深い息を吐いた。

 差出人はクリストファ・アレン……そして、メールは二通が存在していた。

 一つ目のメールの件名は『親愛なるローゼンベルク夫妻へ』と。片やのもう一つは、『一番の友人、マキーナ・ローゼンベルクへ』と記されていた。

「ねえ……あなた」
 愛妻リルケがその袖に半ば、しがみつきながら声を漏らしてきた。
「――ああ、分かっている」
 自分が果たして何を分かっているのか、実のところライアンにとっても不明ではあった。端末のディスプレイを眺めたまま、固まってしまった自分の肉体を呪縛から解放するための儀式として、大きな深呼吸が二度、必要とされた。

 ライアンは自分達に、つまり『ローゼンベルク夫妻』に当てられたメールのプリントアウトを端末に命令した。ディスプレイで直接、読む気にはどうしてもなれなかったのである。出力数を二部に設定したのは無論、自分の分と妻の分として、である。

 プリンタから最初に弾かれた一枚の紙をゆっくりと取り上げたライアンがまず、その文面に目を通し、全く同じ内容が記されている二枚目を手に取ったリルケが続く。

 ライアン・ローゼンベルクは額に手を当てて、溜息を吐きながら。

 リルケ・ローゼンベルクは込み上げてくる涙の流出を抑えきることが叶わず、泣きながら。

 おおよそ五分後。それでもどうにかの落ち着きを取り戻すことが出来た夫妻は、いよいよ娘に宛てられたメールの処理についての話し合いを行わなければならなくなった。その内容が自分達に向けられたものと全く同一であるとは考え難かったものの、自分達が受けたに等しい衝撃を今の愛娘に与えるのは全く、望むところでは無かった。これはこの夫妻に限った話ではなく、親となった人間であれば誰もが等しく抱くことの出来る共感に他ならない筈だ。

 それ程に、クリスが認(したた)めた内容は哀しいものだったのだ。

 その内容は、いろいろと世話になったことへの礼から始まり、自分が本当はアレン夫妻の実子ではなくて養子であること、そんな義理の両親の元に地球の本社からの帰還命令があったこと――自分は本当はエテルナに残りたいが、そんな我儘(わがまま)は言えなかったということ。

 そして、面と向かうのが忍びなく、きちんとした別れを告げることが果たせなかったことに関しては、恐らくマキーナは激怒しているか、泣きじゃくっているだろう――付け加えるのならば多分、後者なのではないか――と。

 自分に頼めた義理は無いだろうが、どうかマキにもう一つのメールを渡してほしいということ。この二通のメールは時間設定を施しての送信であり、夫妻が手に取って呼んでいるころは自分は宇宙船の中である、と。

 だが、それでも。

 自分はいつか再び、このエテルナに戻って来たい――いや、必ず戻ってくるつもりだ、という文章が最後に結ばれていた。

 リルケ・ローゼンベルクは再び込み上げてきた涙を堰(せき)止めることが叶わず、その顔を覆っている。ライアンはあの少年、クリストファを実の息子のように思っていたこともあり、やはり胸中穏やかではいられない。せめてそんなクリス少年が自分に一言でも相談してくれていたら、と思わずにはいられなかった。
「――何と言うことだ」
 ライアン・ローゼンベルクは一つ呟きながら、リビングのソファに腰を落とした。その折り、ガラス製の小テーブル上に置かれた将棋セットが視界に捉えられたが、これは彼が職場からの帰り際に思い付きで購入し、プレゼント用の簡易包装が施されているものだった。

 『我がライバルへ』と、玩具店のカウンターにて自ら書き込んだそんなメッセージが心無しか痛みを伴って映る。

 ――だが、しかし

 ライアンは自分の思索を打ち切った。今、慮(おもんばか)るべきは自分たちについてでは無い。

 愛しの――そんな表現で表現しきれるものではない――我が娘。

 今も、それこそ千々と切れたその心を抱えた状態で苦しんでいるマキーナに何が出来るというのか。

 恋の終わり。それを告げる父親と言う役回りを喜ぶ人間が果たして、この世に存在しうるのか。

 現実逃避であることを承知しながらも、この晩の夫妻の結論は、娘の状態が安定するまで様子を見る、というものになった。

 ライアンはそれでも迷いを捨てきれず、やはり娘に今の時点で手渡すべきではないかとも主張したのだが、妻が頑なまでに反対を貫いたのである。無論、そんなリルケの反対に強い根拠が存在したわけでもなかったのだが……。

 ライアンはメールのデータをそれぞれ、二枚の光ディスクに分けてコピーを行った。コピーの結果の念入りな確認を行ってから、主メモリ側の該当データを削除した。

   ・
   ・
   ・

 夫妻が思いもよらない困惑の只中に巻き込まれながらもどうにかの結論を搾り出したそんな頃、マキーナ・ローゼンベルクは自室で枕に顔を押し当てて、ただただ泣き続けていた。自分の体の一体何処に、これだけの水分が蓄えられていたのだろうか――と思う程に涙は留まってくれるところを知らない。ひたすら、泣いて泣いて泣いて。

 一晩中、泣いて。

 彼女が自覚の無いまま、眠りの世界へと落ちていったのは空が白みかけた頃。アポロンの朝陽が一日の始まりを告げる、そんな時間。



   ◆ ◆ ◆


 ――夢なのかしら。

 もはや、エテルナには存在しない筈のクリスが他の友人達と共に自分を迎えに上がって来る。それは登校風景の始まりを意味する状況に他ならない。でも、それって去年ぐらいまでの話で――。
 数台のエア・バイクがローゼンベルク邸前の道路でアイドリングを行っている中、一際に目立つ機体がある。白いボディラインの所々に薄水色を走らされているオリジナル塗装を施されたそんな機体はクリスの専用機、【ゼータ】である。
 そんな【ゼータ】は彼自身がチューン・ナップを施したものであり、多少燃費を食うのと機動音が若干大きくなりはしているが、その出力、機動性は市販のものと比べると段違いの代物ではあった。ハーフフェイスのヘルメットに、ゴーグル姿。こちらに気付いたクリスがその親指を立てて来る。胸の律動を強く意識しながら、マキーナはフルフェイスのヘルメット――実の所はハーフフェイスが好みだったが、危険だと主張する母親に許可を貰えなかったのだ――を確実に装備してから、自らのバイクを起動。

『ねえ、あたしのラビちゃんもチューンしてよ』
 クリスのバイクと同等のチューンナップをマキーナは幾度となくクリス本人に頼み込んでいたのだが、
『君じゃあ、このジャジャ馬を乗りこなすのは難しいから』

 一体、何回軽くあしらわれたことやら。

 チューンナップを施してくれたのはそれこそ、つい先日のことであり。
『危ない真似だけはするんじゃあないぞ』
 まるで親のような物言いは、どう控え目に表現しても不愉快なものではあったが、それでも彼は機械油にまみれて一生懸命にチューンしてくれた。

 今にして思えば――そんなクリスが突然、チューンナップに応じてくれたことと『今回』のことは関係があったのかな。

『いいかい、本当に無茶な走りはするなよ』
 クリストファ・アレンは最後に、そう付け加えたものだった。


「二言多いのよ、クリスはっ!!」
 マキは自分の寝言で目を醒ました。自らを覚醒へと至らせたそんな大声が、他ならない自分の寝言であったと言う事実をその頭脳に認識させるのには、少なからずの時を消費しなくてはならなかった。
 はっとなってその上半身を起こし、状況を確認。部屋の中はすっかりと暗くなってしまっており、自分が部屋に飛び込んでから相応の時間が経過していることは自ずと察知することが出来た。

『あたし――あのまま――いつの間にか眠っちゃったんだ……』

 その記憶、ほんの少しの遡及を試みただけで、昨日の一連の出来事がその精神野を瞬時に制圧してくきたが、現実感が伴っていないそんな感覚は、ただ一様に不快だった。いや、そもそも時間の経過が把握出来ない。何時間が経過したのか? 或いは一日か、一週間か、一年か――それとも数時間??

 螺旋状に入り組んでしまった、そんな心だったが、肉体の反応は分かり易いものだった――訳の分からない今の精神に比べれば、それはもう。

 過剰労働に不平不満を漏らさず、涙腺がその機能を発揮した。

 流れ出た涙が、枕の上にこぼれ落とされていく。

『もう――クリスはいない――それが、現実』
 意識が無い程に深い眠りに落ちていた筈なのに、疲労感はいや増すばかり。頭の芯に訛の棒を埋め込まれたかのような不快感が大変に忌々しい。

「ばかっ」

 呟いたマキーナ・ローゼンベルクは枕に顔を押し当てて、流れ出る涙をそのカバーに吸収させるという、益体の無い作業を再開。

 夕暮れ前、のことであった。


   ◆ ◆ ◆


 マキーナ・ローゼンベルクが食事を摂るようになったのは騒動があってから二日後のことだった。甚大に過ぎた心の傷は、その体にまでも少なからずの悪影響を及ぼすこととなってしまったのである。病状としての不具合は一切が無かったものの、とにかくマキはそのベッドから立ち上がることすら行えず、見舞いに訪れた友人達とも会うことが果たせない始末であった。健康優良児と言う称号を自他共に認められているような娘のそんな姿に、両親が大変に心を砕いたということは言うまでもない。

 そんな折り、自分の部屋に食事を運んできてくれた母親からスプーンを受け取ったマキは小さく、本当に小さく口を開いた。
 普段であれば充分な自慢に値する長く、艶やかなアッシュ・ブロンドはボサボサで。ふっくらと健康的な色を見せていた筈の頬は土気色に痩(こ)けてしまって。リップを塗らずとも微妙な光沢を放っていた唇がひび割れている――そんな姿は、リルケにとって拷問に等しい精神的苦痛を提供してくれる。だが、母親はそんな内奥を全く、面には表さなかった。
「ねぇ――どうして何も、訳を聞かなかったの?」
 擦れた声ではあったが、娘の声に生気が戻ってきていることにリルケは気付き、その胸を撫で下ろす。一頻りの間を意識して置いて、母は表情と等しく柔らかい声を努めて出した。
「その訳は大凡(おおよそ)の見当が付いていたのよ」
 刹那、悩んでから言葉を繋ぐ母。
「――クリスと何か、あったんじゃないか、ってね」
「…………」
 娘は何も答えず、ポタージュを一口だけ啜った。
「それにね、あの晩の――」
 今、この時が最良か――決断の時だ。リルケ・ローゼンベルクは大きく深呼吸。
「あの晩の……なぁに?」
 匙にその口元とスープ・ボウルの間を機械的に往復させながら、マキ。母は再度の、深呼吸を行った。
「マキーナ・ローゼンベルク――今から私の言うことを落ち着いて聞くのよ。一人のレディとしてね――良くって?」

 夫人はクリストファ・アレンから送信されてきたメールの内容を事細かく、噛み砕くようにして娘に伝えた。無論、自分達夫妻に宛てられたメールの内容に限定した説明であり、これに関しては一切の包み隠しを行わなかった。
だが、マキ本人に宛てられたメールについての言及に踏み込むのは、女親として憚られるものも未だ強く、存在している。果たして、どうしたものか。

 一連の説明を聞き終わったマキはスプーンに続き、母親の作ってくれた豆のポタージュがよそわれたスープ・ボウルを取り落としてしまった。明るい緑色が、フローリングの床一面へと大きく散った。
「そんな……ことって……」
 戦慄(わなな)く両手を自分の両頬に密着させながら、マキーナは等しく震える声で呟いた。
「マキーナ。クリスが――クリストファ・アレンがどれ程に辛かったのか、そのことを汲んでお上げなさい。それにクリスは必ず帰ってくる、って言っているのよ。いつまでもあなたがグズついていたら、それこそミスタ・アレンは悲しむ筈でしょう?」
 床上で広がり始めたポタージュを卒なく雑巾で押さえながら、母は精一杯の言葉を娘に与えた。娘は、無言のまま、ただただその体を小刻みに震わせている。
「でもね、あなたの辛さも母さん、良く分かっているつもり……だから――」
 マキはハッとなった。錯綜する感情の中ではあったが、一つの仮定が大きく持ち上がって――断定へと大きく様変わりしていった。その双眸に弱々しいながらも光を灯したマキは、母親のエプロンを堅く握り締めながら。
「ねぇ!? 『パパとママに宛てた手紙』ってことは――ひょっとすると……もしかすると!?」
 夫人は自分の娘の勘の良さに心から感嘆した。
 「――全く、この子は……。そうよ、お察しの通り。ミス・ローゼンベルク、あなた宛てのメールもちゃんと、あったわよ」
「どこにっ!」
 エプロンを握る右手に精一杯の力を込めて、マキーナ。
「リビングの端末よ。パパがディスクに落としていたみたいで、本当は……あなたがもっと落ち着いてから見せよう、って話していたんだけれど――」
 母親の言葉を最後まで聞いていたのかどうか、定かではなかった。マキーナは半病人とは感じさせない勢いでベッドを飛び出し、階段を半ば飛び降りる形で駆け降りて、脱兎の如くリビングへと突撃した。
「ディスク――ディスク……」
 今度は別の意味で震えている両手で端末前のフォルダの中身を漁る。多くのディスクが詰められている中、ラベルの貼られていない真新しいディスクを二つ、発見することが出来た。果たして、どっちなのかしら――思案に暮れていると。
「赤い色の方があなたのだ、ってパパは言っていたわ」
 ようやく追い付いた母が肩で息をしながら、助け船を出してくれる。
「何が入っているのかしら――」
 赤いディスクを胸にじっと掻き抱きながら、マキは呟く。
「あなたの部屋の端末で見ておいで。あなたにはその権利があるの。それは、あなただけに宛てられた、ミスタ・アレン――クリスからの手紙なんだから」
 両肩に手をそっと乗せてきた母親の手の平から伝わってくる暖かさがこの上なく、心地良かった。勿論、その言葉も。
「――あたしだけに、クリスが」
「ホラ、とっとと部屋に行った行った」
 その両手に力を込めて、夫人は二階――マキーナの私室――の方を見上げる。
「うん、ありがとう――ママ」
 母親にこの上無く感謝を込めたキスをして、足早に自室へ戻る。端末の電源を入れて、ディスクを挿入した。

 『一番の友達、マキーナ・ローゼンベルクへ』から始まる、クリスのメッセージが表示された。

 マキは再び泣いていた。しかし、昨日までの涙とは違う。この日、マキーナ・ローゼンベルクは涙が零れるのが悲しい時だけでは無いことを、身を以て知ることとなった。

 時に、西暦は2800年。三月。惑星エテルナ、首都アルタミラでの。


 エピソードであった。





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 クリスがある日、私とガンルームで酒を呑みながら言ったことがある。
『エテルナのクリストファ・アレンの人生は正に、この時に終焉を遂げたのさ。何故なら、これより後の『クリストファ』は『クリス』では無かったからだ。そうとしか俺には表現出来ないし、これからも出来ないだろう――『俺』は、俺では無かったんだ……』

ヒムラ・キリオ著『ライト=ブリンガ、クリストファ・アレン』
(光暦13年・初版)より抜粋
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 クリストファは、常に何かに怯えているようでした。その恐怖が何処から来るのか、私には全く、想像も及ばなかった。もっとも、それは本人としても同じだったみたいですけれど……。
    (中略)
 私はそんなクリスの恐怖心を取り除いてあげたかった……それは、心から……。でも、私には無理だったんです。

【フォーチュン】艦長、ソフィ・ムラサメ・アレン光佐の述懐より
(光暦5年)
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   ◆ ◆ ◆


 ……壮絶な。

 それはそれは、あまりにも壮絶な。


 さあ、幕よ開け。

 クリストファ・アレン。あなたと私が出逢うのはもっともっと後の話。


 それは、時の彼方。

posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第一章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする