2806年01月01日
第I光:『覚醒』 第一章 クリスの手紙、受け取ったマキ - I
澄み切った空。草の息吹。
絵に描いたような田園風景の中、一人の少年が自らの体重を甘んじて受け止めてくれている草のベッドに横たわり、いつ途切れるともしれない薄い雲の流れをただ、漠然と眺めていた。
「クリス? 寝ているの?」
突然、その頭の先から遠慮がちな声が届けられた。そんな声は、彼にとってはとても大切な『音』。
「マキ――?」
クリスと呼ばれた少年は体を起こすことはせず、寝そべった状態を維持したまま、ただその顔だけを声の持ち主へと向けた。
「なぁんだ、起きているんじゃない。全然動かないから、てっきり寝ちゃっているのかなぁって思った」
呆れの色をどこか、言の葉に乗せながらマキが答える。
「いや……ちょっと考えゴトをしてたのさ」
少女マキは無言のまま、彼の隣へと座り込んでくる。ロングスカートを着用していたこともあって、慎重な体育座りを意識する必要はあったけれど、それは全く自然な所作であった筈だ。
そんなマキは幾ばくかの時間を微妙に意識して置いてから、暮れてゆく空を少年と同じ角度で見上げて。
「何を考えていたの?」
「……驚かないでくれるか?」
「大抵のことでは」
マキが背筋を伸ばし、慎ましやかな胸を張ってみせる気配をクリスは感じ取ることが出来る。
「ん……」
少年クリスはその口を開き掛けたが、言葉が形となってくれない。アルタミラの夕焼け空に数回ばかりも噛み付いてみるものの、それでも言葉が出ない、紡がれない。諦めたクリスは、マキとは反対側へと寝返りを打って。
「ごめんよ、なんでもないんだ」
たっぷりと時間を置いた彼の背中から発せられた言葉は、結局はそれだけ。先程まで流れていた薄い雲の先端は、すっかりと地平線の彼方へと吸い込まれてしまっている。常に無く、歯切れの悪いクリスを不思議に思うマキであったが、それ以上を追求しようとはせず、やや湿り気のある風の中で流れるクセの無い長い銀髪を左手で軽く押さえながら、
「ふうん。そうなんだ」
とだけ答えたものだった。
風がいよいよ強く吹き始め、木々が合唱を開始した。
場所は、惑星エテルナの南半球に構えられた星系首都、【アルタミラ】が居住区域の一角に設けられている森林公園。何かがあると、クリスが一人でここに来ることを熟知していたマキであったから、そんな彼を容易に発見することが出来た、という事情があった。空は夕闇に染められつつあり、念入りに整備されている芝が鼻を突くほどに緑の臭いを立て始めた。
「暗くなってきたし、帰ろうか」
いかにも億劫そうにその上半身を起こし、体に付着した芝を念入りに落としながらクリス。
「……うん。そうね」
足元の芝生に吸い取られそうな弱い声でマキは応じたのだったが、常に無い『幼馴染み』のそんな変化にクリスは全く、気付くことは出来なかった。今の彼の考えは、果たしてどういったルートで家路へ着くか、と言う一点に絞られている。これは自分と彼女の住まいが通り一つを隔てただけの『ご近所さん』であると言う環境があってのことだったが。
「ほら」
なかなか立ち上がろうとしないマキに、クリスは静かにその左手を伸ばした。この時代にあっては珍しい、左利きの彼。
「ん」
マキはそんな彼の左手を、同じ左手で意識して握り込んだ。こうして手を握るのなんて何年振りなのだろう――彼女はふと、長くもない自分の全生涯を束の間、遡ってみたのだが、終(つい)ぞ思い出すことは出来なかった。でも、遠い記憶の中で曖昧に残っている『それ』よりも明らかに大きく、柔らかいクリスの左手は、今この瞬間、間違いなく存在しており、かつ自分だけに向けられているのだ、という想像は悪いものではない。
――ああ、あたしは彼のことを本当に愛しているんだなぁ。
そんな『ませた』点にまで考えが及び、マキーナ・ローゼンベルクは密かに赤面。だが、その矮躯(わいく)には似つかわしくない力強さで彼女を引き上げた王子様は直ぐに手を離すと、颯爽と歩みを進め始める。マキは慌てて、その背中を追わなくてはならなかった。
「ね。来週の【薔薇曜日】ってさ、クリスの誕生日よね?」
『薔薇曜日』と言うのはエテルナに於いての曜日呼称に他ならない。太陽系でいう月曜日がこれに相当している。なお、余談ながら他の曜日表記は以下の通り。
火曜日(Tue.) =百合曜日(lil.)
水曜日(Wed.) =菊曜日(ger.)
木曜日(Thu.) =藤曜日(wis.)
金曜日(Fri.) =蘭曜日(orc.)
土曜日(Sat.) =菫曜日(vio.)
日曜日(Sun.) =桃曜日(pea.)
「――ん……そうだったかな?」
そんな表情と口振りから察するに、どうやら本当に失念していたらしい。最初は照れ臭いこともあって惚けているのではないか、とも思ったが。
「やっと、15才になれるのね。早生まれだもんねえ、クリスって」
そんな自分の発言を受けて、彼の面に苦笑が刻まれた気配をマキは感じ取ることが出来たのだが、振り返ってきた時のクリスの表情はいつもと同じ、涼しげなものでしかなかった。
とても綺麗だ――とマキは心の中で呟いた。事実、中性的な容貌を有しているこの少年は大変な美少年だった。その髪と等しい茶色の瞳に、暮れ掛かるアポロンの光を僅かに留めながら、そんなクリスは。
「――来月、君こそが16じゃないか」
どこか面白く無さそうな口振りのクリスに対し、マキーナは探りを入れる決意を行った。躊躇いが色強く存在する中、自らの決意を実行に移すのには少なからずの勇気を必要としたけれど。
「ね、誕生パーティーとか……やらないの……かなぁ?」
そんな彼女の質問に対し、クリスの両肩が大きく竦められた。
「――よしてくれよ、15にもなって」
クリスはいよいよ、照れ臭げな表情をその顔に浮かべた。痒くもないのだろうに、その後頭部をボリボリと掻いてみせる。等しい苦笑をマキが作っていることに気付いてか、素早く進行方向に向き直り、歩み出す。一歩、二歩。
「予定とか――ないのかなぁ……?」
エスコートの相手、マキーナ・ローゼンベルクがその身体を未だ、その場に留め続けていたことに気付かなかったクリスは、そんな声の遠さに慌ててその足を止めた。
「……マキ?」
呼び掛けて見るも、一向にマキは体を寄せてくれそうになかったので、彼自身がその足を戻す必要があった。
「ね、クリス。私の家でパーティーしようよ。フライングだけど、明日とかどうかな――」
上目遣いでクリスの表情を確認しながらマキは他人のそれ、さながらの口をどうにか動かした。
「最近、すっかりご無沙汰だからパパもママも寂しがっているし――」
気付いたらそんな言葉を続けてしまったが、これはとんだ意気地無しだ。自分が伝えたいことは両親のことなどでは断じて、無いのに。マキーナは森林公園の酸素を静かに、それでも大きく吸い込んだ。クリスは何も言わず、その襟元で束ねられた長い髪をアルタミラの風に洗わせながら、ただマキを静かに見つめていた。今少し、強い光量があればそんな彼が複雑な表情を作っていることを彼女は確認出来たのだろう――しかし残念ながら、夕暮れ時の森林公園という状況が、それを許してくれなかった。
「――それにね、あなたに伝えたいことも……その…あたし……」
語尾を窄め、その顔を地面に向けながらも、マキはどうにか自らの言葉を最後まで紡ぐことに成功した――大成功とは言い難いかも分からないが。
「……マキーナ?」
クリスがその上半身を曲げて、マキーナの顔を覗き込もうとする。そんな彼の行動を阻止するべく、彼女はジャンパーのポケットから取り出した木製の小箱を取り出し、素早くその眼前に差し伸べた。
「――コレ、ちょっと早いけど……誕生日プレゼントだから……家、帰ってから開けて」
そんな気勢で突き出された小箱を半ばの無意識の内に受け取ってしまったクリスを尻目に、マキは顔を隠すようにして、唐突に駆け出した。この期に及んで尚、状況を把握しきれなかったクリスは、箱を持たない自由な右手を彼女に向けたのだが、その残像を掴むことすら果たせなかった。
「それじゃ、明日の学校が掃けてからねっ! 約束っ!」
十メートルほど先の街灯までの距離を、一瞬にして稼いだマキーナが振り向きながらその両腕を大きく振ってくる。遠目ではあったものの、いつも通りのマキーナ・ローゼンベルクの表情であったことをクリスは認識することが出来た。
「あっ――うん……さよなら」
慌ててその右手を振り返すクリスの姿を確認すると、彼女はやはり一陣の風が如く、彼の視界から消えていった。
静電気を利用した街灯が順番に点灯されていく中、クリストファ・アレンはただ、その場に佇(たたず)み続けていた。いよいよ宵の帳(とばり)が降ろされる時分だ。自分の髪の毛を愛撫する風が、湿気を強く含み始めたのは気の所為では有り得ない。トリトン湾より上がって来る潮風が、アルタミラ市の全域をその支配下に入れようと画策し初めているのだろう。もっとも、平均湿度の低いアルタミラにおいて、そんな潮風は決して忌み嫌われる存在ではないのだが。
――帰らなきゃ。
全く無意味に立ち続けていた自分自身に気付き、クリストファ・アレンがその精神を現実へと戻すのには、実に数分の時を要とした。15年も生きていない彼ではあったものの、この時の足取りほど重かった例は過去に覚えが無かった。
クリストファ・アレンの両親はいわゆる技術者であり、【ラリー・インダストリー】という外資系企業――この場合は資本が太陽系側に存在する企業であるということ――の支社を兼ねた研究所へと揃って勤務をしていた。ちょうど今から十年前、エテルナへの派遣が決まった両親に連れられ、一人息子のクリストファはこの惑星、エテルナの大地を踏んだ――らしい。らしい、と言うのは彼自身が幼かったこともあり、詳しいことはまるで覚えていないからだ。つまり、クリスにとっての『地球生まれ』という履歴は、両親がたまに――本当にごく、稀なことだったが――思い出した様に始めてくれる昔話であるとか、実際に目の当たりにもした『移民認可証』を始めとする幾つかの公的書類に依って、その事実を後付け的に認識しているものにしか過ぎない。
もっとも、そんな本人の認識の程度差はこの場合は問題では無く、クリストファ・アレンは彼の年代では非常に珍しい『地球生まれ』ということになっている。そんな珍しい体験をさせてくれた共働きの両親はややもすると等しく揃って研究室に篭もりがちで、幼いクリスは随分と寂しい思いをしたこともあった。しかし、構う機会こそ少なかったものの、両親は決して酷い親ではなかったし、相互の会話だって成立していた。寧ろ、一般家庭のそれ以上にコミュニケーションは円滑な程だっただろう。たまの桃曜日、父親であるアルフレッドの手に引かれ、母のベティが作ってくれたランチを背負って一家で森林公園に『探検』へと赴くのは幼いクリスにとって、何よりの楽しみでもあったのだから。
だが、何よりも。
通り一つを隔ててすんでいたマキーナ・ローゼンベルク。その屈託の無い笑顔が彼を大いに救ってくれた。なかなか友人が出来なかったクリストファの、一番目の友人。クリスはその口の端に乗せることまでは行わなかったが、マキ、そして何かと面倒を見てくれた彼女の両親――ローゼンベルク夫妻に対して、無限とも言える感謝の念を抱き続け、今現在へと至っていた。
月日は流れる。十年という年月はクリストファとマキーナを成長させるのには充分過ぎる期間であったのだろう。
『幼馴染み』という陳腐な言葉だけでは表せない、微妙な関係。それが、今の二人。
マキーナはこの二人の関係が永遠のものであると固く信じている。もっとも、更に両者の関係が向上するに越したことはない。その為の、明日。明日だ。明日になればもっともっと、素晴らしい関係になれる筈ではないか。
母親が新しく下ろしてくれたベッドのシーツの心地よさも相乗したのだろう。その夜、眠りに落ちようとしているマキーナ・ローゼンベルクはこれ以上が無い程の幸福感に包まれていた。無論、心の片隅には少量の不安感も頑として張り付いてはいたけれど。
だが――それでも、クリストファ・アレンは知っている。二人の関係に終止符が打たれることを。それも、その明日の内に。
マキーナが眠り姫となったのと同じ時刻。クリスはその自室で、そんな彼女から受け取った小箱を紐解いた。
ペンダントだった。小振りな本体の蓋を開いてみると、エテルナホウセンカの蕾が押し花にされているのが確認出来た。マキーナが押したものだろうか――彼女は、花が大好きだから。そんなクリスが見つめている内に、本体から静かな曲が流れ始めた。電子仕掛けとは言え、オルゴールの調を意識して紡がれるそんな旋律が今のクリスにとっては痛い。数年前の流行歌の一節だったとは思うのだが、クリスはどうしてもその曲名を思い出すことが出来なかった。
――泣いてもいいのかな
そう考えると、涙腺が一気に弛緩した。泣こうと思って泣けるなんて便利なものだ、と、どこか醒めた面持ちで自分自身をすら観察する別の自分が存在する。思春期特有の現象だ、と考える余裕のある自分は、実は思春期などでは無いのかもしれないけれど。
面倒なことを考えるのは放棄して、クリストファ・アレンは音を立てずに、静かに、ただ静かに、その涙を流した。
◆ ◆ ◆
次の朝はごく平穏に訪れた。西暦2800年、3月20日は薔薇曜日で、天気は快晴だった。
マキーナ・ローゼンベルクにとって、この年、この月、この日は一生、忘れることの出来ない特別な日となる。
――マキの泣いている姿が目に浮かぶ。
――マキが自分を罵ってくる声が聞こえる気がする。
クリストファ・アレンは恒星間航行船、【マーク・トゥエイン】号へ両親と共に搭乗していた。薬物のカプセルを彷彿とさせる形状の指定座席に、病院衣さながらの専用服を着用して横たえられているこの状態は、まるでこれから大掛かりな手術を自分が受けることになるのではないか、とすら感じさせてくれる。もっとも、それは穿(うが)った見方であるとは言えない。これから彼を含めた乗客は、極めて特殊な状況下に置かれることになるのだから。
――自然界では有り得ない、人間の『冬眠』という状況に。
左側のスピーカーから耳障りなチャイム音が一つ、鳴った。人工冬眠から醒めるその時もまた、この耳障りな音で知らされるのだろうか、と考えたクリスは心底うんざりとした――幾らだって他の音はあるだろうに。眼前に表示された立体映像の中で、コンピュータ・グラフィクスによって構成された女性による雑多な説明が始まったが、クリスの目には全く飛び込んできていない。その代わり、マキーナが大粒の涙を流しているという架空の光景が真実味を伴って浮かんでいる。
――彼女はいつもそうなんだ。どうして、あれだけ大量の涙を流せるのだろう。ちょっとした意地悪をしてみてもすぐに泣き出してしまうマキ。彼女は多分、今も泣いているのかもしれない。
それと気付かない内に人工冬眠の説明は終わり、CGの女性がその姿を消滅させると、実在の添乗員の上半身がそれに取って代わった。型通りの挨拶を行ってから、感情を欠落させた事務的な声で人工冬眠のカウントダウンを始める。
――ごめん、マキ。きちんとお別れが出来なかった。その勇気がなかった僕は、とんだ意気地無しだ。情けない。でも、言い訳を許して貰えるのなら、地球は太陽系は、あまりにも遠すぎるんだよ。せめて。てがみ。よんでくれ。かなわぬねがいだとおもうけど、わらってほしい……。
鼻腔に嫌らしくまとわり着いてくる甘い香りの催眠ガスが、カプセル・ポッド内に充満してくる濃度に比例して、思考が音を立てて錆び付いていく。強制的な睡眠欲に抗ったところで得られるものは何も無いということは理解している。それでも、クリスは安穏と眠りに落ちることに対して何故か、抵抗を試みた。本当に何故なのか、自分でも分からない。
だが、精神が抵抗も虚しく、その肉体は強力なガスに対しての抵抗を続けることが叶わなくなった。重く、粘度を保った睡魔が垂れ下がってくる中、クリスは自らの頬に水の流れを感じた。
――なみだ、か?
そんな自覚を最後に、クリストファ・アレンの心は漆黒の微睡みへと取り込まれる。
2805年01月01日
第I光:『覚醒』 第一章 クリスの手紙、受け取ったマキ - II
――あれ、クリス、今日はどうしたんだろ?
マキーナ・ローゼンベルクが学校で彼の不在に気付いた時、既に当のクリストファ・アレンは両親と共にエテルナ軌道上の宇宙港【ハレルヤ】へ入港していた【マーク・トゥエイン】号に搭乗していたのだが、無論マキーナに知る由は無い。無遅刻、無欠席を信条としていたクリスであった為、他のクラスメイト達も一様に不思議がっている様子が見える。マキを含む、そんな彼等の母校はアルタミラ市立第2−508学校、通称マルコムJ・マッケイスクールと呼ばれている。なんでも移民初期時代からの長い歴史を誇る学校であり、マルコムJと言うのは創立者の名前だそうだが、通っている当人達はこれと言った誇りを意識しているわけでもない。
「ねぇ、マキ? クリスは今日、どしたの?」
マキが学校から支給されている携帯端末を机上で展開していると、その頭上から声を掛けてきたのがクラスメイトでもあり、親友のジャニス・ハッシュポピーだった。たった今、教室に飛び込んできたばかりなのか、その長身を大きく上下させている。女バレ(女子バレー部)に所属している彼女がトレーニングを兼ねて、毎朝自宅から学校までマラソンを行っているのは有名な話だ。年齢に不相応なその高身長は、天性のバレーボーラーとしてこの世に生を受けた、と評価をされるだけのことはあるだろう。そんなジャニスは他のどんな男子よりも背が高かったのだが、本人にとってはその高身長は珍妙なラスト・ネームと等しく、ささやかなコンプレックスの元となってしまっているようだ。
「さあ、知らない。あたしが聞きたい位なのよ」
ふぅ、と軽く溜息を吐きながらマキは答える。そんな返答を受けたジャニスは自らの指定席へデイバッグを音を立てて置きながら、満面の含み笑いをゆっくりと浮かべ始めた。なんで笑うんだろうか、マキはそう感じたものだったが、その答えは速やかに提出された。
「ところで、二人の関係って今どこいら辺まで進んでいるんでしょう?」
口元に手を当てながらジャニス。慇懃無礼な口調と等しく、その両目には人の悪い光がこれでもかとばかりに湛えられている。
「なっ……何をいきなり! あたし達、そんなじゃ――」
ジャニス・ハッシュポピーは露骨に赤面したマキーナ・ローゼンベルクの顔を殊更に冷やかすような表情を作りながら、ずいっと詰め寄った。
「……お節介で言うんだけど、アンタ達お似合いなんだから。けど、いつまでもタダの友達の関係を続けていたら一生このマンマになっちゃうわよ。これ、友人としての忠告。大体、クリスってかなり人気あるんだから。アタシだってアンタと友誼が無かったら即ゲットしてたかもしんないよ」
どこまでが冗談でどこまでが本気なのか、俄(にわか)には判断を下し難いことを言ってくるこの『本当にお節介な』友人にどう返してやろうか、とマキは思案を巡らせた。
「――ねね、ナニ深刻に話してンの?」
だがしかし、マキが両のこめかみをそれぞれの親指で刺激していたほんの僅かの間に乱入者が現れた。選(よ)りにも選って、この手の話をしている時だけは回避したいタイプの友人、アニタ・フレイヤである。スクールナンバー1のゴシップ好きで、『呼吸するアルスポ(アルタミラ・スポーツ)』と呼ばれている娘である。
「ううん、何でもないわよ。そんな面白いことじゃない。ごくごく、下らないことデス」
マキは努めて平静に、動揺を隠しつつ答えたつもりだったが、そんな裏返った声では誰が聞いても好奇心を誘発されたことだっただろう。ましてや、『アルスポ』が相手では端(はな)から役者が違う。
「クリスのこと、話していたのよ。アニタ、アンタからもこのケツの青い娘ッ子になんか言ってやってよ」
「ちょっ……ジャニスッ!」
失礼極まり無いことを言われたと言うことよりも、アニタに状況を知られたことの方が、今の彼女にとっては深刻だった。自分が果たして、どれだけ情けの無い顔になっているのかは見当も付かない。
「ほっほう――クリストファ・アレン氏(14)……。大方の察しが付いたわ……」
縁なしの眼鏡を鈍く光らせながら、アニタが頷いた。
「察しの通りよ。この娘、ゾッコンのくせにハッキリしないからさぁ」
容赦も、遠慮も無く言い切ったジャニスが『やれやれ』といった体(てい)で顔を左右に大きく振ると、ボブカット気味の短髪が踊る。マキーナは言葉の一切を出せず、その口をただ、ポッカリと大きく開け続けていた。破滅の序曲の、それまた前奏が始まりつつあるような――そんな悪寒が。
「つうかそもそも、アンタ達ってデキていたんじゃないの? 私は随分前からそう睨んでいたんだけど……違った? ジャニス?」
モアイ像さながらのマキーナを余所(よそ)に、アニタがジャニスに言葉を向けた。
「どうも、トモダチ以上の関係じゃないそうな」
「あまりにも付き合いが長いと踏ん切りが付かない、ってヤツなのかしら」
アニタは指を組んで、天井の静電気灯を扇いだ。半ば……いや、かなり演技めいたアクションで。
「ああ、愛とはなんと険しくも苦しく、辛いモノなのであろーか!! エイメン!!」
「エイメン――って、麺類みたいだね、しかし!」
アニタの行動に息を合わせ、素早く自分の携帯電話を取り出して『主よ人の歓びよ』のメロディを鳴らすことでジャニスが続いたが、その掛け声は罰当たりも甚だしい――まあ、ハッシュポピー家はこれと言った特定の信仰を持たないので『問題は無かった』。
「でも、本当に好きなんだったら……『愛』があれば、ねぇ?」
こちらは敬虔なキリスト教徒の顔から、いつもの表情へと転じながらアニタ。
「ね。本当に、ねぇ?」
両者全く等しく、その首を傾げる。もはや完全に当事者は蚊帳の外。相手をすること、それ自体が馬鹿馬鹿しく、そもそもが彼等の興味を充足させる為に自分が発言を行う必要も義務も無いことに気付いたマキは窓の外に視線を泳がせた。
――ああ、エテルナカエデも今が盛りよねぇ。
「「ねえ、聞いてんの!?」」
すっかり『世捨て人』然としたネタ――もとい、マキーナ・ローゼンベルク――に気付いたジャニスとアニタが声だけでなく、その顔をほとんど合わせながら詰め寄ってきた。
「そりゃ嫌でも聞こえているわよ」
そう答えておきながら、マキはその有機電算機(早い話が『脳』)を静かに稼働させた。示された結論は果たして、『被害ヲ最小限ニ留メル為ノ情報提供ガ肝要』と言うものであった。確かに、どうせ食い下がらない彼等のこと。いっそ、それなりの代価――情報を与えて沈静化を計るというのは上策であるかもしれない。
「お節介も程々にして。あたしが一番、分かっているわよ。言われるまでもなく――」
マキが言葉を続ける気配を察して、二人はゴクリと唾を飲み込んだ。やだなあ。
「――それに、もうハッキリさせようとしているんだから」
この発言は人類種にとってはギリギリの可聴音域に属する声量で発生させられたものであったが、この限定された一時に於いては種族の限界を超える聴覚の獲得に成功していた二人の超人が聞き漏らす道理は無かった。
「「えーーーーーーッ!? ホントにホント!? ねぇねぇ、どうすんの? どうすんの!!」」
ジャニスとアニタは寸分も違わない、完璧なシンクロを達成している。その興味、好奇心が同じ一点に集中しているためだろうか。戦略的失敗を悟りつつあるマキだったが、もはや後戻りは出来なかった。そもそも、彼等が納得する発言を行わなくてはこの場は到底、収まりっこない。後ろ暗いことは何も無いことに今更ながら気付いた、と言うこともあって、彼女はその口をゆっくりと開いた。
「あのね、今日……ウチでクリスの誕生日を祝ってあげようと思っているの」
その発言に、一瞬の静けさを不自然に保った二人はだが、次の瞬間には。
「「きゃあああああああああああああッ!! だいたーん!!!」」
想定外の反応に、慌てたマキは重要な要素を付け加えた。どうやら彼女達はとんだ誤解をしているようだ。
「ちょ……ちょっとちょっと、そんなことないって。両親もいるんだし……まあ、そりゃあたりの気持ちを伝えようとは思っているけど」
続く失敗だった。何を言っているのだ、この私は。マキは自分の迂闊さに、本当に心から呆れ返った。
「キャアギャアキャアギャアキャアギャア!!」
人語にも悖(もと)る大絶叫をやはり、二味一体となって放ち続ける二人。
「騒ぎすぎだってば……」
軽い目眩を自覚しつつ、それでもマキはこの二人に対して不快感を覚えるまでには至らない。大切な友人であることに疑いはないし、そもそもこの二人のこんな行動の原点に『悪意』が存在しているわけではないのだから。ちょっと……いや、かなり、ヤカマシイけれど。
一頻り大いに騒ぎ立てた後、ジャニスが唐突に咳払いを行った。上気した面持ちで酸素を貪欲に吸収して、火照っていた体を落ち着けて。
「ありがとー……マキ、ぼかぁ嬉しいよ……」
元々、地声が低いジャニスにとっては男性的な声を発生させるのは造作も無いことなのだろう。この段階でようやく、マキは彼等が始めようとしていることに思い至った。
「いえいえ、どぅわって愛しているんですモノ、アナタのコ・ト!!」
素晴らしく勘を働かせたアニタが、そんなジャニスに素早く応じて見せた。
「いやぁ……もう、ぼかぁ…なんて言えばいいのか……幸せだなぁ……」
ジャニスがその整った眉根を上げながら、陶然と言う。
「何も言わなくっていいのよう」
「マキ……」
「……プレゼントは、ア・タ・シ!!」
アニタがうっとりと目を閉じる中、ようやく我に返ったマキだった。
「いーかげんにしろッ!!」
スパーン! (×2)
電光石火。突然始まった寸劇は、マキーナが主演女優二人をテキストで力任せに突っ込み叩いたことで終演を強制的に迎えさせられた。
「いたたた……何もブン殴らなくっても……」
ジャニスが自分だけではなく、アニタの頭部もさすりながら口を尖らせた。
「もう一発、イッてあげよっか??」
マキは『代数』のテキストを構えながら、大いに凄んで見せた。これ位は当然の権利である筈だ。
「……それはそうと下着とか気合いの入ったの、持ってるんでしょうね」
論点を逸らす為か、それともこの期に及んで流れの主導権を引き戻そうというのか。アニタはぶら下がった眼鏡を掛け直しつつ、奇妙な真顔でそんなことを言ってきた。
「うん、そうねぇ。いつものような『ラブリィ・キャット』柄とかじゃ良くないと思うよ。『勝負下着』装備は必須条件だよなぁ」
ウンウン、とアニタの発言に頷きを加えることで同感を示すジャニス。
「……アホ。そんなじゃないって言ってるじゃない、さっきから」
テキストを彼等に叩き付ける気力ももはや無く、マキは力無く項垂れて見せた。もう、彼等には何を言っても無駄ね……。
「ところでおぢゃうさん、今日の下着はどんな具合なのかね?」
ジャニスが、スケベ中年のような物言いを行ってきた。
「悪かったわね。クマよ、クマ。どうせお子ちゃまですよ。ケッ」
そんな投げ遣りなマキーナの言葉を聞き終えるやいなや、ジャニスは流れる動作で彼女のショートパンツのベルト部を引いて、その中を覗き込んだ。そこには。そこにはクマが、確かに存在していた。これ以上無く。
「おおっ、本当にクマさんパンチィだぁ――かっわいいー……ねぇ、これどこで――」
その刹那、『ズギャアアアアアアス(註:表記不可能)』と言う絶叫が発生したのだが、これは覗かれたマキの絶叫なのか、それともテキストの『角』を脳天に突き刺されたジャニスのそれだったのかは不明。『両者』の絶叫であった可能性が一番高いかも分からないが。
「もう、許さないからァァァァァァァァァァッ!!」
マキーナは怒りのオーラをその背面に揺らめかした。その口角から炎すら吐き出しかねない勢いだ。充血した両の眼窩には怒りの炎が爆ぜ滾(たぎ)っており――そんな状態でマキーナは先の『代数』を越える分厚さを誇る『政治』のテキストを装備した。本能で。
マキーナの攻撃力が著しく上がった!!
「駄目! 武器は反則です!!」
行き掛かり上、レフェリーとなってしまったアニタが怒りに燃える美しくも凶悪な女凶戦士(バーサーカー)の背後にしがみついた。
「ロープ、ロープ!!」
戦意を喪失した対戦相手は必死で遁走を試みたが。
「今日という今日はァァァァァァァァァァァッ!!!!」
ズゴゴゴゴゴゴ、と言う擬音、絵文字を律儀に背負いながらマキーナは、腰の抜け掛かったジャニスの襟を握り掴んだ。
「い、いやあああああああん! 委員長、怖いよう!!」
演技半分……と言うか……半分はマジで怖いと言うこと。ジャニスは戦慄した。ちなみに、彼女のこの発言から察することが出来るが、マキーナはこのクラスで級長を務めている。
……まあ、この場合はあまり関係無いが。
級長でもキレる時はキレる。にんげんだもの。
「アンタのズボンも引きずり下ろしてやるからッ!!」
血管が大きく浮き上がったマキの右手が、ジャニスのトレーニングパンツの腰元に力強く掛けられた。
「……あのう、授業を始めさせていただいて宜しいですか?」
背後から誰か邪魔者が話し掛けてくる。
「うるっさいわね! 今、立て込んでるんだから後にしてッ!!」
邪魔者に対し、マキは即答。
「……はあ、それはとんだ失礼を……」
思いも寄らない反応を生徒から、それも級長から返されてしまった白髪の老担任教師は、そんな適当な反応しか取ることが出来ずにいる。
「しかしですなぁ……」
呟きながら、マキーナの背中に再度の異議申し立てを行う老教師。そんな状況にいち早く気付いたのはアニタ。次いで、硬直したアニタを確認した上で振り向いた、組み敷かれたままのジャニス。
「――あのう、始業時刻なんですが……」
マキーナはいよいよ爆発した。全く、一体何処の誰がこの自分の行動を掣肘(せいちゅう)出来るというのか。
「アンタもさっきからしつっこいわねッ!!」
いよいよマキは鼻息も荒く、振り向いた。場合によっては邪魔者の首を締め上げる覚悟を伴って。一人を殺すのも二人を殺すのも同じ――そんな危険なことまで考えていたかもしれない。
「授業を開始したいかと――」
だが、彼女が周囲の空気を裂きながら振り向いたその先には、いつも通りの柔らかく、穏やかな微笑みを湛えた老教師の顔が。その場で文字通りに、二度三度と飛び上がってから、自分自身を取り戻すことを果たせたマキは、それこそ平身低頭で教師に謝罪を行った。寛大な教師は特に雷を落とすこともなく、やはり常の表情で教壇へと戻って。
「――若さ、大いに結構ですが、皆さんもレディなのですから、場所は弁(わきま)えた方が宜しいかと」
教材を卓上に乗せながらの教師のそんな発言に、クラス中が大爆笑に包まれた。自分達の行動、遣り取りが他のクラスメイト達、特に男子達にも筒抜けだったことを間接的に教えられたマキーナは真っ赤になりながら、自席へと沈み込んだ。ジャニスもまた、半ば伸びきったトレーニングパンツを引き上げながらやはり、赤面して沈没した。
少し、ここでエテルナの教育制度について言及しておく。エテルナ政府(正式には【太陽系惑星連合特別自治区エテルナ共和連合】政府)は各教育機関――それこそ幼年学校は元より、準高等学校、高等学校、そして各種専門学校、大学に至るまで尋常で無い力を注いでいる。新時代を担う世代の健全的な育成を、他の何よりも勝る最優先事項としているのである。独立国家ではないので表現に問題はあるかもしれないが、『国是』であると表現しても差し支えないだろう。使う当ても無く、また生産に掛かる費用は元より、その維持を行うだけで多額の資金、資源をただただ浪費するだけの軍備などに国民の血税で成り立つ連合予算を注ぎ込むような愚は犯していない。警察機構以上の武装を有する組織、機関の存在はあるものの、あくまでも小規模なテロを対象とした程度の規模でしかない。
もっとも後日、この点が要因となってエテルナは泣きっ面を抱えることになるのだが、それは今は語られるべき時ではないだろう。
ともかく、エテルナは教育機関に大変な力を注ぎ込み続けて、今のこの時へと至っている。古来より、国家の多くが限られた国家予算からそれでも捻出しなくてはならなかった軍事費(防衛費という逃げた言い方を行う国もあったが)の尽くを教育機関に丸投げしている体制なのだ、と考えていただければその力の入れ様を想像出来るだろう。そして、そんな状態を更に窺うことの出来る一例がある。
エテルナには、私立の教育機関は一切が存在しない。
教育機関はその全てが、『国立』なのである。国民の一人一人が修学に要とする資金は全て、国庫から捻出される。『誰であっても』である。無論、既就労者に対しては全額の補助とまでは行かず、ある程度の制限が設けられてはいるが。
そして幼年学校(年齢目安:6才〜12才)と準高等学校(同:13才〜15才)に於いては徹底的な少人数制のクラス編成が採用されている。これは監督者である教師と生徒の接触を可能な限り密にするという狙いがあって発案された編成であり、実にエテルナ教育史の黎明期より、この編成は採用され続けている。幼年学校は概ね一クラス15名程度、準高等学校は一クラス20名程度と言うのが一般的なクラス編成だ。無論、男女の比率は極力、等しいものに調整される。
産めよ増やせよ――かつての多産の奨励政策の色は絶えて久しいものの、その流れは止むこともなく、静かに国民の間に流れ続けている。五人兄姉、と言うのは全く珍しい話ではないし、親類縁者の寄り合いで軽く50人を越えてしまうなど、当たり前の話だ。そして更に付け加えるのならば、太陽系からの移民希望者の数は一時期に比べれば頭打ちにはなったものの、決して著しく減少したわけではない、と言う事情もある。エテルナの人口は今もなお、爆発的な増加を続けている。
そんな状況下にあっても少人数制と言う編成をただの一度も崩すことなく、今現在へと至っているのがエテルナという国家――厳密に言えば特別自治区ではあるが、こう表現しても差し障りはないだろう――であった。多くの学校が年々新設され、等しい数の各専門教師もまた、次々と育成、配置をされていく。これはややもすると、どこかマスプロダクツ(量産)的な響きを伴って響くかもしれないが、各々の修学施設、教材等の類の質が劣ったものでは全く無い、と言う事を付け加えておく必要はあるだろう。
これらの例――他でも無いこの現実は、エテルナの国家予算にそれだけの余裕があるということの証明に他ならない。当然、軍事費の有無の問題だけでもない。
古今、これだけ高水準の学業体制が築かれた国家の例は無かっただろうと思われる。
そんな背景があって、20名にも満たない小クラスにおいての、いつもと代わり映えのしないクラス。クリスがいないだけの、クラス(Class without Chrice)。誰もがそう思っていた。
クリスの欠席に釈然としないものをマキが感じ続けている中にあっても、午前のカリキュラムは老教師によって、やはりいつも通りにゆったりと進行していく。『代数』を経て『国語』が終わり、果たして「あっ」と言う間の昼休みとなった。
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昼休みを告げるクラシックな打ち鐘が響き鳴らされるのと同時に、購買部への突撃を敢行する生徒達を尻目にして、マキーナとアニタ、ジャニスの弁当組は比較的、のんびり然として校舎の裏庭へと向かう。透き通った風が流れ、比較的良い天気でもあったので、マッケイ校の守護神、エテルナカエデの巨木の下でランチを摂ることとした。
ジャニスが常に携帯しているレジャーシート(バレーの練習の合間に時として、彼女はサボって昼寝を決め込むことが多いのである)を三人で協力して広げて、三人の乙女達は各々のランチボックスを開く。
『しっかし、まいったなあ。クリス、風邪でも引いちゃったのかしら……』
弁当箱の蓋に付着した米粒をまず始めに食べ除きながら、マキはその心に呟いた。両親には今日のこの日、クリストファを夕食に招待すると言う旨を伝え済みだ。お母さんは朝から張り切っていたけれど、料理はもしかして無駄になっちゃうかもな、等と考えを巡らせていると、小さく溜息が漏れてしまった。
「どうしました? 恋煩いですか、お嬢さん?」
マキの溜息に素早い反応を見せたジャニスが茶々を入れてくる。
「うるさいっ、大きなお世話よ――」
そんな茶々に突っ込みを入れつつ、その左隣のアニタがマキの玉子焼きを狙って差し込んできたフォークを自らの箸で素早く食い止める。達人芸。
「……チッ」
驚きを露骨に示して悔しがるアニタであった。昔のスパイ映画であれば『こいつ、後ろに目が付いているのか(驚愕)!?』と戦慄する場面であろう。だが、そんな益体の無いことをアニタが考えていた、正にその瞬間。
「カウンター!!」
振り向いたマキがその箸で素早くアニタのウィンナー(たこさん)をかすめ取った。この状況下――バトルロイヤルにあっては、やはり箸の方が圧倒的に有利だ。フォークにあっては目標物を突き刺さなければならないと言う微妙なアクションが要求されるのに対し、箸では正に文字通り、目標物をさらうことが可能なのだから。これは箸を手足の如く(足は余計だが)扱うことが出来るマキーナのささやかなアドバンテージであろう。対照的に、ジャニスとアニタは箸をほとんど使えない。
「うわあ――非道いッス!!」
かにさんウィンナーの隣に突如発生した空白領域に絶望に満ち満ちた視線を落とし込みながらアニタ。
「ほっほっほ。悔しかったら、お箸を使えるようになってごらんなさいな」
高笑いと共に木製の箸をこれ見よがしに鳴らしながらも、アニタの『空き地』へ自分の卵焼きを一つ、放り込むマキーナ・ローゼンベルクはどうやら、悪女(わる)には徹しきれないらしい。
「あ、ありがとうござーい」
大仰に頭を下げてくるアニタに対して、その胸を張りつつ自らの寛大さをアピールすることに余念の無いマキーナだった。
「フフフ……これからもユメユメ、精進を忘れないことざあますよ――ホホホッ」
「ミズ・ローゼンベルク、それは一体、何語なのザマスか……」
そんな二人が漫才を行っている隙を黙って見逃すジャニスではなかった。胸中で一つ、『チャーンス』と呟き、マキのボックスから培養鶏肉の唐揚げを素早く二つ、拝借した。その代価としては自分のミニハンバーグを詰め込むという仕上げの良さであった。
「大体、あの漫画ってさ……あれ?」
アニタに行っていた解説――先日、両親と共に観劇したさるお笑いコントについて――の手を止めて、自分のボックスに目を落としたマキーナがようやく、異変に気付いた。
「い、いやあああああああああッ!?」
敗者の絶叫が轟いた。
――しまった、敵は両翼にいたんだわ……迂闊だった!!
「これが本当の『漁夫の利』ってね。あらん、これ美味しい。マキのお手製よね、これ」
ジャパニーズスタイル(和風)で仕上げられた低カロリーの唐揚げの味に、舌鼓を打つジャニスは本当に幸せそうだった。
そして、ジャニスは更なる追い打ちを掛けた。
「『奢れる者、久しからず』、ってこの間の授業でやっていたわよね??」
ジャニスはただ、コロコロと笑い続けた。
そんな花の乙女達の食事風景を何とは無しに眺めていた男子達――とは言っても、絶叫やら高笑いやらは聞き耳を立てるまでもなく、ダダ漏れだった――は、呆れ半分、驚愕半分と言った感想を等しく抱え持っていた。
「なんかさぁ……女子ってすげぇよな……」
「クワバラクワバラってなモンだよ」
「まあ、アレも若ささ……」
同い年の女子達の『盛り上がり方』と言うのは、その『喧嘩』と等しく、男子にとっては到底の理解に及べるものではない。彼等にとって女性は『未だ知れない』生物以上のものではなかったのである。なお、この時は、一人の男子が『クワバラってそもそもどういう意味なのか』と発言したことによって、話題が転換されたと言うことを付け加えておこう。
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そんな一部の学生達にとってのみ波乱に満ち、通常の学生達にとっては極々穏やかなランチ・タイムが終了すると、自然、タイムスケジュールは午後のカリキュラムへと移行することになる。ただでさえ眠気を誘う午後の授業である上、今のアルタミラ市は一年を通じて最も快適で知られる初秋を迎えつつある。もっとも、首都でもあるアルタミラは赤道直下に近い位置に据えられていることもあって、特に過ごし難い季節があるというわけでもなかった。だが、それでも程良い湿り気を含み、暖かく凪いでくる風の心地良さは格別なものがあったし、始まったばかりの木々の緩やかな落葉は、新緑とはまた異なった得も言われぬ香りをその風に添えてくれる。多くの人間に、『素晴らしき秋』と表現させるのには充分過ぎる条件であった。
窓際の最前列、そこがマキーナの指定席だった。始業のベルは鳴ったが、担任教師はまだ来ない。そんな担任の隠れた趣味が写真撮影であることを思い出したマキは、もしかするとセンセイはご神木の近辺で何かしら、撮影意欲を大いに刺激されている最中なのかもしれないな、等と考えを至らせることが出来た。ざっとクラスを眺めてみるが、束の間の居眠りを決め込んでいる者、自発的に予習を行っている者、軽いおしゃべりに興じている者、様々だった。どの行動を執る気にもなれなかったマキは、頬杖を突いた状態で窓の外へと顔を向けた。
――とても、綺麗。
その風景のほとんどが黄色い落葉で占めている中、ご神木こと校舎裏のエテルナカエデが散らす真っ赤な葉が数枚、明かな異彩を放ちながら舞い飛んでいるのが確認出来た。窓際と言うことで、その開閉権と言うささやかな特権を持っているマキはそんな窓を少しだけ、開いた。この風に当たらないのは大変な損をすることに思えてならなかったのである。
ふわり。
一枚のエテルナカエデの真っ赤な葉が、自分の机の上に舞い込んできた。続いて乱入してきた一陣の風が、ノートの上に乗ったばかりのそんな赤い葉を踊らせる。
――うふふっ、かわいい
そんなカエデの葉が気心を起こして他の場所へと飛び去られるのはどうにも寂しく感じられたこともあり、マキーナはくるくると舞い踊っているそんな一枚を拾い上げた。手の平に満たない大きさの葉であるが、地球では人間の頭ほどの大きさに至る種類もあると聞いたことがある。恒星アポロンの日射しにそんな葉を翳(かざ)し、葉脈を確認していると突然、良い考えが脳裏に浮かんだ。
『風邪でも引いているクリスのお見舞いに持っていってあげよ』
と。
定時より遅れること約十分。老教師がようやく、入室してきた。午前中よりも疲労感を漂わせているようにマキの目には見えたが、自分と教師の間に横たわる年輪の違いに思いを至らせて、勝手に納得をすることは出来た。偶然、入手したカエデの葉をノートの最後に挟んで、号令を掛ける。それは、自分の仕事だったから。
「起立!」
着席、の号に続いて、生徒全員がその体を各々の座席に沈めてもだが、老教師はなかなか口を開こうとはしなかった。
「先生?」
思わずマキが小声で尋ねてみると、そんな教師はようやく、その皺に包まれ掛けている口を開き始めた。
「午後の授業を開始する前に、皆さんに悲しいお知らせがあります」
老教師はまず、そう切り出した。ほとんどの生徒は元より教壇に顔を向けていたが、居眠りの体勢を取りつつあった男子生徒が、そして携帯端末でさりげない『内職』を始めようとしていた女子生徒の何人かまでもが顔を上げる程に、常に無く寂しげな老教師の声であった。
「我がクラスの――」
教師は一度、咳払いを行った。
「――大切なクラスメイトである、クリストファ・アレン君が……ご両親の都合により、この学校を去ることになりました。本人立っての強い希望で、皆さんに知らせることなく出発したい、と言うことでしたので――ご報告が遅れてしまいました。仲のよろしかった方は後日……後日、手紙でも――」
マキは自分の耳を疑った。老教師の言葉は自分の耳朶(じだ)、鼓膜に届いてはいるのだが、その内容、話しているところが全く理解出来ない。或いはこれは夢なのか。自分は、昼寝でも決め込んでいたのだろうか?
否。現実だ。そこまで、自分自身を見失ってはいない……筈。
でも。それでも。
――せんせい、あなたなにをいっているんですか?
「――後日手紙でも、と言いたいところなのですが……」
老教師の言葉も歯切れが悪い。年齢が年齢であったから、時として言葉が聞き取り辛いことはあったが、こんな口振りを耳の当たりにするのは初めてだった。そこで、一人の男子生徒が手を上げた。
「結局のところ、クリスは何処に行ったんです? 北半球とかですか? 或いはイザヨイとか??」
男子生徒のこの質問は実に、思考回路が完全に停止してしまっているマキ以外の全員の質問を代弁したものだった。この男子生徒が挙げた『北半球』とは、文字通りの意味で、この場合は『ネェル・ヨコハマ市』と『イン・バルト市』の二つの都市が含まれている。なお、エテルナ本星には都市はこの三つしか存在していない。そのいずれもが、人口10億以上を抱える超巨大都市ではあるが。そして、彼が後者として挙げた『イザヨイ』――これは惑星エテルナが有している三つの衛星の内の一つの名称であり、今現在、もっとも開発が盛んな衛星である。余談だが、残り二つの衛星の名前は『クレサント』、『リリス』と名付けられている。
北半球かイザヨイか――これは、冷静に考えれば誰もが辿り着いたであろう推測だった。
だが、続く老教師の言葉は全員のそんな推測予測を大きく砕くものとなった。
「地球です。人類、発祥の地です……」
そんな言葉が生徒達の間に連鎖反応を巻き起こすのには、数秒の時間が必要だった。
「ち……ちきゅう??」
質問主の男子生徒が、腰を浮かせた状態で固まってしまった。そんな生徒に等しく、いや、それ以上に石像の如く硬直してしまっている自分自身にマキーナは気付いていない。
「……皆さん、ご存知のように……地球はここ、エテルナより276光年も離れた太陽系にあり、現在の航行技術をもってしても片道、二年半という期間を必要とします…。それ故にクリストファ君は皆さんにお別れを告げるのが辛かったのでしょう――」
老教師が続ける言葉を、やはりマキは他人事のように聞き続けた。
「――どうかどうか、彼を責めてあげないで下さい。到着までにかなりの時間が掛かりますし、無事に手元に着くかどうかもおぼつきませんが、仲のよろしかった方々は手紙を書いて差し上げるのも良いかと思います」
そう締め括られた老教師の言葉の後、重く立ちこめるような静寂で教室は満たされた。
薄く開かれた窓から飛び込んでくれる風がひゅう、と風鳴りを立てるだけ。
「……なんだって今時――地球なんぞに」
一人の男子生徒が天井を見上げながら、ぼそりと呟いたのを皮切りに。
「エテルナから地球に戻るなんて話は初めて聞くわね」
「普通、逆だよなあ」
「一体何が……あったのかしら」
生徒達は皆、一様に不思議がっている。それほどの珍事、なのであった。人類初の移民惑星であるエテルナ。人々が次から次へと移民として流入してくることはあっても、その逆――つまり、エテルナから地球への敢えて言えば『逆移民』との表現にでもなろうか――そんな話は絶無に等しいものだったから。
実際のところ、今現在も定期的に訪れる移民船団の多くが、その帰路は貨物船団としての様相を呈すことは半ばの常識となっている。本来の『積み荷』である人間、乗客の数が絶対的に少ない為である。
誰が今更、資源の枯渇も始まり、フロンティアを失ったに等しい地球、太陽系へと好き好んで戻ろうか? 人心の荒廃と、それを根底とした治安の悪化がここ、エテルナにあっても伝えられて久しいと言うこともある。そんな背景があるので、生徒達のこの反応は至極当然のものだったと言えるだろう。
――もしかして。クリスは、彼は昨日、お別れを言おうとしていたのかも?
そんなマキーナの思い付きが断定に取って代わるのに、長い時間は必要なかった。ふと、視線を感じてその顔を後ろに向けると、痛々しい視線を自分に注いでいるアニタとジャニスの顔が目に入った。そのどちらも等しく、泣き出しそうな顔になっていた。
「大丈夫よ、私なら」
微笑みを浮かべるのは大変に難儀な作業だったが、それでもマキは二人の友人に対してそんな言葉を向けることが出来た。もっとも、本人は自覚していないところであったが、そんな声は弱々しく擦れてしまい、そして引き攣った微笑みは痛々しい印象しかもたらすことが出来ず、二人の友人に安堵感を提供するものには成り得なかったのだが。
「それでは、午後の授業を始めます……ファンクションキーの『8』を入力して下さい」
教卓に内蔵されているキー・パネルを叩いて大型スクリーンを展開させながら、老教師は厳かに授業の開始を宣言した。未だにざわめきを止めるところのない生徒達であったが、講義が開始されていくとそれなりに鎮まっていく。
機械的に自分の端末を開きながら、マキーナは一つ、心を決めた。
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授業が開始されて三十分ほどが経過した時のことだ。立体化された歴史映像に全員が見入っている内に、マキは自分の鞄を抱えて静かに教室を抜け出した。これは彼女にとって、生まれて初めてのサボタージュであった。ジャニスとアニタには何も告げずに退室を行ったのだが、そんな二人は恐らくは気付かない振りを装ってくれたのだろう。教室の中央に表示されている立体絵像を全員で囲む形での映像鑑賞とは言え、両隣の二人がマキーナの動きに全く気付かなかったとは、とても考え難い。
無人の廊下を、限りなく駆け足に近い早歩きで進む。目的地は校舎屋上に設けられているパーキング・エリア。そんな途中で一人の教師とすれ違い、背中に声を掛けられた気もしたのだが、敢えて聞こえなかったこととした。
昇降口に程近い位置に停めておいた愛機『スカイ・ラビット』に跨り、スチール製のカード・キーをバイクに認識させる。流れる動作で、イグニッションを点火。今のマキの精神状態に反して軽快な駆動音を愛機は立ててくる。ヘルメットの装着は省略し、その代わりにゴーグルを片手で速やかに装着。
――取り敢えずはクリスの、アレンの家に行ってみなくては。
彼女のそんな決意は自発的な意志の発露と言うより、強迫観念の側により近かったかも分からない。暖機を全く行わず、マキーナはエア・バイクを一気に跳躍させた。この急激な機動に対し、コントロールパネルに【CAUTION】の文字を浮き上がらせることで愛機が抗議を示してきたが、気にしている余裕は無い。高度計を一瞥し、スロットルを全力で捻る。
マキーナ・ローゼンベルクの駆るエア・バイクが空に舞った。
――視界が悪いなぁ。
猛スピードで風を裂くように飛行している中、視界不良の原因に彼女は考えを巡らせる。ゴーグルの内側を濡らしているものが、自分の涙であることに彼女が気付くのにはもう少しだけ、時間を必要とした。
スピード違反(70キロ超過)、規定高度無視(高度14メートル超過)の賜物か、学校の屋上を飛び出してより僅か五分と言う信じられない短時間で、マキは目的地であるテナフライ居住区に到達を果たすことに成功した。
過剰労働に不平不満を漏らしつつ、それでも主(あるじ)をきちんと目的地まで運ぶことに成功した『エア・ラビット』は、ようやくその羽を休ませることを許された。涙でベトベトになったゴーグルを振り落とすようにして外し、キーを引ったくるように抜き取ったマキは、そんな健気な愛機の固定もそこそこに、アレン家の前庭へと一歩を踏み出す。庭いじりに興味の無いクリスは元より、その両親も普段から研究室へと籠もりがちだったため、お世辞にも管理が行き届いた家、とは表現出来ないものの、確かに常ならぬ雰囲気が感じられるのは気のせいだろうか。
芝生が伸び放題となってしまっている前庭を大股で横断し、クラシックな造りのドアノブに手を掛ける。
開かない。
二回、三回とノブを回す。引く。押す。結果は同じ。四回。五回、六回……。
――嫌だ、こんなの。
――嘘だ、嘘だ、嘘だ。
腰が抜けた状態となり、マキはその場で力無く座り込んだ。つい先日、母親に購入して貰ったばかりのお気に入りのミニ・スカートが埃にまみれていることを気遣う余裕もなく、露出した膝部で、ただひたすらに玄関先の合成木材の感触を味わい続けた。
その場で、何をすることもなく、ただ呆然と数分余りを過ごして。
崩れ落ちそうな体と、グシャグシャになった心を引きずりながらも、マキーナ・ローゼンベルクは自分の肉体をどうにか立ち上げて、愛機の元へと運んでいった。だが、バイクに跨ったその瞬間、彼女の涙腺が活動を再開することになってしまった。エネルギータンクの表面が、パネル面が夥(おびただ)しい量の塩水で覆われる。
――嘘だ、嘘だ、嘘だ……。
千々に乱れた心を掻き集めても行動が起こせない。半ばの条件反射で自分の右手が、イグニッション・レバーを押し込んだ。やはり軽快な駆動音を立てつつ、『スカイ・ラビット』はその周囲の大気を鳴動させた。
そんな愛機から排出される風によって、路上に積もった埃が落ち葉が、浮き撒かれる様子をマキはただただ、静かに観察し続けて。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああっ――!!」
愛機のシートに片膝を立て、天空にその顔を思い切り、向けながら。
マキーナは泣き叫んだ。
通りを行く数名の人間が胡乱な目を自分に向けてきていることはわかってる。
あたしは、みっともない。
それもわかってる。
でも、勘弁してよ。

