2803年01月01日

第I光:『覚醒』 第二章 人の類の性(さが) - I


 漆黒の宇宙空間に浮かぶ一滴の水玉、地球。そこで発生した知的生命体は今や他の恒星系にまで進出するだけの宇宙科学技術力を手に入れた。
 だがしかし、移民惑星である【エテルナ】の目覚ましい発展に比べ、水を空けられたのが人類発祥の地である太陽系第三惑星『地球』を中核とする連合国家、【太陽系惑星連合共和国】だった。様々な分野での新技術の開発……特に、宇宙技術関係においてのそれは、エテルナ側の独壇場となりつつあったと言っても良い。
 これは太陽系内においては、その系内における探査、調査が概ね完了している事に対し、アポロン星系にあっては、未だにその全容が解明されておらず、太陽系内では需要が少なくなったこの分野の技術を改めて再考、発展させる必要があった事が一番の理由として、挙げられるかもしれない。必要は発明の母、と言う先人の言葉は決して、大袈裟なものでは無かったのだろう。
 そんな『必要』に応じ、より高度な技術にて建造された探査衛星(有人含む)はアポロン星系全体に相当数が投入され、その結果、植民直後の概算調査期間を大幅に短縮した、12年と3ヶ月、と言う短期間で系内の全容把握へと至らしめる結果となった。

 根幹としてあった宇宙科学力を無視するわけには行かないが、地球から発生した人類が、その系内の全容を把握するのに二百年以上の歳月を消費する必要があった事を鑑みると、これは尋常でない高速度であったと言えるのでは無かっただろうか?

 そして、植物に始まる遺伝子改良技術の進歩も無視できない要素であった筈だ。地球に酷似している環境とは言え、エテルナの生態系は自ずと異なっていた。
 ここでは生態系、と言う言葉を用いたが、厳密に言うとエテルナには生物は存在せず、植物にしても、原始的な羊歯類の存在だけが認められていた。恒星アポロン、それ自体の年齢に関しては今も尚、調査が続行中であるが、太陽以上に若い恒星である事は確実視されており、第四惑星エテルナにおける生態系は進化の途上にあるのではないか、と言う見解が一般的である。

 初期植民時代のエテルナの人々はそんな特殊な生態系の保護と、実際問題としての自分たちの食料の完全自主生産と言う、二律背反的な悩みに頭を抱える事になった。
 無制限、無作為に地球上の植物を植林すれば、エテルナ本来の生態系を駆逐してしまう恐れがある。だが、食糧のある程度の自給、それはそれで早急の課題、いや命題に他ならない。いつまでも地球本星からの物資に頼るわけには行かないのだから。
 そのどちらの問題も解決する方法が、たった一つだけあった。遺伝子改良技術である。次の世代を一切残さない、生物としての本質を拒絶する技術ではあったが、これ以上の解決策は見当たらなかった。エテルナ在来種の植物の調査、及びオリジナルの確保も同時に行われ、この問題は一応の決着を見る事にはなった。

 完全な解決策となったかどうかは定かではない。そもそも、生物自体が生態系を営んでいなかった『エテルナと呼称した惑星』に、ちっぽけな人類が入植をした、と言う状況を冷静に鑑みれば、それこそ、傲慢な自己満足に過ぎなかったとも言えるかもしれない。

 それもまた、人の営むところではあるが。

 そして、そんな神経質なまでの徹底管理は、結果的に遺伝子工学に関する技術を飛躍的に進歩させる事ともなった。先にも触れたが、地球起源の植物には完全なる遺伝子改良が施される必要があったからである。
 余談ではあるが、この禁を破った者に対しては『殺人』と並ぶ刑罰が設定された事からも、その徹底振りが自ずと把握できよう。

 牛や豚、鶏などを始めとする食肉においては、完全に培養品となっており、植物と同様に『栽培されている』と言う感が強いかもしれない。魚類にても同様である。西暦2800年代において、実験的にエテルナの海における魚類、貝類の養殖計画が進行中ではあるが、基本は培養による採肉である。
 生態系と言うスパンは百年、二百年では判然としない。結果が出るのは千年単位後であろう、とある生物学者は述べたものだ。現在のところ取り敢えずは、エテルナ在来種の植物が地球起源のそれに駆逐され、絶滅した――等と言う調査結果は出ていない。

 ある程度は仕方が無いよな――と、若干の罪悪感を含めながらのこの考え方は、多くのエテルニアンが等しく抱いているものであっただろう。実際問題、現実問題として、食材が増える事を期待しないエテルニアンは極少数だった。その多くは、地球古来の、或いは新たな食材が自分たちの食卓に上る事を切望して止まなかったのだから。

 ともあれ、深刻な問題が発生せず、今や地球本星とほぼ同じ物を自給できている、と言うのはエテルニアン達が誇りとするところである。その点で、彼等は今でも初期入植者達の事を称えて止まない。
 入植記念日とされている7月30日には入植当時の食事を再現し、『ご先祖様達』に対する感謝の意を深める、と言うのはほとんどの家庭で行われている代表的な儀式だ。

 フライド・チキンとマッシュ・ポテト。

 このシンプルな食事は、確かにエテルナ入植初期の人々を支えた献立だ。スパイスも何もなく、味付けは塩だけ。

 この貧しい食事を敢えて、その日の食卓に並べる。その味気無さに現代のエテルニアンは毎年、驚き、嘆く。その反面、自分たちの現在の繁栄が『ご先祖様達』無しにはあり得なかったこと――を言葉に依らず、認識できるのである。【シュバリエ・プレート】とも呼ばれるこのセットメニューは、当然、初代移民船団長であり、【エテルナ】の名付け親ともなったシモーヌ・シュバリエにちなんだ物である。

 宇宙科学、そして遺伝子工学においても目覚ましい発展を今も尚、遂げているエテルナ。

 エテルナは、過去歴史上の新国家の例に違わず、その有り余る無形のエネルギーをいかんなく発揮している。人種差別も社会的階層も無く、学業、就業体勢も正に平等そのものだ。
 『理想郷と言う言葉はエテルナの為に創られた』
 これは取材として訪れたものの、そのままエテルナに住み着いてしまった、地球はアメリカ自治区出身のジャーナリストが残した言葉。


   ◆ ◆ ◆


 さて。それでは、人類が発祥した太陽系においてはどうなのだろう?

 新技術の多くがエテルナの独占するところとなった、とは先に述べたとおりである。確かに、地球本星内においての内乱、そして各惑星自治国家との悶着は常に無く発生しており、明らかに効率的とは言い難い運用ではあっただろう。だが、それでも完全に活力を失っていたわけではない。
 何しろ、【ネビュラ・リーヌ】と言う自然現象を利用してはいても、276光年彼方に多くの人々を送り出す力があったのだから。

 最初は目に見えない程に小さな切っ掛けだったのかもしれない。エテルナにおいて革新的な技術が確立された――エテルナ製の無人衛星がその系内の探査の為、衛星軌道上より射出された――等と言うニュースが続くようになった。

『エテルナの人達、頑張っているんだな』
 エテルナ入植の当初、多くの太陽系人は、自ら志願したとは言え、劣悪な環境下で過酷な労働を強いられている初期移民者達に対して同情の念を持っていたので、その様な報道を好意的に受け入れていた。だが、次第にエテルナの技術力、生産力が上がり始めた時、人々は気付く事になったのである。

 エテルナの目覚ましい発展に対し、太陽系においては同等の発展が見られない、と言う事に――。

 移民希望者達は急増した。旧態依然の体質が根強く残る、太陽系に見切りを付けた人々だ。優秀な科学者、技術者のエテルナへの流出が深刻な問題となり始めた。

 最初はそれでも、誰もが楽観的だったかもしれない。だが、景気の低迷に歯止めは効かず、元よりその色合いは強かったが、政治は完全に衆愚と堕し、政治家は自己の利益の追求と保身のみにその精力を注ぎ始めた。犯罪は増加の一方を辿り、各都市部の至る所で銃の乱射事件や、猟奇的殺人事件等と言った凶悪犯罪が連続的に発生するようになった。尚かつ、その増加に対応しきれない警察機構の検挙率は低下していった。自らの将来を悲観した自殺者の数も急激に増加。

 これが、西暦2800年代の太陽系の現実だった。

 だが、何よりも太陽系惑星連合において致命的な痛手となったのは、2805年に勃発した火星自治区政府による叛乱であった。長い年月と、気が遠くなりそうな天文学的金額を投入されてテラ・フォーミング(地球環境化)を施された火星であったが、突如、その自治領政府が独立を宣言したのである。
 独立宣言より一分遅れで太陽系惑星連合に宣戦を布告すると、本来はその太陽系惑星連合火星方面軍所属であった宇宙戦闘艦艇が、地球の衛星である月、及び木星周辺のスペース・コロニーへ向けて侵攻を開始する様子を見せ始めたのである。その軍事的規模は当時の太陽系惑星連合軍の30%にも値した。

 全軍の三割、と聞けば、大規模だが深刻な物では無いのではないか、と思うかもしれない。だが、これは数字のマジックに過ぎない。太陽系惑星連合軍――この場合は正規宇宙軍だが――の全戦力が、一点に集中していた訳では無かったのだから。

 水星の宙域から、或いは冥王星付近にて配備されていた戦力だってある。

 事実、【第一次火星沖会戦】と呼ばれたこの戦争――いや、内乱において太陽系惑星連合宇宙軍が反乱軍に対して投入できた即時戦力というのは、辛うじて同数だった。

 ここに、人類史上で初の大規模な宇宙戦争が勃発した。


 劣化ウランを仕込まれた実体弾の十字砲火、そして開発されてから一度たりとも人間に――正確に言えば人間の乗っている機体に――対しては放たれた事の無かった新兵器レーザード・ランチャーの嵐が戦場を吹き荒れ、ミサイルの雨が戦場を蹂躙した。最新鋭航宙戦闘機ワイヴァーンが激烈に過ぎるドッグ・ファイトを展開し、多くのパイロットが星間物質へと強制的に還元される事となった。言うまでもなく、パイロットには限らなかったが。

 そんな血で血を洗う様な激戦の末、太陽系惑星連合軍は辛うじてその鎮圧に成功するものの、火星の主要都市部の消滅、半数近くに昇る海産物養殖プラント及び農耕プラントの完全破壊、と言う実りの無い結果を得る事になった。
 ……そして何よりも数千万を越える推定死亡者数は、人々を戦慄させる事となった。唯一の救いは火星本星において最大の人口を抱える首都、スキャッパレリの被害が皆無に等しかった事だけ。

 火星における経済活動は主要都市部が大きすぎる打撃を被った事もあって、完全に停止。次いで、工業、農業の生産力も事実上ゼロとなり、これを皮切りに深刻な不況の風が太陽系内を駆け抜ける事になる。火星それ自体の経済力、生産能力は地球本星に続くものだったのだから、当然と言えば当然の事だろう。

 そして、その不況から抜け出せる要素が……当時の太陽系惑星連合には存在しなかったと言える。前後するが、様々な分野における新技術、開発が正にエテルナの独壇場となり始めていたのも、この頃だ。

 転落は早い。経済だけに限らないのかもしれないが。


   ・
   ・
   ・


 そんな状況に、『油』を注ぐ出来事が起こったのは、西暦2808年の6月であった。

 逼迫する財政状況に業を煮やした太陽系惑星連合政府は、手っ取り早い解決策を打ち出した。実用化されたばかりの高速星系間通信によって、エテルナ側に税率の引き上げを勧告したのである。
 自治権を与えてあるとは言え、所詮、植民惑星に過ぎないエテルナに拒否される筋合いは無い筈だ――そう豪語して、時の連合議会上院はこの勧告発令案を半ば強引に可決した。
 さて、素早い返信が来た。当時の連合政府主席マイケル・クレメントはお気に入りのジャスミンティーを片手に、当時の流行歌を口ずさみながらその内容の確認に入った。

 返信が早いとはなかなか殊勝な心がけだ――と。

『顔面蒼白というのはああいうものだったのか』
とは、その次席秘書官が後に語ったところである。蒼白の大統領閣下は正確に五回、その内容を確認した後、その場で卒倒してしまい、軍の救急医療センターに担ぎ込まれる事となった。

 その内容はと言えば税率引き上げの拒否どころではなく、なんと『独立宣言』だったのである。

『今や、我々は完全に自らの手でその運営を司っている。植民星系国家ではなく、自治星系国家として、太陽系より独立をさせてもらう時が来た』

 もっともに過ぎる言い分である。人類史上、時代、そして場所を問わずに幾度と無く繰り返されてきた事だ。陳腐な言葉を用いれば、歴史の必然とでもなろうか。

 エテルナは、一両日中に『エテルナ共和自由国』とその名称を改める事を公表した。

 それまでは、太陽系から超越した別の星系に位置していながらも、『太陽系惑星連合特別自治領エテルナ』とされており、その名称からして植民地同然の扱いであった事は明らかであったし、その点に関して強い不満を抱えているエテルナ国民は決して少なくなかった。
 そもそもが、太陽系からの援助が生命線であった惑星開発初期ならばともかくも、今や一切を自分達で自給自足出来るだけの経済力、そして工業力を持っているにも関わらず、全GNPの10%を搾取される、という状況に対して不快感を覚えている人間は、更に多かったために、この独立宣言はエテルナ国民達の圧倒的多数の賛同を得る事となった。
 余談になるが、この時に太陽系連合がエテルナに課そうとした引き上げ率は10%増で、エテルナ全GNPの20%、というものであった。

 この独立宣言を受けて、エテルナに対して高圧的に臨むべきだ、という声は決して少なくはなかったのだが、何も打つ手を決める事が果たせなかったのが当時の太陽系惑星連合政府であった。議会は上院と下院の『怒鳴り合い』を装っただけの『馴れ合い』に終始し、エテルナ独立宣言を受けて一ヶ月が経過しても何ら、実りのある政策を打ち出せない。そして、そんな状況は一年間近く、続く事になる。


 ――そして火が放たれた。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第二章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2802年01月01日

第I光:『覚醒』 第二章 人の類の性(さが) - II


 太陽系第三惑星、地球が所有する唯一の衛星、月。

 かつては『静かの海』と人間の身勝手な都合で命名され、呼称されていた場所に、月面都市の中でも最大の規模を誇る都市【ルナ・ヘヴン】は存在する。
 ルナ・ヘヴンは人類初の月面都市でもあり、そして地球以外での天体における初の人工都市でもあった。このルナ・ヘヴンと、それより以前に建造された数千人の居住を可能とする数基のスペース・ステーションを足掛かりとして、人類はその活動領域を少しずつ少しずつ、拡大していったのである。
 まずは、もっともテラ・フォーミング(地球環境化)が容易だった火星、次いで金星。近年にあっては、エテルナへの移民船団がここ、ルナ・ヘヴンより進発していった事が記憶に新しい。
 月面の重力は言うまでもなく、地球上の6分の1でしかない。低重力が人体に与える悪影響に関しては、人類が宇宙空間に進出した古き時代より謳われて久しいが、実のところ、それほどのネックとはならなかった。ややもすると骨から流出してしまうカルシウム分はより進歩した錠剤――通称、『Cカプレット』や、その他諸々の薬剤の投薬などで簡単に補う事は出来たし、何よりも二百年程前に発明、実用化された【重力制御機関】の存在が大きい。
 開発当初は高価で、病院や福祉施設などごく限られた地域にしか設置されていなかったそれはだがしかし、メーカー同士の激しい開発競争も手伝って、どんどん安価になっていった。今となっては重力の低い場所を見付けるのが至難の技となっているほどである。
 そして、そんなルナ・ヘヴンの都市最北端部に本社、工場、研究所の全てを構えるのが、太陽系内最大の複合企業、【ラリー・インダストリー】である。ラリー・インダストリーは、一般市民の月面や火星への移住が本格化した頃に設立された企業で、主に宇宙船舶(当然、軍艦も含まれる)の建造、整備などを請け負っている。その技術力は非常に高く、この宇宙船舶業界において七十%以上のシェアを常に維持する事に成功しており、業界内では抜きん出た存在感を誇っている。

 そのスケールの大きさは、ルナ・ヘヴン住民400万人の約半数がラリー・インダストリーの社員、もしくは関係者である、と言う事実からも把握できよう。



 ――さて、場面はそんなラリー・インダストリーの特殊ドック兼研究所へ移る。

 公称は地上25階立ての施設ではあるが、実はその直下100メートルに、コード【AAA(トリプル・エー)】と銘打たれた社外秘の研究所、及びドックは存在した。ラリーが数多く抱える優秀な技術者達の中でも、特に優れた者達だけに入る事を許されるエリアである。

 ここで、ヒムラ・キリオとその仲間達が初めて、歴史の表舞台に登場する事になる。

 時は西暦2809年。エテルナの独立宣言より、一年が経過していた。


   ◆ ◆ ◆


「聞いていますかっ!? 主任!」
 極秘コード【AAA】という重々しいネーミングを誇るドックにあってはまるで、似つかわしくない明るい声が響く。声の持ち主はこれまた、この様な場所には不釣り合いな若い女性だった。
「――んぁ? ……何だ?」
 主任と呼ばれた青年が書類の束と格闘を行いながら、生気の乏しい声で言葉を返してくる。
「他に誰がいるんですかぁ――ちょっとココの配線が分からなくって……組み上げたのは主任ですよね? 確認してもらえませんかぁ?」
 ……ここは、栄えあるラリー・インダストリーの極秘の、開発エリアだ。決して、ハイスクールではない。主任と呼ばれたそんな青年は、いかにも面倒くさげに携帯端末を自分の手提げ鞄から抜き出した。該当の設計図面らしいデータを呼び出して、素早く目を通す。
「分からない、ってこたぁないだろう……ちゃんと図面通りになっている筈だぞ」
 間違いなく、つい先程自分が手掛けた部分だ。ミスをする様なポイントでは断じて、無い。だが、相手の女性は引き下がらない。いや、引き下がれなかった。
「でも、第13ラインから38までがズレ込んでいるようなんですよぅ?」
「ふう、どれどれ――あ、本当だ。スマン……」
 主任は溜息混じりの謝罪を行った。うっすらと生えてきた無精髭をさすりながら、一体、まともに髭を剃れたのは何日前のことだったか――等と考えてしまう。
「……最初ッから、やり直した方が早いな……ああ、メンドくせ」
 どうやら今日も自室には戻れそうにない。主任は天井を仰いだ。逃げたい。
「――主任、そろそろ休憩タイムにしましょうよ……疲れているみたいですし」
 疲労感を存分に臭わせる負のオーラを露骨に発生させている上司に向かって、女の子は両手でTのマークを作りながらそんな提案をしてきた。
「……まだそんな時間、経ってないんじゃない?」
 健全な提案だ、とは感じたが、口を突いて出たのはそんな言葉だった。そんな生ける屍――主任に対し、呆れた様子で彼女は腕時計を突き出してきた。時計は午後十一時ちょうどを示している。
「もう六時間ブッ続けですよ! 私達が篭ってから!」
「むうん、確かにこれ以上、つまらんミスが続くのもなんだしなぁ……そうするか」
 心が揺れる。出来れば、もう少し区切りの良いところまではやっておきたかったが。
「そうしましょう!」
 と、相棒の彼女はスパナを持った左腕をグルグルと回した。
「――だね。では、すまないんだがコンピュータを待機状態にしておいてくれる?パスロック掛けるの、忘れないでね」
 心にこびり付いていた、ちょっとした逡巡を相棒のそんな行動が見事に吹っ切ってくれた。主任は自らの手袋を外しながら、苦笑気味に答えたものだった。
「はい、分かりました」
「頼むよ」
 念を押して、青年はすっかり機械油で汚れてしまった作業上着を脱いで、テーブル上に無造作に置かれていた社章の大きく刻まれているブルゾンを着込んだ。その腕の部分に名前を示すローマ字が打ってあり、そこには、大文字で『H・K』とだけ刻まれている。
「終わりました! スタンバイへの切り替え、確認!」
 満面の笑顔で報告を行った彼女だったが、当の主任は虚空を見つめたまま何か考え事をしているようだ。
「…………」
 その何時に無く真剣な表情に思わず見入ってしまった彼女だったが、
「……ヒムラ主任!!」
「――ン??」
 二度目に声を掛けた時の彼の顔は、いつもの緊張感の無いそれに戻っていた。
「終わりましたよ」
「ああ、ご苦労さん」
「……あのう………?」
「何だいシャリー?」
「カフェに行くんじゃないんですか?」
「――ああ、そう言えばそうだったねぇ」
「……………」
 二人は開発エリアを後にした。エリアの出入り口には管理コンピュータが設置されており、そこでまず二人は自分のIDと暗証番号を、それから網膜及び掌紋の照号を経てようやく外部と連結をするエレベーターに乗り込む事が出来るのである。
 ちょっとした休憩に赴くにしてもこの手続きを省く事は出来ない。このフロアーが『極秘』のコードを持っているのは、伊達では無かった。

   ・
   ・
   ・

「お腹ペコペコですねぇ」
 そんな二人組はようやくカフェテリアに到着した。時間が時間なだけに、他の社員達の姿はほとんど見られない。手近な席に腰を降ろすと、来客を悟ったテーブルがウインドウ・モニターを展開してくれた。今現在、注文可能なメニューがイラスト入りで表示されている。
 ヒムラ青年は和食御膳を、シャリーと呼ばれた女の子はサンドイッチとコーヒーのセットメニューをそれぞれ注文入力した。テーブル上のコンベアーに乗って、先にサンドイッチが、続いて和食御膳が流れてきた。実に迅速だ。
「あ、いいよ俺が払っておくから」
 胸のポケットに手を入れ掛けたシャリーを手で制しながら、ヒムラは自分のブルゾンの胸ポケットから一枚のカードを取り出して、テーブルの中央に備え付けられている赤外線式のカード・リーダーに通した。軽快なチャイム音が鳴って、支払いが終了した事を示す。
「えへ、ラッキー。ゴチソウサマでっす」
 両肩を竦めさせながら、シャリーがその顔をほころばせる。
「いやいや。こんな夜更けまで付き合ってもらってんだから、このくらい安いモノですよ、グルーミングさん」
 半ば、芝居めいた物言いをしながらカードを無造作に胸ポケットに放り込む。二人分を合わせて5アースにも満たない。社員食堂であるから、安くて当然だが質は悪くない。天下のラリー・インダストリーだからであろう。
「確かにそうですねえ。――今度もっとマシなもの、オゴって下さいね」
 シャリーは首を思い切り傾けながら、ヒムラ主任の顔を覗き込んできた。
「……考えておきましょう。さ、食べようよ。冷めちゃうぜ」
 巧く誤魔化された気もしたが、実際のところ、シャリーもかなり空腹だったので、それ以上の追求を当座は避ける事にした。
「「いただきまーす」」

   ・
   ・
   ・

 二人は、しばらくは無言で各々の食事の摂取に努めた。話題がまるで無い訳では決して無いのだが、それほどに両者の疲労感、空腹感は根強かったのである。そんなカフェには有線かラジオかは分からないが、妙に浮ついた流行歌がひたすら、耳障りに流れている。
「――最近の歌は分からんなぁ」
 この食事を開始してから初めてのヒムラの言葉である。
「最近に始まったコトではないじゃないですか、主任の流行音痴は」
 辛辣な言葉を容赦なく返してくれるシャリー。勿論、嫌味を含んだりしているモノでは断じて無い。
「そりゃ、認めるがね」
 キリオは部下の発言を率直に肯定した。
「……でもね、最近の歌は確かに面白くないですよ、実際。オリジナリティが皆無、っていうか」
 これは先の言葉の返し方が辛辣に過ぎたな、と自覚したシャリーのささやかなフォローだったが、当のヒムラ主任は焼き魚の骨を取り除くのに余念が無く、
「まあ、そんなモンだろ」
 と言う生返事しか返さなかった。そんな中で再び、無言の内での食事が開始された。シャリーの方は軽食と言う事もあって、最後の玉子サンドを残すのみとなっているが、上司であるヒムラ主任の箸の動きが妙に緩慢なのが気になる。膳の中のどれもが、少しずつだけ残されているのである。
『早飯ナンタラ芸のウチ』
 などと普段、豪語している人物とは思えない。
 だがしかし、緩慢なのはそんな箸の動きに始まった事では無かった。今日と言う日が始まってから、彼の行動の節々にそんな緩慢さは確認できたし、主任らしくも無いイージー・ミスがどうにも続いていた事をシャリーは、ずっと気に掛けていた。
 偶然、この日はヒムラとシャリーの二人だけによる軽作業であったのだが、普段のように多くのスタッフ達と作業を共にしていたとすれば、そんなヒムラ主任の『らしくなさ』は噂好きなスタッフ達の間に様々な憶測を呼んだ事だったろう。
 玉子サンドを手に掴み取ったままの状態で、シャリーは思い切って口を開いた。気になって仕方が無い、という事もあった。
「あのう――主任? ……何かあったんですか? 何だか、何回話し掛けても上の空だし、いつもと違いますよね」
 ヒムラ主任は部下のシャリーが神妙な面持ちを作っている事に、少なからず驚いたようだった。それでも箸の動きを止める事はなかったが。
「――そうか?」
「ええ、なんだか……らしくないなぁ、って」
 ヒムラは箸を置いて味噌汁椀の蓋を取った。熱い湯気が静かに揺れた。
「――なあシャリー、仮に、俺等が軍属になるとしたらどう考える?」
 想定外で想像外の言葉を上司からカウンターされてしまったシャリーは、サンドイッチを皿の上に落としてしまった。
「い……いきなり何を言うんですかっ!?」
 ヒムラの方は、自分のペースを守って赤出汁の味噌汁を傾けながら、
「どうやらそうなってしまいそうなんでねえ」
 等と、更にとんでもない事を言ってくれた。自分達が所属しているこの会社【ラリー・インダストリー】は、軍関係の受注を多く受けているとはいえ、純粋に民間企業である筈だ。シャリーはいよいよ、混乱を覚えた。
「ちょ……ちょっと待って下さいよ! そんなの初耳ですよ!?」
 半ば、身を乗り出しながらシャリーは捲し立てた。その性格、極めて剽軽(ひょうきん)――として内外に関わらず知られている彼女の上司であったが、幾らなんでもこんな物騒なジョークを飛ばす事に、歓びを覚えるような悪い趣味は持ち合わせていないだろう。
「そりゃそうだ。今、初めて話したんだからさ」
「主任!!」
「はいはい?」
「納得のいく説明をお願いします!!」
 椀を空にしたヒムラは番茶を啜り、一息を吐いてからその口を開いた。
「シャリー、先日の一番艦の爆砕事故を覚えているか?」
「……忘れられるワケないじゃないですか」
 忌々し過ぎる事故だった。忘れられる筈があろうか。
「演習中の一番艦……【ニュー・ゼネレーション】には総勢百三十人の軍人が搭乗していた。前途を嘱望されていた優秀な連中がだ。それが、一瞬で宇宙の塵と化してしまった……」
「――ええ」
「そのことでウチのお偉いさんが軍からえらくお叱りを受けたらしい――」
 遠い目を作りながら淡々と平板口調で読み上げるようにヒムラが言う。シャリーの中に、閃きがようやく、灯りつつあった。
「ハッハーン、何となく読めてきました。ひょっとして、今度の二番艦の演習クルーには――」
「ピンポーン。そう、君の読み通り、ラリーのスタッフ及び少数の軍人、ということになるらしい。……まぁ、おそらく俺達、【A(アルファ)】から何人か、って流れになるんだろうけどさ」
 おしぼりで額を拭いながらのヒムラの発言だった。そんな彼の所作振る舞いを見て、そんな彼自身も又、平静を装うので精一杯なのだろう、と言う推測はシャリーにも容易に付いた。
「――みんなはそのことを知っているんですか?」
「いや、知らないだろう。俺だって今日――いや昨日になったのか……部長のタヌキから直々に説明を受けたばかりだからさ……」
 ヒムラは自分の時計をちらりと覗き込みながら答える。既に時刻は午前十二時をまわってしまっている。ヒムラは言葉を続けた。
「部長はあくまでも『乗ってみないか?』ってノリだったけど、どうも半強制的な気もしたな……」
 自分一人の問題であれば、まだしも気は楽だったのだろうが、自分の立場――主任という立場がヒムラを苦しめ、悩ませている。彼の下には、47人のスタッフ、部下達がいるのだ。
シャリーの手前、平静を装ってはいるものの、それでも自分の声質が次第に重いものになっていくのを堰き止め切る事は出来なかった。

 ――せめて、一技術者、エンジニアとして研究開発にだけ没頭していたい

 それが、ヒムラの正直なところであった。

 だがやがて、次第にこの状況それ自体が極めて不条理であると言う事にキリオは今更ながら思い至りつつあった。

 軽い苛立ちが沸々と湧いてくる。限界か?

「しっかし、あの事故は軍にとってはかなりの痛手だったようだなっ」
 普段、まずお目に掛かれない主任の語調の荒さにシャリーはその碧眼を大きく剥いた。
「軍属でもない俺達を徴兵しようだなんて――ウチのお偉方だってあの事故の詫び……いや、ご機嫌取りのつもりなんだろうがッ!」
 彼女の主任は半ばの怒声を放って、そのテーブルに両拳を強く振り下ろした。サンドイッチのプレートが、和風の膳がその拍子に大きく跳ね上がる。
「――ちょちょちょ、ちょっと主任!!」
 自分の上司が、自分の所属する会社と軍隊とを同時に、それも大暴言を以て扱き下ろしたので、シャリーは咄嗟にその周囲に注意を配った。大問題発言です、主任!!

 だが、幸いにも彼らの周囲には人影も無く、三つ隣のテーブルで、どこかのセクションのスタッフがコーヒーカップの取っ手を握り締めたままテーブルに伏して眠っている位だった。その苛酷な労働環境に同情を禁じ得ないシャリーであったが、取り敢えず眠ってくれている分には全く問題が無い。

「すまん――ちょっと興奮してしまった」
 我に返って、ヒムラは部下に心から謝罪した。
「い、いいえ。主任の立場を考えると、気持ちは分かります」
 一介の技師に過ぎない自分よりも、遙かに責任の重いヒムラの立場は説明されるまでも無く、充分に認識出来ている。
「だが、これから実際にどうなっていくのか、皆目見当も付かん――」
 湯呑みを膳に戻したヒムラ主任は溜息を再度、絞った。
「――そうですね」
 何気なくカフェに備えられているデジタルの壁掛け時計に目をやったシャリーは、カフェに立ち寄ってから、随分と時間が経過してしまっている事に今更ながら気付いた。
「どします? 作業に復帰しましょうか――?」
 ヒムラは自分の腕時計を一瞥した。ずっと一人で心の内にしまい込んでいた事を他人に、シャリーに話せた事で精神は多少軽くはなったのだが――作業を再開するのは正直、辛い。ここ数日間の特筆に充分値する激務、そして理由を述べるまでもなく発生しているストレスで、肉体、精神の節々が悲鳴を上げ掛けている事は充分に自覚できている。
「――今日はこれでお開きにしよう。まだ、仕事は残っているけど、些細なものだし……後日でもできるってもんだ」
「マジっすか!?」
 シャリーの声が弾んだ聞こえたのは決して気の所為ではなかっただろう。
「それに、明日から復帰する連中とも時間を合わせないとならないからね。休んでおこうよ」
 半ば、強引にエクスキューズ(言い訳)を作った感も否めなかったが、こんな状態で作業に復帰しても要らないミスが続く事が充分に予想される以上、業務から離れるのがベストだろう。恐らく。
「同感です!」
 シャリーは心から嬉しそうな表情を浮かべながら、組んだ両手を前後左右に激しく振った。ヒムラ主任にはそんな彼女の気持ちが手に取るように分かる。陰々滅々と小作業をこの時間帯から行うのは決して楽しい事ではない。

 二人はそれぞれのトレイを回収台に乗せると、エレベータホールへと肩を並べて向かった。エレベータ前で崩れた一礼を行ったシャリーは、
「それじゃ、失礼します! また、明日!」
 と、今にもスキップを踏み始めそうな生き生きとした様子で、女子寮直通のエレベータに飛び込んで行った。
 そんないい加減な一礼に対し、片手を軽く挙げた事で返礼としたヒムラは、エレベータ脇の自動販売機で缶ビールを数本購入し、ほとんど私室と化している『主任室』へ戻るため、専用のエレベータに乗り込んだ。


 シャリーと別れてからおおよそ三十分後。ヒムラ・キリオは癖のある長い髪を完全に乾かさない状態でソファに片膝を立てて座りながら、二杯目のビールを傾けていた。
 シャワーを浴びた事で、心身共のリフレッシュを果たす事には成功したものの、一時的な物に過ぎなかった。普段であれば至福の一時をもたらせてくれる筈の風呂上がりのビールは、妙にほろ苦く、再び苛立ちを含んだ不安感を募らせてくれていた。
「――はあ」
 上司である企画開発部部長から示された、事実上の『新造艦への搭乗命令』。実際のところ、技術者が軍艦に同乗した事に関しては過去に前例があったが、クルー(乗組員)としての搭乗は例が無い。あくまでも、アドバイザーとしての短期間の乗艦に過ぎなかった。

 前代未聞の今回の命令は、一体何を意味するのか? そして、自分……いや、何よりも部下達の向かう先はどうなるのだろう――?


 ――そもそも、新型艦で、何をするつもりなんだ?

 泡が消え掛かったビールの表面を覗き込んでいると、ふと、そんな疑問が脳裏を過ぎってきた。ここは一つ、順序立てて考えてみるべきかもしれない。キリオはまずは冷静に、現状の把握から試みた。

 そもそも、自分達が過酷な労働条件下で、それこそ心身を大いに磨り減らしながら建造している『それ』は武装した軍艦であり、それも従来の航宙艦船の概念を覆す程の火力と機動性を合わせ持つ、次世代航宙艦【ニュー・ゼネレーション級】の二番艦であるという事。

 用法次第では、地球型惑星であれば大気圏外より大陸を穿つ事すら可能な大火力を備えた――正に『バケモノ』である。

 金額に関してはヒムラ・キリオ主任の管轄ではないので詳細は不明であるが、通常の戦艦の軽く50倍は金が動いていると思われる。地球本星上の自治区一つ分の年間予算は軽く凌駕しているのではないか、とキリオは目算してはいるが。
 文字通りの最新鋭艦であり、最高水準の技術、そして惜しみ無く予算を投入されて、その生を受けたこの艦に対しては確かに『バケモノ』以外の形容は相応しくないだろう。他にいかなる形容が可能なのか。少なくとも、この時のキリオには他の言葉が見付からなかった。

 そして、何よりも忘れてはならないのが。

 そんな『バケモノ』は最新鋭の推進機関である【G・R・D・S(重力波反発推進機関)】を積載しており、通常空間の高機動に留まらず、今までにない短期間での【ネビュラ・リーヌ】離脱をも保障する【ネビュラ・ドライブ】の実行を可能とする、戦闘艦であること。

 自分の携わっている新造艦の使途――使い道について、これまで深く考えてきた事は全くと言って良いほど無かった。ヒムラ・キリオとその部下達に求められているのは、上層部から提示された性能を可能な限り実現、若しくは凌駕すると言う一点にあるのであって、使途用法の面まで考えを巡らせる事は露も期待されていない。

 だが、今回の『搭乗命令』が皮肉にも、キリオのこれまでの日々に終止符を打つ転機となってしまった。

 ヒムラは考えられる可能性を一つ一つ、その脳内で拾い上げていく事にした。


 ――治安維持活動の強化が目的なのだろうか?

 太陽系惑星連合は、お世辞にも一枚岩の連合国家とは言えない。内紛は常にどこかで発生していたし、火星自治区が独立を求めて連合に反乱を起こした事等は記憶に新しいところである。木星自治区――厳密に言えばエウロパ自治区――においても、不穏な噂が絶える事は決して無かったし、付け加えるのであれば、地球本星にしても中東や南米の一帯で武装蜂起が起こる事は物珍しい事では断じて、無かった。テロの類に至ってはそれこそ、日常茶飯事であると言ってもいい。

 そして、別の意味で厄介なのが俗に言う『宇宙海賊』の存在だった。自称『義賊』の彼等は違法に改造した高機動船で、小規模の貨物船団等を襲う。押っ取り刀で連合宇宙軍が駆け付けた時には現場から離脱しており、破壊、若しくは肝心の物資を奪われた貨物船だけが残される、と言う寸法だ。そして『宇宙海賊』の規模に比べれば微々たるものだが、宇宙を跋扈(ばっこ)するテロリストの存在も看過は出来ないものではあった。

 もっとも、ここ数年は連合宇宙軍が最新鋭の高機動艦を投入する等、太陽系内の治安維持活動に本腰を入れ始めた事もあって、『海賊』や『テロリスト』はその数をメッキリと減らしているはずだ。太陽系内は表向きのところ、一時期よりも遙かに治安が向上している筈である。

 ――そうだ、『海賊退治』と言えば、名前は忘れてしまったが宇宙軍のエースが搭乗していた艦があったな――確か、あの高機動艦も自分達の製品だった――ええと、【エクスィード】と名付けられたんだったか?級は……【イプシロン級】だった筈だが――何て言ったか、あのエースの名前……。

 そんな宇宙軍エースの名前を思い出そうとしたが、全く取り掛かりが無い。思い出せそうで、その実、全く思い出す事が出来ず、ヒムラ・キリオは頭を抱えながら煩悶した。老化現象の第一歩なのだろうか、と言う不愉快な考えが浮上してきてしまったので、慌てて頭を振る。
 思い出せない、ってコトは、思い出す必要が無いからなのだ――と、無理矢理に理由付けを行い、すっかりと温くなってしまったビールのグラスを傾けて、本来の思索へと切り替えた。


 ――そんな危機迫る状況下にある訳でも無いのにも関わらず、わざわざも莫大に過ぎる予算を投入してまで新型を建造する必要性が果たして、存在するのだろうか?

 新型艦は従来の艦船に改良を施した、と言うような『かわいい』ものではない。

 そして、未だその規模が無視出来ないとは言え、宇宙海賊やテロリストを相手にするにしても……明らかに物々し過ぎるし、そもそも実用化に成功したとは言え、系内の治安維持活動に【ネビュラ・ドライブ】程の高加速力が必要とは、ちょっと考え難い。

 そこまで考えて、ヒムラはある推論に辿り着いた。

 ――エテルナを強襲するつもりなのかもしれない。彼らには対抗し得るだけの武装兵力と呼べるものは持ち合わせが無いだろうし、こちらが【ネビュラ・ドライブ】と言う凶悪な航法の実用化に成功した事なんか、露も知らない筈だ――

 そんな可能性に今まで全く思い至らなかった自らの不実を、ヒムラ・キリオはこの時、初めて自覚した。

 【ネビュラ・リーヌ】内、つまり圧縮空間内と言う特殊状況下においても、いわゆる従来の推進機関によって産み出される加速度には、限界が頑として存在する。
 燃料の問題に関しては言わずもがな、そもそもが長時間の完全燃焼状態に耐えられる機関等は現在のところ、存在していない。よって、従来の星系間航行船舶は、突入直後にのみ全速噴射を行い、ある一定の速度を得た後は慣性力だけで【リーヌ】対称点へと向かうと言う、極めて原始的な方法でネビュラ・リーヌ航行を行っていた。当然、リーヌ離脱後の逆速噴射の為の燃料も残しておかなくてはならない事に付いては述べるまでもないだろう。

 故に、より長時間の完全稼働、並びに燃料効率の優れた推進機関を搭載している船舶がより、短期間の『リーヌ離脱』を実現する、と、これまでの『常識』ではされていた。

 だが正に今、この時に、ヒムラ・キリオを中核とする『ラリー・インダストリー研究開発第一課』、通称【team-A(チーム・アルファ)】がその総力を結集して建造に当たっている噂の『バケモノ』は、それら従来の問題点を抑え、安定した高加速を得る事のできる最新鋭の推進機関を内蔵している。
 【G・R・D・S(Gravite・Repulsive・Drive・System=重力波反発推進機関)】と呼ばれているその機関は、重金属粒子を加速する事によって産み出された重力波を、対となるユニットにて同時に発生させ、互いに干渉をさせ合った際に生じる反発力によって推進力を獲得すると言う、全く新しいコンセプトに基づいて設計された最新鋭の推進機関である。通常空間においても従来の推進機関とは比べ物にならない高機動力を獲得する事が可能だ。

 ――いわんや、【ネビュラ・リーヌ】と言う特殊空間をや。

 そして、全ての機関を総括する主機関はこれまでの核融合から、対消滅へとシフトされている。核融合に比較すると燃料消費率は極めて低く、高出力でありながらも安定した出力を保障する、これも最新型、次世代の機関である。もっとも、そんな『対消滅機関』の実用化、それ自体はもっと早い時期に果たされてはいたのだが。

 そんな最新鋭の技術、そして莫大と言う表現が憚(はばか)られるほどの資金が惜しみなく投入された結果、新造艦は従来の船舶がどんなに頑張っても一年半と言う期間を費やしていた『地球――エテルナ』間をわずか半年間で駆け抜ける事が可能――と言う事になっている。もっとも、実際に運用された事は無いので、あくまでもデータ上は、であるのだが。

 そして、火力面においても当たり前の如く、従来の宇宙戦闘艦のそれとは『比較にも』ならない武装火器が採用されている。

 『対消滅機関』の発生させたエネルギーに『G・R・D・S』の余剰エネルギーを相乗して投射される、【荷電重力波砲】である。

 従来のビーム兵器に重力波動が加わった時、この史上最強の火器は誕生した。

 二つの異なる機関を所有する『マシン』だけに振るう事を許される、有史上最強の破壊力を持った『悪魔の剣』として、だ。

 ヒムラの脳裏にある光景が展開された。

 ――ある日。その戦艦はアポロン星系の近縁に、何の前兆も無く、突然に出現を果たす。そして、他の追随を一切許さない程に凄まじい火力によって、成す術も無いエテルナを簡単に制圧する――

 ――あれは、単艦ですらそれを可能にしてしまう様な戦闘艦だ。まして複数建造されたら――

 そこまで考えを巡らせたヒムラは言い様の無い寒気を覚えた。空調が万全に設定されているこの主任室で身震いする事なんて、通常は有り得ない事だが。

 ――俺達が建造しつつあるものは、ややもすると人類の造り出した最悪の兵器となるかもしれない。大昔の核兵器以上のものに――

「悪い方に考え過ぎ……か?」
 本来はポジティブ思考の自分が、いかにも悲観的な想像をしてしまった事にヒムラは自分自身でも驚きを隠せない。だが、救い様が無く思えたのはその悲観的な予想が妙に現実味を帯びているところだった。
 苛立って頭を盛大に掻きむしった後、ヒムラはグラスに残ったビールを放棄して好みの日本酒を同じグラスにたっぷりと注ぎ込んだ。辛口の酒を口に含むと、自分自身が疲労の極みにある事を改めて悟る事ができる。
 残った日本酒をほとんど一息で飲み干し、ヒムラ・キリオは毛布にくるまりながら、ソファに体を横たえる。寝付きの良いのが数多い自慢の一つでもあるキリオは、あっという間に夢の世界の住人となった。

『今更、戦争なんて起こりっこないだろう――』




 そして、ヒムラ・キリオ氏が深い眠りに落ちた、正にその時刻――


   ◆ ◆ ◆


 地球本星において、『異変』は何の前触れも無く発生した。太陽系惑星連合政府の政治的中枢機関の多くが集合しているオーストラリア大陸はシドニーにおいて、市街戦を想定した演習を行っていた連合陸軍の歩兵第三師団、及び陸上重火器機動308大隊が突如、武装蜂起し、国会議事堂を制圧したのである。国会審議中だった1524人の議員はその全員が上院・下院の区別無く身柄を拘束された。

 クーデターの首謀者、シャルル・ヘイスティング元帥は自らを総軍元帥と名乗り、その声明文において、連合国会の無期限停止を宣言。そして地球本星を始めとして、月、火星、エウロパ、イオの各自治州、自治区に対しての無期限の戒厳令を発令した。
 そして、人々を特に驚愕させたのは地球上の各都市のみならず、宇宙、つまり系内においても各軍が示し合うように蜂起し、リーヌ近縁に設置されていた星系間通信衛星基地【カハヤ】までもが完全に占拠された事であった。

 ヘイスティングの根回しは完璧だったのだ!

 要所要所の的確な制圧に成功した反乱軍の前に抵抗出来る組織はもはや存在しなかった。局所的な抵抗を試みた、ほんの一部の連合軍基地等も、それこそ薄氷を踏み砕かれる勢いで反乱軍に駆逐され、各都市部の警察機構にしても、重火器を構えた彼等の前には抵抗を試みる事すら、果たせなかったのである。

 抵抗分子に対しては殺傷も止む無し、と言うヘイスティング元帥自らの命令は、現場においては忠実に実行され、都市によってはそれこそ死体の山が築かれる事にもなった。

 アメリカ自治区はサンフランシスコ・シティの場合が、『最悪の』一例として挙げられるだろう。市内制圧に乗り出してきた反乱軍兵士複数名が、彼等の主観で『反抗的』と判断を下した一市民に対し、尋常ではない暴行を振るっていた。市民からの通報で、その場に駆け付けた若い警察官が、その兵士複数に対し、なんと発砲を行ってしまったのである。
 そんな数発の銃声を切っ掛けとして、それまで遠巻きに見ていた群衆が、反乱部隊に対して暴動を起こす事になった。

 怒り狂った人々が反乱軍の戦車、装甲車へ波となって押し寄せてきた。だが、狼狽する部下達を余所目(よそめ)に、北米1432機動車両大隊の司令官、ウェストバリ少佐は『目標』に対する戦車砲の発砲を命じた。
 「正……い、いや、本気でありますかッ、少佐殿!?」
 直接、その発砲命令を聞いたリンドル曹長は脂汗を流しながらウェストバリ少佐に翻意を促した。曹長が『正気でありますか』と言い掛けた事に関する追記は不要であろう。だが、曹長は期待していた上官の答えを得る事は生涯、叶わなかった。
 その顔面に少佐の渾身(こんしん)の力が込められた軍靴による一撃を叩き込まれた曹長は、殆ど即死だっただろうから。
 「――腰抜けは俺の部隊には必要ない」
 舌舐めずりをしながら独白したウェストバリ少佐は、リンドル曹長だった死体を押しのけ、自ら戦車砲のトリッガーを引いた。

 たった一発の戦車砲が、一瞬にして数百倍にも値する人命をその肉体ごと、奪い去った。少佐の発砲に続き、その後ろに控えていた戦車隊がこれに追随。一斉に成形炸薬弾に始まる戦車砲の射撃を開始した。
 両翼に広く展開していた戦闘工兵隊も負けじと、対人ロケットランチャー、マシンガン等を次々と群衆の塊の中へと撃ち込んでいく。


 ――断末魔と絶叫が響く間も無い。


 後の調査によると、死者の推定は5000人。これは明らかに最小に見積もられた数値だっただろう。もっとも、正確な数字を算出するのが不可能に近かったのも一面の事実ではあった。死体の多くは身元の確認が出来るほどの状況にはなかった上――そもそも、果たして人体のどの部位を構成していたものなのか、分からないものがほとんどであったのだから。

 この惨事は、『流血のサンフランシスコ』、と後に呼ばれる事になる。が、皮肉この上無い事ではあるが、こんな惨事がクーデターの初期に発生した事で、いわゆる『見せしめ』の効果を高めた感は否めなかった。

 そうだ。もはや、反乱軍に面と相対し、立ち向かう組織、運動はこの時点で消滅したに等しかったのだ。

    ・
    ・
    ・

 かつては国会議事堂として――今や反乱軍、つまりヘイスティング一派の仮の作戦指令本部と化してしまっている、荘厳な建物の一角にある広い会議室へ場面は移る。
「ウェストバリは少しやり過ぎた感があるが」
「確かにな。血の気の多い男だとは知っていたが……」
「だが、見せしめは必要であろう。中途半端な行動よりは評価できるのではないか?」
「ああ」
 カーテンを引かれたこの薄暗い会議室の中で十人前後の軍人が会議テーブルを囲んで話し合っている。観察者に連合軍の知識があれば、その多くが提督の階級にある事をその襟章から伺い知る事ができるだろう。また、そんな中には数名であるが、スーツ姿も確認できる。
「ようやく、第一段階が終了か――長い年月であった……」
 眉間に節くれ立った指を当てながら、白髪の老提督が誰に言うとでも無く呟いた。
「過去に思いを馳せるのは早いのではないかね? 我々が考えるべきは、輝かしい未来の筈であろう」
 そんな老提督に対し、スーツに身を包んだ壮年の男が口を開いた。過激な思想を持つ事で知られる、タカ派の議員だった男でその名前をラフマン・フォーレストと言う。今回のクーデターにおいては政治的なバックアップを担当した上院議員――今となっては『元上院議員』――である。そんなフォーレストの言葉を受けて、老提督は相好を崩した。
「……その通りだ。思いは未来に向ける事にしよう」
「しかしこれでようやく、我等の計画を実行に移せると考えれば……感慨の深さは否定できませんわね」
 この会議室の中で唯一の女性提督が口を挟んでくる。所属は空軍で、年齢は40歳前後だろうか。
「エテルナの猿共が分不相応にも独立を宣言してから一年が経ってしまったが……」
「その表現は適切では無かろう。猿に失礼ではないか?」
「おお、そうだな。確かに不適切な発言であった、ここに詫びよう」
 そんな会議室の中を、彼等にとっては『健康的』な笑い声が大いに満たした。先の女性提督だけがやや、付き合い切れていないかの様な複雑な表情を浮かべている。
「出来れば奴らの独立宣言直後に行動を起こしたかったものだがな」
 笑いを収めながら、一人の提督が声に溜息を混ぜる。
「今、そのような事を言っても詮無い事だ。我々のプロジェクト成就の暁(あかつき)にはあんな新興の惑星国家に鉄槌を加えるのは造作も無い。奴等、まるで軍備に力を注いでいないとか。愚かな奴等よ。自分達に敵はいないと信じ切っておるのか……ククク」
 陸軍所属の提督が、抑揚の上下と共にその巨体を揺らす。
「だが、聞いた噂に依れば『自衛隊』なる組織の結成が奴等の国会で真剣に計画されているとかいないとか――」
 一人が、敢えてそんな事を述べた。無論、会話に水を差す意図を持っての発言などではなかった。
「『Self-Defense-Force』だと――? ククッ――いや、失礼。果たして何百年掛かる事やら楽しみだな、それは」
 そんな声に、他の数人も声を上げて笑ったものだった。

 そんな折りだった。軽いチャイム音が一つ小さく鳴った後、
『ヘイスティング総軍元帥閣下が御入室されます』
 と、会議室内にアナウンスが流れた。

 誰かが合図をしたわけではない。だが、会議室に詰めていた将校達は寸分も違わず、同時に起立を行った。
 扉番の二人の兵士が、洗練された動作で重厚な扉を開け放つと、シャルル・ヘイスティングがゆっくりと、威厳をこれ以上に無く漂わせながらの入室を果たしてきた。
「――敬礼!!」
 進行役を務めていた末席の士官が自らの存在意義をアピールするかのように、張りのある声を上げた。
 全員の揃った敬礼を当然の事の様に細目で見遣りながら、ヘイスティングもその足を止め、静かに敬礼を返す。静かだが、力強い敬礼を。
「――遅れて失礼をした、諸君。さあ、席に着いてくれたまえ」
 そう言いながら、引かれた革張りの椅子にヘイスティングは腰を静めた。その様子を確認してから、各将校達も次々と着席していく。

 シャルル・ヘイスティング元帥は元々、軍の内部においても現政権批判の急先鋒としてその名前を広く知られていた。今年で六十一歳を迎えるはずだが、その鍛え抜かれた肉体と、強靱な精神力を感じさせるその異相は、見る者に圧倒的な威圧感を与えるのに充分に足るものであった。
 そんな彼は、ここ二年の間に今回のクーデターの下準備を尋常ならざる熱意で押し進めてきており、その結果が今回の完璧な成功として反映される事となったのである。
「さて諸君、何分にも時間の余裕が無いので、早々に本題に入らせてもらう。そろそろ、作戦を第二段階に移行する時でもあり――ハミルトン大佐、ラリー・インダストリーの『新型』の件から報告してもらおう」
 出されたコーヒーに口を付ける素振りすら見せず、ヘイスティングは一息で放った。
「――はっ」
 元帥の背後に控えていた、ハミルトンと呼ばれた大佐が簡潔な返答を行いながら起立して、捧げ持った携帯端末を素早く操作した。

 ヘンリー・ハミルトンはヘイスティング元帥の首席秘書官であり、未だ二十代という若さではありながらも『大佐』と言う高位の階級を所有している人物であった。余談ではあるが、太陽系惑星連合軍が抱える数多くの軍人の中で、二十代の大佐は彼を含めて二十人も存在していない。
 ハミルトンはあたかもそれが必然であったかの様な士官学校の出身であり、その成績は常に分かり易過ぎる程の『首席』であった。
 『エリートの中のエリート』、それ以上に適切な表現が果たして存在したであろうか? そんな太陽系惑星連合軍における最高の頭脳の持ち主が、士官学校卒業と同時にヘイスティングの秘書官として配属を受けたのは決して、偶然では無かった。
「それでは、ラリー・インダストリーの件から報告をさせて頂きます。『新型』は各種機関の搭載も終了し、二週間もすれば形になる状況である、との報告をエイム会長自らより、受けております。トライアルに関しては三週間以内に目処を付ける、との事でした」
 その首席副官の報告を受け、一瞬、ヘイスティングの口元が弛んだが、ミリ単位の弛緩でしかなかった為、その場で気付いた者は全くいなかった。もしかすると、本人自身すらも自覚していなかったかもしれない。
「――結構な事だ。……ところで、試みに問うが……二番艦は一番艦の轍を踏む事はないのだろうな?」
 その太い両手の指を組みながら、元帥は低い声を絞り出した。特に不快感を覚えているわけではなく、それが彼の通常の声色なのである。
「作業は『極めて』順調に進行しているという事です」
 どこか、得意気にハミルトン大佐が総括した。自分の首席秘書官を完全に信用しているシャルル・ヘイスティング元帥は心から満足をした。
「まぁ、二番艦の建造が軌道に乗っている、という事でよしとするべきかな――時に、搭乗クルーの人選はどうなっている?」
 薄く生えた自分の顎髭を撫でながら、元帥は再度質問を行った。
「はい。何分にも前例が無い新型艦であり、従来の艦船とは根本的に運用方法が異なると言う点――そしてやはり同様に、今までに類の無い搭載兵器――更には先日の事故を考慮致しますと――」
 ハミルトン大佐の声色が珍しく、陰を含むのに元帥は気付いて、その結論を先取りした。
「未だ、未定であるか――?」
「申し訳ありません」
「まぁ、焦る必要は全く無い。最悪、二番艦が完成する迄で良い」
「了解です、閣下――それでは、失礼させて頂きます」
 ハミルトン大佐が自己の職務を全うするために退室すると、入れ代わりに一人の女性士官が入室してきた。
「会議中に失礼致します!」
 そんな彼女は元帥の次席副官、フェニキュア・ロワーズ少佐であった。その片手にメモ用紙が握られていた。
「構わない。何用だね――少佐?」
 自分の足を組み直しながら、元帥は声を投げた。
「閣下、【カハヤ】を占拠中の火星方面宇宙軍より『今後の作戦の是非を問う』、と通信が入ってきておりますが――」
 むう、とヘイスティング元帥は顎に手を当てた。【カハヤ】は、この太陽系内で唯一、星系間通信を扱う事ができる通信衛星であり、未だエテルナが独立を宣言していない五年程前に、技術提供を受けた太陽系惑星連合政府が巨費を投じて建造した人工衛星基地である。
 【カハヤ】の完成それ以前までは、アポロン星系と太陽系間に通信手段は確立されていなかった。従来の電磁波による通信電波を、【ネビュラ・リーヌ】と言う奇異な空間は全く受け付けてくれなかったのである。
 従って、情報の伝達手段としては決して多くはない移民船、或いは星系間貿易商船にて直接、互いにデータを持ち合うより他に手が無かったのである。
 情報輸送専門の無人機等も開発はされ、実際に運用された時期もあるにはあったのだが、コストに見合うだけの成果はとても、得られなかった。

 だが、西暦2600年代。一人のエテルナの科学者が、『重力波』を利用した通信の可能性に思い至った。電磁波の一切を受け付けないと言う奇異な空間ではあるが、では『重力波』であればどうだろうか、と。

 原理的には従来の通信電波と変わらない。用いるのが電磁波ではなく、重力波であるだけ。
 長年の研究期間を経て、果たして『重力波通信』は実用化を迎える運びとなった。実に、最初の科学者の提言から150年が経過してしまっており、発案者は半ばの失意を内に抱えながら他界する事となってしまっていた。
 だが、故人に敬意を表して止む事の無かった後継者達は、そんな発案者の名前をシステムその物の名称として据える事となった。

 その故人、発案者の名はカハヤ・サンティーニ。

 この画期的な通信技術は、三ヶ月、と言う信じ難い短期間で両星系の情報連結を可能にするものだった。エテルナは、直ちにこの技術の完成を太陽系惑星連合に通知。太陽系の国家予算の一部と引き替えに、この技術を供与した。もっとも、開発に掛かった費用を鑑みれば、太陽系がエテルナに支払った金額などタカが知れており、『技術提供』と言う言葉がこの場合は相応しいと思われる。


 そんな衛星基地の建設の経緯を耳にした時、ヘイスティングは未だ元帥の位には無く、陸軍の大将であったのだが、憤激に近い屈辱感を覚えた記憶がある。
『技術提供だと? 植民国家からかッ!?』
 ――と。今にして思えば、ヘイスティングの反エテルナ思想は、この時が起点となっているのかもしれない……。

 ともかく、エテルナとの情報交換は全てこの【カハヤ】が司っている、と言っても決して誇大表現とは成り得ず、反乱軍としては最優先で占拠しなくてはならない『重要』な施設であった。それこそ、『重要』と言う表現が霞むほどの重要性である。

 占拠が一歩でも遅れて、『クーデター勃発』等という一文でも送信されようなものならば、彼らの計画は正に水泡に帰するところとなる。今回の作戦は、その全てが隠密裏に、かつ確実に運ばれなければならなかったのである。

 だが逆に、完全に制圧下に置く事が出来れば、彼等にとっては貴重な時間を稼げる事となる。何しろ、アポロン星系に対して情報を発信できるのは、この【カハヤ】だけなのだから。行き来している雑多な移民船、貨物船にしても、到着する分に関しては拿捕し、これから進発する便に関しては完全にダミーな――つまり、軍の息の掛かった人間を乗組員として送り込めばいい――ヘイスティングは、そう考えている。

 奴等(エテルナ)に準備をさせる期間を与えてはならないのだ。

 彼等(エテルナ)に、我々の行動を感付かれるわけには断じていかない。

 その点では、今回、完璧と評しても差し支えない手際の良さで占拠を果たす事に成功したのは、正に幸運であったと言えるだろう。しかし、長期間、通信が途絶えたままではさすがのエテルナ側にも不審を抱かれる事だろう。そうなっては元も子も無い。
 恐らく、無害な情報のみを送信し続ける方向に結論は向かうであろうが、今はとにかく人手が足りない。
「――取り敢えず、現状を維持しろ、と伝えておけ。作戦案は、追って通達をする、と」
 元帥が黙考している間、身動き一つせずに待機していたロワーズ少佐にヘイスティングはその顔だけを向けて命令を行った。
「了解しました」
 ロワーズ少佐が退室し、ヘイスティングはすっかり冷め切ったコーヒーを傾けた。飲めたものではないだろう、と思ったが、その渋みは不思議と美味だった。
「――諸君、これからが本番だ。より一層の奮起を、期待する」
 諸提督達は一斉に立ち上がると、ヘイスティングに一分の乱れも無い敬礼を行った。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第二章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする