2780年01月01日

第I光:『覚醒』 第四章 風雲は急を告げよ - I


「……お休み中ごめんなさい。クリストファ・アレンはどこにいるか知っていますか?」
 椰子の木の下で数冊の教本を枕にして軽い眠りについていた候補生に対し、ジェシカ・サックス中尉は若干、気を遣いながら声を掛けた。その年中が温暖な気候の地ではあるが、この時期の小笠原の陽射しはかなり厳しいものがある。木陰で昼寝とはかなり賢明な選択だと言えるだろう。
「――ああん?」
 と、アイマスク代わりにしていたタオルケットをどけもせず、その候補生が応じる。気怠さを隠し切れていないようだ。
「昼寝の最中、申し訳無いのですけど――クリストファ・アレンを探しているんです」
「クリス――? ああうー……さっきまでその辺でビーチバレー、やっていたよーな気がするけどな。大汗かいていたから、今頃は【ミルクホール】でビールでも呑んでいるんじゃねえかなぁ」
 脇の下をボリボリとだらしなく掻きながらも、その候補生は答えてくれた。
「そう。休息時間にごめんなさいね」
「いや、良いってことよ。ところでナニ? デートでも申し込むつもりなのかい?」
 ジェシカは苦笑が浮かび掛かるのを堪えながら、
「――まあ、そんなところかしら」
「Well said!(憎いぜ) ――モテモテだなあ、奴は」
「へえ。そんなに人気があるのですか、『クリス』は?」
「ああ。そんなに背もでかくないってのになんで人気がアンのか分からねぇけどなあ。羨ましいぜコンチキショー」
 そりゃあ、美男子で実習成績がダントツの一位なのだから当然だろう、とジェシカは口に仕掛けたが、だらしのない候補生との不毛な会話をここで打ち切って、カフェテリアへと足を向けたのだった。
 なお、そんなジェシカが去って行った後、よもや今しがたの話し相手は教官だったのではなかったろうか――と後になってからこの候補生が頭を悩ませた事は余談としておこう。

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「それでよお、海岸で例の女の子に声を掛けたんだけど、てんで無視されちまってさあ。泣けてきたね……はあ。勇気出したのになあ――」
「ああ、毎朝散歩をしているあのカワイ子ちゃんか」
「まあ、下心丸見えだったんじゃねーの? お前は考えていることがすぐ顔に出るからな」
「うわっ、それキッツイな」
 ほんの数人によって構成された笑い声がほとんど利用者のいないカフェテリア、【ミルク・ホール】の中を広がった。
「おい、クリス! ビール温くなっちめえぞ――呑まないんなら貰うぞー」
 同じ席には着いていたもののそんな会話には加わらず、携帯端末のニュース記事に目を落としていた少年の面影を強く残す青年はただ一言。
「いいよ。その代わり、明日の実習の対戦相手をやって貰うことになるけれど? 誰も相手してくれなくてさ、困っているんだ」
 と、言葉を返した。
「冗談! それだけは勘弁な!!」
 クリスのビアジョッキに伸ばし掛けていた手を慌てて引っ込め、引っ繰り返った悲鳴を上げてくる。そこまで言わなくても良いじゃないか、そう思ってしまうクリスであったが。
「ああ、でもマジで要らないから呑んじゃっても構わないぜ」
 そんなクリスは携帯端末を閉じながら、自分のビアジョッキを相手に押し遣った。
「――お前、熱でもあるんじゃないのか?」
 そんな事を言ってきた同期にどんな憎まれ口を返上してやろうか、と考え掛けたクリスだったが、突然に目の前の三人が勢いよく立ち上がったので、その思考は中断された。彼らがそんな行動を取った理由はただ一つ。クリスも勢い良く椅子から立ち上がり、無駄の無い動作で反対を向く。
「敬礼ッ!」
 クリスが声を上げ、敬礼を行い、絶妙のタイミングで背後の三人も敬礼を合わせた。敬礼を向けられたジェシカ・サックスは、苦笑を浮かべながらの返礼を作る。
「今は訓練時間では無いので、そんなに硬くなる必要はありません。こちらこそ、休息時間中に失礼しているのだから、楽にしてくれていいですよ」
 彼らの教官であるジェシカ・サックス中尉が言葉だけで無く、更にその両手で席に着くようにと促したので、四人は躊躇いながらも席に腰を沈めた。
「休息時間中に本当に申し訳ない。クリストファ・アレン候補生?」
「はっ」
 クリスは背筋を伸ばした。楽にしろ、と言われてはいても、そうも行かない。しかも、彼らの教官の声色だって訓練中のそれになってきている。
「一時間後――つまり、1500時に教官室まで出頭するように。これは、当訓練校校長でもあるランドール大佐からの命令でもあります。詳細についてはその際に校長自らによる説明がある筈です。なお――服装は第一種正装にて出頭する事」
 クリスだけで無く、他の三人の顔にも驚きの表情が刻まれた。
「――だ、第一種でありますか??」
「そう言ったつもりだが? 復唱はどうした、アレン候補生?」
 驚きの念が消滅したわけではなかったが、クリスは再度背筋の張りを意識しながら復唱した。
「自分、クリストファ・アレン候補生は1500時、教官室に第一種正装にて出頭します!」
「宜しい。それと――」
 ジェシカ・サックスはクリスの後ろに控えている三人にチラッと目を遣り、気持ち言い難そうな表情をしながら口を開いた。
「アレン候補生。これは老婆心からの忠告なのだが――この一時間内にある程度、身の回りの整理を付けておいた方が良いと思う」
 そういう事か――クリスはこのジェシカの言葉で一時間後に自分が校長から受けるであろう説明と、『辞令』の内容をほぼ確信した。どうやら、宇宙では余程に退っ引きならない事態が発生しているようだ。

 ――人が足りないと噂では聞いていたが、ここまでとは。

「自分は宇宙軍の討伐隊に編入されるのですね」
 クリストファ・アレン候補生の淡々とした言葉に、ジェシカは何も答えられず、黙ってクリスの茶色の瞳を静かに見詰める事しか出来なかった。

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 ジェシカ・サックス中尉がクリストファ・アレン候補生を探す為に教官室を出てより、一時間ばかり時は遡る。

『冗談では無い! 優秀とはいえ、未だ全プログラムの60パーセントも修了していないのだぞ! 俺の可愛い可愛いヒヨコ共を、『ハイソウデスカ』と送り出せるか、この――』
 ハインリッヒ・レスターは咄嗟に、相手の声が出力されている側のヘッドホンを外した。罵声が飛んでくる事が容易に想像出来たからである。伊達に、付き合いは長くない。
『――《放送禁止用語》――野郎!!』
 レスターはだが、すぐに自らの意向を再度、相手に伝えるべくマイクを手に取った。
「お前の言いたいことは分かっている。だが、こちらだって他に選択肢が無いから、こうして連絡をさせてもらっているのだ! ランドール!!」
 立体映像の中のランドール大佐は、未だ覚めやらぬ怒りの矛先を探している様に見受けられる。
『状況が、状況なのだっ! せめて、一人だけでも構わない!!』
 ランドールが息を吸い込みかける様子が見えた。再度、怒声を上げる前兆か、と思いきや、フィン・ランドール大佐は深い溜息を吐いた。
『貴様等、テッペン(宇宙軍)のノッピキならない状況も認識している。そして――胸を張って送り出せるヒヨコ一羽の心当たりも、実は――無いでも無い――』
「クリストファ・アレン候補生だな?」
『……ほう、知っているか』
「先刻、こちらの権限にてデータを閲覧させてもらった。それに、彼をこちらのサイドで面倒を見ていたのは何を隠そう、私自身だ」
『なるほど』
 レスターはランドール大佐の次の言葉を待ったが、大佐は言葉を接ぐつもりは無い様だった。止むを得ず、レスターが口を開く。
「とにかく、航宙機パイロットが不足している。貴官の小笠原を始めとし、各訓練校にも同様の指示が飛んでいる」
 画面の中のランドールは眉間の深い皺を指で押さえながら。
『……レスター。貴様には確か、子供はいなかった筈だな?』
「そりゃまた、唐突な投げかけだな……。まあ、その通りだが」
 レスターにはランドールの言葉の真意が理解出来ない。
『そうか。俺には息子がいてな』
「ああ。勿論知っているが。そろそろ成人したのだったか? 大分、大きくなったろう」
 ランドールの顔に陰が掛かった。
『ああ。先月、18になった。お陰様でな』
「……そうか」
 レスターは、未だにランドールが何を目的としてこの話題を提示したのか理解出来ず、ただ相槌を打つ事しか出来ていなかった。が、次のランドール大佐の言葉でその真意を理解する事が出来たのである。痛みを伴って。
『――クリストファ・アレンはな、俺の息子と同い年なんだ』

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 教官室で辞令を受け取ってから、与えられた身辺整理の時間は僅か三時間だった。もっともランドール校長の暖かい配慮も有り、個室の整理等を行う必要が無かった、と言うのは大いに助かった点ではあった。寧ろ、時間が余った位のものだ。
「アレン候補生……、いや、アレン准尉。今回の作戦が終了次第、ここ、小笠原にて遅れた分を再度、訓練することになるだろう。よって、個室の整理は必要無い。貴官は……必ず、必ず戻ってくるのだからな――」
 そう言いながら入校式以来、全く着用した事の無かった第一種正装の襟にランドール校長は自ら、准尉の階級章をはめ込んでくれた。大変に太い指で、お世辞にも手際良くはめ込めたとは言えなかったけれど。
「本来であれば少尉の階級章を与えてやりたいところなのだが……許して欲しい」
 そんな事も校長は言った。士官学校工程を満了による卒業であれば少尉として任官されるのが通常ではあるが、極めて異例な中途卒業、と言う形でもあったからな――と言う事情は容易に想像が付いた。
「シャトルは四時間後に発進予定だ。一時間前には該当機に搭乗するように。それまでは自由時間を与える」
 校長が手を出してきたので、クリスはその太く、大きな手を握り返した。
「准尉、必ず生還して戻るように。これは、太陽系惑星連合宇宙軍小笠原士官学校の校長として、最後の命令だ」
 熱いものが胸に溢れてくるのを覚えながら、クリスは自由になった右手で、ここ半年間、徹底して叩き込まれた宇宙軍式の最敬礼を作って見せた。
「クリストファ・アレン准尉、必ずや生還します!」
 フィン・ランドール大佐が泣き笑いの様な微妙な表情を作った。
「素晴らしい敬礼だよ、准尉」

「おう! クリス! 土産待ってんぞ。それと、俺らが上がる前に昇進は無しだぜ」
  ――いや、それは保障できないな

「当然、二階級の特進だって俺達は認めねえぞぉ」
  ――縁起でも無いこと言うなって

「これ、とっておきのビデオ。持ってけって」
  ――いらねえよ、ンなモン

 少ない手荷物をまとめ、寮のロビーに下りたところで、クリスは同期の候補生達、そして教官達に囲まれる事になった。急な話でも有り、今日は完全な休日でもあったので全ての同期が集まっている訳では無かったのだが。
「おー、これが准尉の階級章か」
「格好良いな。俺にも見せて」
「あたしにも!」
 そんな具合でクリストファ・アレンはたちまち、同期に揉みくちゃにされる事となった。ふと、教官達の様子が気になって、人の山の隙間よりその表情を確認したが、いずれも暖かみのある笑みを浮かべているのが印象的だった。普段は笑顔など浮かべず、ひたすらに厳しさのある表情を優先していた教官達が、である。そんな中、クリスの直接の教官であったジェシカ・サックス中尉が小さな包みを片手に一歩、前に出てきた。
「アレン准尉、渡しておきたいものがあります」
 同期達の壁が崩れ、サックス中尉が輪の中に入る形になった。中尉が両手でその小包を差し出してきたので、クリスは持っていたブリーフケースを同期の一人に預け、やはり両手で受け取った。簡潔な包装だったので、
「ここで開封しても宜しいですか?」
 と尋ねたところ、中尉は無言で頷いてくれたので、クリスは丁寧にその梱包を紐解いた。
「――これって」
 果たして、出て来たのはクリストファ・アレン候補生の専用訓練機にプリントされていたノーズ・アートのマスターであった。小笠原校に入校の際、少ない自由時間の合間を縫い、教官達のボランティアに助けられながら作成した、世界で唯一、自分の為だけのシンボル・マーク。両翼を一杯に広げ、両手の有る鳳凰をモチーフにしたデザイン。そんな両手には細身の日本刀が握られており、自分のイニシャルが力強く背負われている。
「配属先の母艦の整備兵によると思いますが……まず、快くあなたの機体へのプリントをしてもらえるはずですよ――」
「――ありがとうございます」
 目頭が熱くなるのを感じながら、クリスは心から礼を述べた。
「それと、あなたの可愛い同期の女の子達からもプレゼントがあるみたいよ」
 サックス中尉が振り返るのを皮切りに、数人の女子候補生が集まってきた。
「クリス! 頑張ってね! これ、同期の子達で作ったワッペン。急な話だったから、あまり出来が良くないけど、パイロット・スーツの胸にでも付けてやってよ」
 これは、小笠原校の校章に手を加えたもので、52と言う数字がマーク上に刻まれていた。
「なあるほど、52期生ということだね」
 と、手に取って眺めながらクリスがそう言うと、少ない女子候補生達が同時に頷いた。
「ありがたく頂戴する。支給されるスーツには必ず付ける様にする――アリガト」
 女子候補生達の中には涙を見せる者がいたが、あまり凝視していると自分自身、涙腺が弛緩するのを堪えられそうに無かったのでクリスは空を見上げた。

「ああ、小笠原の空は――蒼い」

 かくして、クリストファ・アレン准尉は機上の人となった。この時の空の蒼さを、彼は一生忘れる事は無いだろう。

 クリストファ・アレン准尉はその翌日、宇宙軍第二艦隊所属の航宙母艦【クサナギ】の航宙パイロットとしての任命を同艦内にて受ける事となった。

 艦隊の目的、それは火星宙域において反乱を起こした、反乱軍の討伐。

 討伐軍と反乱軍の彼我兵力差は事実上、無いに等しい。寧ろ、士気高い反乱軍の側にこそ有利条件が揃っているかに見える。

 会敵想定時刻は68時間後、と説明を受けた。

 遺書の執筆を命令された。

 クリスは、その命令だけを無視した。

 出す相手も無いのに遺書を書く必要も無い。

 そして、戦死するつもりも無かったのだ。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第四章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2779年01月01日

第I光:『覚醒』 第四章 風雲は急を告げよ - II



 太平洋上に浮かぶ常夏の島、ハワイ。大昔から、観光地の代名詞を不動のものとしてきた由緒のある島である。今現在、地球圏は決して好景気であるとは言い難いものの、結構な数の人々で溢れていた。この活気のある光景だけを見ていれば、不況何処吹く風、と言った感じだ。
 もっとも今の時期は太陽系の全域より、およそ見た目にも観光目的とは思えない軍の関係者や、今回のクーデターに協力を行った一部の政治家、そして数多くのマスコミが新造艦の進水式典のために集まってきている為、観光地とは甚だ感じ取れない様相を呈してもいた――。

「うーむ、やっぱり『自由』に勝る調味料は無いなぁ」
「同感です。本当に、美味しいですね」
 太陽系惑星連合宇宙軍大佐、クリストファ・アレンと同じく、昇進を果たしたばかりのソフィ・ムラサメ少佐はホノルル市内のチャイニーズ・レストランでやや遅めの朝食を摂っていた。
 二週間にも及ぶほとんど『軟禁』に近い講習期間が、ようやく先日、終了したのである。二人に宛われたホテルは、まず最高級の部類に間違いなく含まれるものであったが、さすがに二週間もの間、同じホテルの『高級ではあるが無個性な料理』が続いたのは、二人を心からゲンナリとさせたし、大体、和食を好みとするクリスとソフィにとって、全三食がことごとく洋食だったと言う事実はかなりのストレスを提供してくれた。いくら作戦行動中のエクスィードにあっても、三食が揃いも揃って洋食と言う事は無かった。毎週金曜日は必ずカレーライスであったし、朝食や夜食においても握り飯かサンドイッチ、といった選択権は与えられていた。余談であるが、毎週金曜日がカレーライスに定められている理由をクリストファが知ったのは最近の事だ。
『何故かは分かりませんが、旧日本海軍の伝統だったらしいですよ』
 教授してくれたのはソフィ・ムラサメであった。

 挙げ句の果てに、今回のホノルル滞在にあっては、講習自体が朝早くから深夜まで及ぶ事もあった上に、行動の自由も皆無に等しかった。そんな二人にとって、これは地球に降り立って初めての、そして束の間の自由時間なのでもあった。
「米――パンじゃなくて、米が食べたい――それだけで良い……」
「どこか、食べられるところを探しましょう!!」
 実は宇宙軍の大佐と少佐でもある欠食アベックは、それこそ脱兎の勢いでエアカーを飛ばし、ホノルル市内へその食欲を満たす為に飛び出したのだった。それがほんの小一時間前の話である。
 ところが、苦労して探し出したジャパニーズ・レストランはその尽くが休業中であったり、満員に近い状況だったりした為、妥協した彼等はどうにか二人分で滑り込めたチャイニーズ・レストランで舌鼓を打つ事にしたのであった。

 朝粥の定食と春巻き等を含む軽めの飲茶セットが三人分――一人分は途中でクリストファが追加オーダーしたものだった――注文され、その味わいに涙をこぼさんばかりの熱い感動を覚えながらの二人の会話が、冒頭のそれである。

「せっかくだからさ、メシ食い終わったら噂のハナウマ湾にでも出向こうか」
 二人分の膳をほぼ平らげると、烏龍茶を啜りながらクリスが提案した。
「ハナウマ? ビーチですか?」
「――うん。かなり有名なビーチらしい」
 クリスはそう言いながら、胸のポケットから観光案内を取り出し、眺め始めた。いつの間にそんなガイドを手に入れたんだろう、とソフィは思ったが。
「――そうですね。今日一日は休暇を頂いていますし……」
 ソフィ・ムラサメは頭の中で、スケジュール構成を思い描きながら答えた。そんな言葉に対して軽い頷きを加えたクリスが湯呑みを卓上に戻した。
「……進水式は明後日だったよな?」
「ええ、予定ではそうなっております」
「じゃあ、本当に最初で最後の休暇、ってワケだ」
「左様で」
 クリスは手を一つ、叩いた。
「今日は楽しもうじゃないか!」
「そうですねっ」
「ああ――」
 だがソフィがそう答えた瞬間に、上官である大佐殿は微妙な表情をその顔(かんばせ)に乗せた。一瞬にも満たない半瞬の事ではあったが、彼女はそんな表情を見逃す事はできなかった。
「――?」
 そんな彼の様子は大いに気に掛かったが、上官が早くも食事を終了させているというのに、自分の膳はまだ大半が残っている事もあり、ソフィ・ムラサメは食事の進行を優先する事にした。差し当たって、そんなソフィが選んだのは湯気立つ肉饅だった。
「――あのさあ、ソフィ……いや、少佐……」
「ふぁい」
 突然に自分の名前を、それも改めて呼ばれた。慌てて返事をするも、その口中に肉饅がデッドスペース無しに詰め込まれていたので、情けない声――いや、半ばの呻き声しか出す事が出来ないでいた。
『――なんてはしたないのかしら、私』
 気恥ずかしさで一杯の彼女は慌てて口元を抑えて、咀嚼を試みるが、そんな肉饅はなかなかに手強く、直ぐには飲み込めそうにもない。
「う――あ、ああ、ゴメン。ゆっくり食べて良いよ」
 そう言いながら彼女の上官はわざとらしく手に取ったメニューを眺めたりした。気を利かせてはいるつもりなのだ、彼なりには。
 どうにか冷たい烏龍茶で肉饅を流し込む事には成功して、ソフィは続きを促した。
「すみません、どうぞ」
 そんなソフィの声に面を上げたクリスの表情は相変わらず曇り気味だった。
「いや――なんでもないんだ、実は。ごめん」
「――そうなんですか?」
 いつに無く煮え切らない様子を見せ続ける自分の上官のそんな態度は正直言って不思議、以上に不気味なところではある。
『もしかして、未だに悩んでいるのかしら、この人は――?』
 訝しげなソフィの視線に気付いたのか、クリスはその表情を反転させた。傍目にもいささか、わざとらしさが残る感は否めない。
「ようし、そうと決まれば善は急げ、だ。食い終わったら売店で一式を揃えなくっちゃな。えーと、何か敷物と、サンダル、タオル、それとサンオイルか……他に何かいるモノってあるかな?」
 指折り数えてはいるものの、極めて重要であり、致命的な物をこの男はすっかり失念している。
「あのう、……海水浴をするのですよね……?」
 クリスの表情が何を言い出すのか、というものになった。
「……俺は、海では泳ぐもんだと思っていたが……違うの?」
「……裸で?」
「――うげぇ」
 言葉に詰まってしまった。そうか、水着が肝心じゃないか――全裸はまずいな、やばいって、全裸は――そんな声が脳裏を響いている。悪戯心を覚えたソフィは、そんな迂闊な上官に皮肉を当てる事にした。無論、悪意のあるものではない。
「もしかして、持参してらしたんですか? 水着――さすがですねえ」
 ふるふると情けない顔をしながらクリスは、首を横に二度振った。
「……危うく水着を忘れるところだった……君は?」
「勿論、持ってきてなんていませんよ」
 そんな会話を繰り広げながらも素早く食事を進行させていたソフィは、残っていた烏龍茶を一息に飲み干すと、レシートを手にして立ち上がった。
「それじゃ、善は急ぐことにしましょう」
「あ……ああ」
 慌ててクリスも立ち上がったが、その際にテーブルに強(したた)かに膝をぶつけてしまった。鈍い痛みがじんわりとクリスの痛覚を刺激してくる。
「――うぐぐぐぐぐ」
「大丈夫ですか!?」
 歩き始めていたソフィが慌てて戻って来る。
「だ、大丈夫――ッ」
 誰がどう聞いても大丈夫には聞こえない震えた声だったが、クリスは立ち上がった。
「う、海へ!」
「はいはい――」
 クリスの方はヨタヨタとした頼りない足取りではあったが、ともかく二人はレストランの駐車場へと向かった。

 そんな光景をつぶさに観察していたチャイナドレス着用のウエイトレス達は厨房の方で笑い続けていた。店長は真面目に働いてくれないそんな彼女たちに白目を向けてはいたけれど。
「あのカップル? 見ていてすっごく面白かったんだけど」
「男の人の方も、結構な美形だったけど、何だかズッコケよねぇ」
「ズッコケ! 言えてる言えてる。とんだカップル、って感じ」
「……頼むから君たち、働いてくれよう」
 四人目の声の主は、勿論ウェイトレスの内の一人ではない。念の為。

 ……そして後日、このウエイトレス達は、該当のカップルが本当にとんでもないカップルであった事を立体TVのニュースで知る事になるのだが、それはもう少し後の話になるだろう。
実際、ほんの今し方、そこで遅い朝食を摂っていたカップル――つまりクリストファ・アレン大佐と、ソフィ・ムラサメ少佐は、傍目から見ている限りでは『おかしなカップル』以上のものでは無かったのだから。

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 ハナウマ湾は聞きしに勝さる素晴らしいビーチであった。突き刺すような日光、ジリジリと暑い砂浜。しかし妙に人気(ひとけ)が少なく、クリスとソフィは最初のうちは『空いててラッキー』とばかりに浮かれたものだったが、どうにも気になって土産物屋の怪しい公用語を喋る主人に尋ねる事にしたのだった。
「あー、あー、明後日ぐらいにね、何だかワイキキの方になんでもチョ―スゴイ戦艦がやってくるそうなんだネ。ほれ、ニュースとかでもやってるじゃん。式典準備だとかで、とても盛り上がっているみたい。でもってほとんどの人、そちいちゃったみたいなのね。もう、刈り入れ時なのに、ショーバイ上がったりよ。――ああ、美人のおねーさん、この天然サンオイル、とてもいいよ。安くしとくよ、たった5アースにしとくよ」
 ソフィはそのサンオイルをしっかりと値切って、結局3アースで購入した。
「おねーさん、買い物上手ネ。楽しんでいきナ」
「ありがと。おじさんも長生きしてね」
 正にその戦艦に乗り込む、当の艦長と副長が海水浴に来ている、等と言う想定は一介の土産物屋の親父のキャパシティを大いに越えるものだった。いや、土産物の親父には限らないだろうが。
 結局、そんな親父は、単に買い物上手な若いアジア系の美女と、ちょっと風采の上がらない美形のボーイフレンド、と言った別段珍しくも無い組み合わせに特別な興味を抱く道理も無く、それ以上の関心を持つには及ばなかった。

 クリスは、初体験と言っても良い海水浴に心から浮かれきっていたし、何だかんだと言っていたソフィも久しぶりの潮騒に顔をほころばせている。敷物を二人で協力して敷き終わると、クリスは服を脱ぎ散らかして、奇声を上げながら波打ち際へと突撃していった。先客の海水浴客達の中にはそのクリスの奇行に眉をひそめる人もいたが。

 そんなクリストファ・アレンには海で泳いだ経験はほとんど無かった。小笠原諸島でのパイロット候補生時代に、訓練の一環と言う名目の『遠泳鍛練大会』などに半強制的に登録、参加をさせられ、途中で足が攣ってあわや溺死してしまいそうになったところを老教官による必死の救出作業によって一命を取り留めた記憶がある位で、多分これは一般的に言う『楽シヒ海水浴』とは意味合いがかなり違うと思われる。
 沖の方から、砂浜のソフィの方に目を向けと、彼女はその引き締まったボディに先程の天然――本当に天然かどうかは疑問――サンオイルを塗って甲羅干しを決め込む構えのようだった。

 熱帯魚を追い掛け回したり、嬉々としてナマコを拾い集めている現場を他の海水浴客に見付かって胡乱(うろん)な目を向けられたり、磯で謎の巨大イソギンチャクを発見して鳥肌を大いに立てたり。

 そんな具合で海遊びを存分に堪能した後、体中の力を抜き切って海面に器用にプカプカと浮かびながら、先日の幕僚会議におけるクリストファ・アレン大佐――つまり自分自身――の召喚尋問においてのやり取りを、クリスは未だ小振りな入道雲を見上げながら、漠然と思い出していた。


   ◆ ◆ ◆


 クリストファ・アレンとソフィ・ムラサメを乗せたシャトルがオーストラリア大陸はシドニー基地にその着陸脚を接地させたのは、月面を発進してよりおよそ十時間後の事だった。
 自分達の身体を固定していた三点式のシートベルトを外し、身を起こした際に二人が各々の体を重く感じたのは、彼らを運んできたシャトルに重力制御システムが搭載されておらず、無重力での飛行を余儀無くされた為である。
 重力制御システムは、現時点ではそれなりの規模を持つ宇宙船や、戦闘艦などにしか搭載をされていないのが実状であり、そのシステムの小型化は未だに開発途上にあったのである。もっとも科学技術の進歩は正に日進月歩であるから、あと十年もすれば大小を問わずに、ほとんどの宇宙船舶に搭載される事になるかもしれない。

 そして、そんな軽くも鈍い疲労感を覚えながらタラップから降り立った二人は、一中隊規模の陸軍兵士達に迎えられる事になった。そんな兵達の山の中から小柄だが、やや意匠の異なる軍服を着用した兵士がクリストファ・アレンの前にゆっくりと歩み出てくる。
「ようこそ、地球へ――私は、太陽系惑星連合第一地上軍所属、フェニキュア・ロワーズ陸軍少佐であります。今回、アレン大佐の警護主任を務めさせて頂きます」
 その兵士が女性だった事にまず、クリスは驚いた。クリスの注意が散漫だった事もあったのだが、そんなロワーズ少佐は軍帽を深めにかぶっていたので、その声を耳にするまでは全く気付かなかったのである。クリスは慌てて相手の観察を仕直した。

 見たところ、随分と若い。自分よりも少し年上、くらいか。その年齢で少佐とは――等と思いかけたが、自分の現状を鑑みてみれば己の境遇こそが、より異常である事に思い至って、クリスはなんとも表現しようのない気分になった。が、口に出してはこう言った。
「どうも。小官は連合宇宙軍所属、クリストファ・アレン大佐であります。なにぶん、地上には不慣れなもので何かとご迷惑をお掛けするかもしれませんが、どうか宜しくお願いします――そしてこちらは、私の副官でもあるソフィ・ムラサメ中尉です」
 ロワーズ少佐の返答を待たずに、クリスが半歩引いてソフィを紹介する。
「ムラサメ中尉です。アレン大佐の副官として、今回同行させて頂いております。どうぞ、宜しくお願いします」
「こちらこそお願いします、ムラサメ中尉……さて、お疲れとは存じますが、到着次第、幕僚本部までお連れするように、と命じられているのですが?」
 イヤだ、って言えるのかな――と、クリスは思ったが、勿論思っただけだ。
「ええ、構いませんよ」
「――では」
 クリス達には分からない合図があったのか、タイミング良く軍用のエアカーが二人の前に滑り込んで来た。
「どうぞ、お乗り下さい。お荷物の方は、こちらで責任を持って後程、お届けに上がりますので」
 クリストファと同年代であろうと思われる兵士の一人がドアをゆっくりと開いた。軽い会釈を返しながら、恐らくは自分の指定席と思われる後部座席にクリスは腰を降ろした。そんな後部座席は対面式の配置になっており、クリスの正面には少佐が座った。ソフィは勿論、クリスの隣だ。
「アイスコーヒーと、紅茶のパック・ドリンク位しかございませんが何かお飲みになりますか?」
 ロワーズが備え付けの小型冷蔵庫を開きながら言った。少し喉が渇き気味だった事もあって、クリスはアイスコーヒーと紅茶のパックを一つずつ、所望した。一つは勿論ソフィの分である。
「ロワーズ少佐。試みに問いたいのですが、今回の我々の召還理由をご存じですか?」
 彼の好みから言えば、やや甘過ぎるアイスコーヒーを啜りながらクリスが尋ねる。ロワーズは一瞬、表情に複雑めいたものを浮かべたが、半瞬で顔を引き締め、ゆっくりと口を開いた。
「ええ……多くは未だ語れませんが、元帥閣下が大佐に期待をされている事は確かです」
「はあ、期待ねえ……」
「申し訳ありません。これ以上は私の口からは言えません」
 そう口にすると、ロワーズは話を区切るようにして、ハンドルを握っている伍長に車を出すように指示をした。一瞬の浮遊感の後、エアカーは滑るように動き出した。そんな車内にはしばらくの間、無言によって満たされていたが、痺れを切らしたクリスの方から口を開く事になった。
「さっき降り立った時に感じたのですが、七月だってのにえらく寒いんですねえ」
 クリストファがそんな世間話を持ち出したのは無言の空間に、どこと無く居心地の悪さを覚えたからであったのだが、ロワーズ少佐は相も変わらず、その表情を変えずにその愚問に即答した。
「オーストラリアは、南半球ですから、今は冬なんです」
「……あっ、そうだったのか」
「ええ。真冬です。山間部には雪も積もっています」
 頭をボリボリとだらしなく掻きながらクリスは苦笑した。そんな困った様子のクリスを救済する為だったのか、ソフィ・ムラサメ中尉が自己紹介の時以来、閉じていた口を開いた。
「臨時の幕僚本部までどれくらい掛かるのですか?」
 ロワーズ少佐が自分の腕時計を無駄のない所作で確認した。機械のような人だな、とクリスは思ったが、軍人とは斯(か)くあるべきなのだろう。彼の方が変わっているのだ。
「十分と掛かりません。二十分後には、元帥閣下を始めとする幕僚の方々との面会が叶いましょう」
 そして、彼らを乗せたエアカーは正にその十分後。臨時の幕僚本部として接収されたホテルのターミナルへと到着を果たしたのであった。

 これほどの格が高いホテルであったら、普段はロビーで礼儀正しく丁重に迎えられるのだろうが、今や軍に接収をされている為、宇宙からの客人であるクリストファ・アレンとソフィ・ムラサメを出迎えたのは蝶ネクタイ着用の上で眩しい営業スマイルを浮かべたボーイではなく、軽機関銃という物騒な物を肩にぶら下げた愛想の欠片も持ち合わせていない厳つい兵士達であった。
 三人がホテル内に入るや否や、そんな兵士達が銃を上段に構えた陸軍式の最敬礼を行う。特に感銘を受けるでも無いクリストファは、宇宙軍式の敬礼を簡単に返上した。別に陸軍に偏見を持っているわけでは無いのだが、拭いきれない違和感は頑として彼の中に存在していた。なんだかんだと宇宙軍生活が長い事もあるのだろう。
「――しばらくお待ち下さい」
 そう言ったロワーズ少佐が颯爽とした足取りでフロントの方に向かった。本来であればベルボーイの業務内容なのだろうが――そんな兵士から差し出されたインターフォンに向かって少佐が二言三言を発するのが見える。クリスの五感はどう控え目に言っても鋭敏に過ぎるものではあったのだが、さすがにその内容までを聞き取る事は出来なかった。話が終わったのか、インターフォンを『ベルボーイ』に戻した少佐が、今度はゆっくりとした歩調で二人の元に戻って来た。
「直ちに、会議室に出向くようにとのことです」
「了解しました。会議室というのは――」
「私が案内しますので、ご安心を」
「では、お願いします」
 クリスの言葉にロワーズが都度、頷きながら二人をエレベータの前まで案内した。エレベータの数は全部で八つ。フェニキュア・ロワーズが一番端の『16番』エレベータのボタンを押した。

 ――16番、ってことは反対側のサイドにも、8つはエレベータがあると言うことか。なるほど、確かにこれはすごいホテルだ――

 などとクリスがそのホテルの規模に感心している内に扉が開口した。

 テロの類(たぐい)に備えてなのか、表示板に階数表示が出ないので、果たして『会議室』は何階にその存在があるのか、クリスとソフィには分からなかった。やはり微妙な雰囲気を維持したままではあったが、搭乗より三十秒程でそんなエレベータは軽い振動を伴って、停止した。
「こちらが、会議室が現在置かれているフロアです。こちらに、ヘイスティング閣下を始めとして、幕僚の方々がいらっしゃいます」
 ロワーズがそう解説してくれた。先程連絡を受けていたのは彼等だったのか、そのフロアを警護していると思われる兵士達は会議室までの通路を一分の無駄もない動作でサッと開いた。
「準備は宜しいですか?」
 クリストファ・アレンはそのロワーズの問いに頷いたが、気持ち傾き掛けていた軍帽をソフィに指摘されて、その位置を正した。今一度クリスが頷くのを確認してから、ロワーズは右手を挙げた。
 それが合図だったのか、重々しい扉が兵士達によって開け放たれ、クリスを先頭にして三人は入室した。大きな円卓を囲んでいる幕僚達が一斉に振り向いてきた。
 「クリストファ・アレン大佐、及び副官のソフィ・ムラサメ中尉をお連れしました!」
 ロワーズ少佐が朗々とした声で室内に告げた。

   ・
   ・
   ・

 ヘイスティング元帥が円卓の上座に座っているのを確認したクリスは副官のソフィが驚くほど文句の付けようのない完璧な敬礼を行った。宇宙軍式、肘から上げる二段階の最敬礼である。
「宇宙軍所属、クリストファ・アレン大佐、及び副官ソフィ・ムラサメ中尉、出向の辞令を受け、只今到着致しました――」
 宇宙軍エースの張りのある声と、しなやかで文句の付けようも無い敬礼は取り敢えず、幕僚達に好感を持ってもらえたらしく、何人かの幕僚等は頷きながら軽い返礼を戻してきたものだった。
 少しだけ間を置いてから、ヘイスティングが自席からなんと、立ち上がってきた。
「――ご苦労。私が、現在この太陽系連合の全権を掌握している、シャルル・ヘイスティング総軍元帥である。大佐とは初対面だったな?」
「左様であります――お目に掛かる事が出来、光栄であります。――元帥閣下」
 クリストファ・アレンはその敬礼を未だ崩さず、流れるような返答を元帥に返す。
「貴官の名声は常に耳にしている。勇猛果敢な戦い振りと、それに反映された輝かしい戦歴。それら名声は我軍の誇りであり、かつ模範である」
「――光栄であります!」
「そのような貴官に対し、誠に失礼な辞令を送って召還した事を許して欲しいものだ」
「いえ、……構いません」
 ヘイスティングを始めとし、室内の幕僚達が自分を舐め回すような目で観察しているように見える。その手の趣味とは無縁であったクリストファとしては、あまり気分が良くはなかったが、背筋を伸ばして精々神妙な表情を作る事に全意識を注ぐ事とした。

 今回の召還において一体全体、何が執り行われるのかは皆目見当も付いていなかったが、これに先立ってアレン大佐は『模範的な軍人』と言うロール(役割)を演じ通す事を目標として設定していた。無論、彼は軍部が政治の中枢を掌握している事に対しては、極めて強い憤りすら感じてはいたのだが、何もこんな諸悪の根元の様なところで己が胸中を莫迦正直に吐露して、即刻銃殺刑などに処されても1アースの得にもならない。自身の人生についてはどこかで諦観しているクリスだったが、そんな死に様は幾らなんでも『是』とするところでは無かった。

 結果的に彼の判断は正しいものとはなったが、無論、彼は未来を予知していた訳では断じて無かった。単に無駄な時間を浪費したくなかったという事と、相手の警戒心を喚起するような発言や態度を避けるに越した事はない、という『模範的な軍人』とはとても言い難い覚悟が、その判断をさせる理由の多くを占めていたことは強調しておくべきだろう。

 着席の許可をヘイスティングから得て、クリスとソフィはあてがわれた席に腰を降ろした。幕僚達のそれぞれの簡単な自己紹介が終わり、その主題は再び、クリストファ・アレンへと向けられる事になった。

「貴官の目にとって、今回の我々の革命は、どう映っているのか?」
 ヘイスティングに目で促され、ほとんど口を開かない喋り方で全ての単語を平板で発音しながら『なんとか』中将――たった今、自己紹介を受けたばかりだったのにも関わらず、クリストファはその名前を完全に忘れてしまっていた――から、質問が飛んできた。質問と言うよりも、その語調は詰問に近いものがあった。
 『革命』、という言葉を耳にした時、あわやクリスはその単語が何を意味するのか、真剣に考え掛けた。『革命』とは今回の『クーデター』の事なのか――顔に苦笑いが浮かんでくるのを抑えるのに、クリスは並々ならぬ精神力を要した。が、同時にその詰問調の口調から、自分が『革命』の知らせを聞いた際に不覚にも呟いてしまった事をタレ込んだ者がいたであろう事に関しては容易に予測が付いた。

 クリストファ・アレン大佐はその顔を引き締めた。

「――最初は正直、驚きを禁じ得ませんでした。ですが、当時の地球圏の混迷振りを終息させるには、唯一の方策であった、と今は考えております。ええ、これ以上の方法は無かったでしょう」
「すると、貴官は我々の主義に賛同を覚えている――と言う事かね?」
 別の提督がそう口を挟んできた。
「はい。太陽系は正しい力によって導かれるべきでありましょう。旧態依然とした議会制度では腐敗が進む一方でしょうし――」
 クリスはそこで敢えて言葉を切った。ヘイスティングが興味深そうに続きを促してくる。
「それで?」
 軽く息を吸い込んで、クリスは言葉を続けた。この辺の話術は実に巧みなものと言えるだろう。
「――自分は大河の流れに乗る主義の人間でもあります」
 心にも無い事を言い述べることが出来る自分にうんざりとはしたものの、どうにか顔を神妙に引き締めたまま言う事ができた。
「アレン大佐の言や良し。私は彼を我等の同志として認める」
 ヘイスティングが頷きながらそう幕僚達に向かって宣言するように言った。
「自分も、アレン大佐に不穏な空気を感じる事は出来ず」
 婉曲的な表現で賛同の意を表したのは最初にクリスに詰問した『なんとか』提督であった。その声に続いて『同感』、『承認』等、様々な意見があちこちから挙がったが、そんな中に反対意見は一つも無かった。大方、そのほとんどがヘイスティングのイエスマンなのだろう、とクリスは邪推した。

「では本題に入る。アレン大佐、貴官に授けられる任務は」
 ヘイスティングが幕僚達のざわめきを制しながら、言った。クリストファは心で身構えた。さて、どんな御無体な任務が下されるのだろう。前代未聞の佐官の二階級特進に見合う内容であろう事は想像に難くないが。

「新造艦【アルティマ】の艦長として、アポロン星系に奇襲を敢行し、エテルナ連合共和自由国を僭称する身の程知らずの愚民共に正義の鉄槌を打ち下ろしてもらう」

 その言葉が意味するところを理解するのに、五秒ほどの時間が必要だった。そして、落雷を受けたような、としか表現できない程の衝撃が続いてクリスを襲ってきた。

 膝が震え、奥歯がカチカチと音を立てた。目の前の風景が靄(もや)となった。

 だがいつまでも自失しているわけにもいかない。クリストファ・アレンはその精神力を総動員した。

「こ、光栄であります!」
 言葉が詰まってしまったが、どうやらヘイスティングを初めとして、その幕僚達はアレン大佐が俗に言う武者震いをしている、と判断してくれたようだ。一人が、好意的な笑顔を浮かべながらそれを証明してくれた。
「大佐、驚くのも無理はない。何しろ、これは歴史に残る、大変名誉な軍事行動になる事は疑いないからな。羨ましい限りだ……私ももう少し若ければ……な?」
 続いて軽い笑い声が室内を満たす。
「――軍人として、本懐であります……」
 やはり言葉が詰まり掛けたが、どうにか当たり障りのない返答を返す事が出来た。情けないが、体が小刻みに奮えているのを止めることが出来ない。だが、それをして幕僚達は『本懐の念で武者震いしている』と判断を下すのである。皮肉な話ではある。

「先日、進宙したラリー・インダストリー謹製の強襲巡洋艦【アルティマ】――その艦長に任命するために、今回、貴官を召還した。作戦案自体は既に完成を迎えている」
 ヘイスティングはゆっくりと、落ち着き払った調子で述べた。

 ――なるほどね、そういう事か

 目の前に置かれた冷水を空にすることで、ようやく常の冷静さを取り戻せたクリストファ・アレン大佐は、ようやく今回の召還に伴う一連の出来事の全体像を理解することが出来た。
 つまりは、彼ら幕僚会議に盲目的に従い、それでいて優秀な人材を求めていたのだ、と。

 ――俗な表現を用いるとすれば、『面接試験』だったわけだ

「二人に説明をするように」
 と、ヘイスティングは首席秘書官のハミルトン大佐に命じた。ハミルトンは目礼すると、窓際に設置されている最新型のディスプレイを操作し始めた。

 この時点でクリスは、件の『新型』が、いわゆる今までの軍艦をベースに性能のアップを図った、というような『愛嬌』のある艦であるとは毛頭、考えてはいなかった。どうやって裏予算を用意したのかは想像も付かないが、今回のクーデターと言い、相当に黒い金が跳梁している筈だ。ラリー・インダストリーと言う言葉を先程、耳にすることが出来たが――その辺りだろうか?

 だが実際のところ、彼等『反乱軍』がここまで迅速で直接的な行動に及んで来るとはクリストファは予想していなかった。『エテルナに懲罰を加える云々』と言う名言(無論、クリストファ・アレンが皮肉としているところである)を知ってはいたが、一年二年でどうこう出来るわけでもあるまい、と、どこか楽観的に捕らえていた。
 未来予測が甚だ甘かった、と言わざるを得ないかもしれない。まあ、それを言ったら今回のクーデターがここまで成功し、持続するとも予測はしていなかったクリストファではあった。

「これが、強襲巡洋艦【アルティマ】であります」
 ディスプレイにその全形が展開したのを確認して、ハミルトンがややかすれ気味の声を出した。思索を打ち切って、興味津々という表現からは程遠い面持ちでクリスは顔を上げた。
そこに映し出されていた、そんな【アルティマ】の外観はアレン大佐の目を点にしてしまうのに充分な威容を持っていた。

「……これが、新造艦……でありますか……?」
 本日何度目かの自失からどうにか立ち直って、それだけをクリスは口にする事が出来た。それは、これまでの『宇宙戦艦』とは似ても似つかない外観を所有していた。そもそもが、戦闘艦とは異なる宇宙船のシルエットとしても、かなり異様なものがある。最も強くその目を惹き付けてくれるのは、その最後部に卵を半分に切ったような巨大なドーム状の構造物が付いている点であろう。言うまでもなく、宇宙船舶に対する造詣が深いクリストファ・アレンではあったが、そんな構造物が何の目的で付属しているのか、まるで見当も付かなかった。
全体のシルエットとしては、巨大なネジに見えない事も無いだろう。宇宙艦の最大の特徴でもある、ノズル各種、推進機関は何とその後部に一つも見る事が出来ない。姿勢制御用なのか、細かなスラスター・ノズル系は数点が確認できたが。

「左様。ラリー・インダストリー謹製、強襲巡洋艦【アルティマ】です。ニュー・ゼネレーション級の二番艦。現段階においては明らかに、最強の航宙艦です」
「……アルティマ――ニュー・ゼネレーション級――? これに小官が……?」
 抑揚を伴わない言葉を絞っているのが自分である、ということにクリス本人が気付くのには今少し時間が掛かった。
「――む。そういう運びになるだろう。ハミルトン、任務の説明を」
 はっ、と応じたハミルトンの命令を受けた下士官が、クリストファ・アレンとソフィ・ムラサメの机の上に【アルティマ】のデータ、スペックなどが事細かに書き込まれた分厚い冊子をゆっくりと置いてきた。
「細かいデータは、その冊子を後日熟読して頂きたい。先立って、任務の説明を始めさせて頂きます」


   ◆ ◆ ◆


 誰かに呼ばれたような気がして過去の回想を中断したクリスは、岸の方で手を振っている自分の副長に気が付いた。のんびりと岸の方に戻っていく。
「やぁ、どうした?」
 と口にしながらも、ソフィがその両手にホットドッグを持っている事に気付いて、完全防水の腕時計に目をやる。海に浮かんでいただけのつもりだったが、結構な時間が経っていた。
「ホットドッグ、よかったらお食べになりませんか?」
「ああ、ありがとう。ちょっと何か食べたかったんだ」
 ホットドッグを受け取って、二人はヤシの木の影に設置したレジャーシートに腰を下ろした。海の方から上がってくる湿度を適度に含んだ風が実に心地良い。二人は燦々と輝く太陽の光を浴びながら、ホットドッグとトロピカルジュースといった軽食を摂り始めた。
「これが太陽の見納めですね」
 ソフィがホットドッグにマスタードを塗りながら言う。どこか、寂しげな声に自然となってしまっている。
「ああ、しばらく日光も浴びる事は出来ないよ。艦内の白色灯のみが僕たちに与えられる光になるんだろうなあ」
「……次は、エテルナでアポロンの光を浴びることになりますね」
「無事にたどり着ければ、ね……」
「……ええ……」
 そこでクリスはトロピカルドリンクを含んだ。
「すまない、らしくもないことを言ってしまったね――」
 大仰に伸びをしながらクリスは不吉な前言を撤回し、夏の強い日差しをそのブラウンの瞳で凝視して、付け加えた。
「――それに……太陽の光だって、もう見れない、って決まったわけじゃない――」

 南国の天気は変わりやすい。ほんの小一時間前まで広がっていた青空は今やその大部分を灰色の雲に浸食されてしまっている。雨は降りそうにはなかったが、何となく気勢を削がれた二人はささやかな海水浴を終えてホテルに戻る事にして、レジャーシートや余ったサンオイルなどを気前良く他の海水浴客にプレゼントした。
「持っててもしょうがないし、どうせ捨てるんだったら」
 と、二人の見解が一致したためだ。もっとも購入に際しての金額は全て、クリストファ・アレンが財布を紐解いたところではあった。彼女の『水着』以外は――。

 二人は念入りに砂を落として、レンタルしたエアカーに乗り込んだ。

 二人を乗せてエアカーは走る。ハンドルを握っているのはソフィ・ムラサメの方である。理由はと言うと、単純極まりない事にクリスがそのライセンスを所有していないからだ。クリスの持っているライセンスの類はというと、パイロット候補生時代に取得した『第一種宙空間機動兵器』、それに後になってからの『無重力間特殊一級船舶』だけで、もっともオーソドックスなエアカーの免許は所有していない。
 クリストファ・アレンを偶像視する部下などは、
『あの人に地上を這うように走るためだけの車のライセンスなんて、必要無いのさ』
 などと勝手に決め付けたものだった。しかし、事実は残念ながらそんな格好の良いものでは無かった。唯一、その理由を知っているのは、彼の副官であるムラサメ少佐だけである。
教習所の何の権限があってあそこまで威張り散らすのか理解に苦しむような教官と派手にやりあってしまった、という情けない理由を……。

 カーラジオから流れてくる音楽に合わせ、これ以上無い位に屈託の無い笑顔で鼻歌を口ずさむクリストファの様子を時折、横目で盗み見ながらソフィは、この変わった上官との会話を思い出していた。あれは、三日前の事だったか。


   ◆ ◆ ◆


 クリストファ・アレンとソフィ・ムラサメが地球に到着して二日目、二人はオーストラリアからハワイへと慌ただしく移送された。ハワイが新造艦アルティマの進水式が執り行われる場所として確定された為である。そこで二人は連日、時として深夜にまで及ぶレクチャーを受けていた。勿論、新造艦の扱いに関するレクチャーである。

 ――ヤバイな

 レクチャーを重ねれば重ねるほど、そんな不安感がロール・パンを蝕むカビのようにクリスの胸中を浸食していった。そして、その不安感が頂点に達したのは三回目のレクチャーにおいてアルティマの所有する最強の火器【荷電重力波砲】――コードネーム【天國の剣(ヘヴンズ・ソード)】の威力を知った時であった。その破壊力は今までの艦船が有する破壊力の比では無い。いや、地球型惑星においては、大気圏外から大陸を穿つ事すら可能だというのは、比較にすら成り得ないだろう。
 クリストファは、この様なバケモノを造り出す事の出来る人類の科学力と、それを実際に運用しようとする人間の残酷性に、等しく戦慄を覚えた。

 椅子を並べて、共にレクチャーを受けているソフィ・ムラサメが時折、自分に意味深な表情を向けて来ている事は百も承知だ。自由時間など無いに等しいし、実際に私語など出来る状態ではなかったから、クリスは敢えてその表情に気付かない振りを装い続けなければならなかった。

 クリストファは、決断を迫られていた。第三者から迫られているのではなく、自分自身の心の中、から――だ。

 ホノルルでの滞在が二週間を迎えた頃だった。長いレクチャーの後、ホテルの食堂で遅い夕食を共にしていた時の事だ。
 デザートのチョコレートケーキを無表情で突付きながら、クリスは先日自分と同じくして、二階級の特進を果たしたムラサメ少佐に口を開いたのだった。
 ソフィ・ムラサメは現在の所、新造艦の副艦長の座が内定している。最も、最終的な人事権はクリストファ・アレンに預けられてはいる。
「中尉……もとい、少佐――話があるから、三十分後、俺の部屋に来てくれないか?」
「? ――はい」
 あてがわれた私室に戻ったソフィは、普段はまず付ける事の無い濃い色の紅を差してから、二割ほどの期待と八割ほどの緊張を微妙にブレンドして、きっちり三十二分後に上官の部屋を訪れた。期待と言うのは、純粋に女性としての期待。まあ、相手が相手なので、この場合は望み薄ではあろう。実際、期待と言えるほどのものでも無い。
 緊張はと言うと――ここ、二週間、神妙な表情でレクチャーを受講している上官の常に無い様子に対し、自分が覚え続けている『わだかまり』にいよいよ終止符が打たれるのではないか、と言う事に対する緊張、心構えのようなものだった。

 二回ほど深呼吸をしてから、ドアをノックする。『どうぞ』という声が返ってくるのを確認して、彼女は入室した。
 そんなクリスの私室は高級ホテルだけにセンスが良く、それに比例して高価な家具で統一されており、年相応の若者らしい私服を身に着けて重厚なテーブルの向こう側に腰を下ろして紅茶を傾けている彼女の上官、クリストファ・アレン大佐はお世辞にもこの部屋の主には見えなかった。
「まぁ、座ってくれ。紅茶でいいかい?」
「あ……、はい」
 馴れた手付きでクリスがポットに湯を注ぐ。備え付けのカップを取り出して、ソフィのための一杯と自分自身の二杯目を入れ、そのカップをテーブル越しにソフィの方に押しやった。しばらく二人は向かい合って無言で茶を飲んだが、自分のカップの三分の二程を空けると、クリスは無言を維持したまま、自分のブリーフケースから一通の封筒を取り出し、ソフィの方に差し出した。慌ててカップをソーサーに戻し、訝しげにその封筒を彼女は受け取った。封筒の表と裏を見てみるが、文字は何も書いていない。
「……何ですか?これ……?」
 透かしてまでみようとする自分の副官を見つめながら、クリスは、重い口を開いた。
「推薦状。……それを持って、アルテミスに戻れ。その手紙をステッグマイヤー中将なり、或いはレスター大佐に渡せば、悪い様にはならない筈だ」
 ソフィ・ムラサメは、その上官の発言が意味するところを理解する事ができなかった。にも関わらず、『アルテミスに戻れ』のフレーズだけは延々と脳裏を駆け巡っている。
 続いてクリストファ・アレンはルーズ・リーフの束を取り出し、万年筆で何かを書き殴り、その紙片をソフィの前に流した。
『俺はアルティマを奪取する』
 早書きだった事もあるが、相当に読み難い字だった。力強さはこの上無いものがあったけれど。
「えっ……?」
 クリスは再び、万年筆を手に取った。
『俺には非武装のエテルナを制圧するなんて出来ない』
 ソフィの前にその紙を置き、クリスはテーブルを立って窓際まで足を運んだ。そんな副長の、ソフィの顔を凝視する事が出来なかったのである。薄い生地のカーテン越しに夜景を眺めると、そんな窓ガラスに反射された、下を向いたままのソフィ・ムラサメの様子が確認出来た。
「――ふぅ」
 軽い溜息を吐きながら、クリスは自分の椅子を反対に回し、その背もたれに顎を乗せるような体勢を作った。クリスが万年筆を三度、手に取ろうとする気配を察してソフィが下を向いたまま口を開いて来たのはその時のことだ。
「――筆談なんて面倒な事は止めて下さい」
 どこか、冷たい印象を受けるソフィのそんな声と、内容にクリスは軽い狼狽を覚えた。
「だが――」
 言い掛けたクリスの言葉を制するように、ソフィは常に携帯しているハンドバックからボールペン大の機械を取り出した。
「盗聴されているのであれば、この機械が感知し、反応します。電波製の盗聴器自体はこの部屋には仕掛けられていません。また、ガラスの振動で盗聴する方法もありますが、この部屋はかなり高層部に当たりますし、周囲に高層建築物もありませんから、不可能なはずです」
 上官である自分が何事に付け、無頓着でいられるのは副官が優秀だからだ。そんな事をクリストファ・アレンは改めて、認識した。実際、クリスの気付かないところでソフィ・ムラサメは何かと気を遣ってきていたのだろう――これまでは。
「実は、艦長がこんな事を考えているのではないか、と――いや、違いますね――考えていて欲しいと、どこかで私はここ数日間、期待していたのだと思います」
 クリスは無言でそんなソフィの目を真っ直ぐに見つめ続けている。

「なのに――なぜ、そんな事を仰るの」

 驚くほど冷淡な声が出せた事に関しては、ソフィ自身が一番驚いた。仕切り直しを試みるつもりでクリスは紅茶を一口吸った。ソフィの勘の良さは今に始まった事では無いが、ここまで見透かされているというのは正直、驚きであった。
「――君を巻き込みたくは無いんだ」
 ソフィはテーブルを叩き付けるようにして立ち上がった。
「私だって、力になれると――」
 いよいよ罪の無いテーブルを叩いたのはクリスの左拳だった。頑丈なテーブルではあったが、その強い衝撃に非難がましい音を立てる。
「それ以上を言うなッ!!」
 クリスはいよいよ完全に強い口調で、ソフィ・ムラサメの主張を完全に遮断した。彼女に対してここまで語気を荒げたのは初めての事だったかもしれない。鈍い痛みの残る左拳を広げ、ゆっくりと息を吐き出しながら、クリスは言葉を繋げた。
「――上手く行ったところで、地球に戻ってくる事はまず、叶わない。……僕は天涯孤独……しかも【アプレント】だ――だが、君には家族がいるんだろう――? 今の『軍』の連中が、タダで物事を終わらせる道理は断じて無いんだッ!!」
 ソフィは絶句した。自分の上官にその身寄りが一切存在しない、と言う事実を彼女はこの時初めて知ったのである。そして、【アプレント】と言う言葉もまた、痛みを伴う新事実ではあった。
 であるが、当の上官もまた、自分の境遇を知らないらしい。
 ソフィは立ち上がって、窓際に歩み寄った。上官に初めて自分の境遇を打ち明けるために。
「……艦長、私にも家族はありません。両親は、五年前に事故で……」
 そんな艦長は目に見えてたじろいだ。迂闊と言えば迂闊だが、自分の副官の事を全く知らなかった上、調べようともしなかった自分自身に軽い憤りを覚えながら。
「――失礼した。知らなかった、そうだったのか……」
「私も、艦長の境遇を知りませんでした。おあいこですよ」
 ソフィはゆっくりと微笑んだ。微妙な笑顔だったが、この後に数回、クリスはソフィ・ムラサメのこんな不思議な微笑みを見る事になる。それは、嬉しくも哀しくもない、そんな時に見せる微笑だ。そんなソフィを見て、クリスは負け始めている自分に気付いた。

「艦長、いえ、アレン大佐、どうか私を、ムラサメを連れていって下さい……それとも、私では副長として、副官としては力不足でしょうか……?」
 アレン艦長は全く進退に窮した。力不足だなんてとんでもない話で、クリスは実際にソフィの能力をかなり高いレベルで評価していたし、何よりも長い年月の付き合いでもあるから、サポートを司ってくれるのであれば何かと心強いのは火を見るよりも明らかな事だ。だがそれでも、この時のクリスにはこの女性を巻き込む事に対して、根強い抵抗感が存在していた。

「ソフィ。僕の考えを示す前に、君の考えるところ――というのを聞いておきたいのだがね?」
 実は、この発言自体が敗北宣言になっている事に、この時のクリスは全く気付かなかった。反対に、ソフィ・ムラサメにとっては自らの勝利――と言う表現に語弊はあるが――を悟る相手の発言だった。ソフィは慎重に言葉を選んだ。
「――正直、複雑な心境です……私は、軍人ですから……ですが、今回の上層部――上層部と表現して良いのかは正直、微妙なところですが――の決定は人道に……正義に、反していると思えます……ですから、艦長の……大佐の決断は、正しいと思います……そして、私は太陽系惑星連合の軍人として、入隊したわけであり、今の【ヘイスティング軍】へ入隊したわけではありませんから……」
 ふう、とクリスは溜息をついてソフィの真っ直ぐな視線から目を反らした。全く、クリスの考えと等しい。椅子を蹴飛ばすように立って、室内を大股で歩き回る。落ち着きのない猫のように部屋を何周か闊歩して後、テーブルに着いて冷め切った紅茶に口を付けた。

 そして、最後に一度、重い溜息を吐いて。
「アレン容疑者と、ムラサメ容疑者の誕生だな。多分、太陽系内で最も極悪な犯罪者になるんだろうけどさ――」
 承諾と受け取ったソフィは、そのセンスが良いとは言えないクリスのジョークに声を立てて笑った。遅れてクリスも、笑った。

 ――どこか、贖罪の念を拭い切れぬまま。


   ◆ ◆ ◆


信号に何回か引っ掛かりはしたものの、大した渋滞に巻き込まれる事も無く、二人を乗せたエアカーは十分足らずでショッピング街へと辿り着いた。真っ直ぐホテルに帰着するつもりだったが、時間も多少余っていたので、急遽ショッピングに赴く事にしたのであった。
アルティマには食料品・医薬品等は充分過ぎる程の量が常備されているし、喫茶室や図書室、アスレチック・ルームまでもが完備されているとの事だが、個人個人の嗜好にいちいちこだわってはいられないので、それらのものはある程度自分で持ち込むより他が無い。

 現段階で仮に定められたアルティマのスケジュールは、一ヶ月強の演習機関を経た後にエテルナに向けて進発を果たす、と言う事になっている。本来のスケジュール通りで有れば、これからもちょっとしたショッピングの時間は少なからず、有るはずだ。月面や宇宙要塞の酒保での買い足しもそれなりに可能だ。


 ――本来のスケジュール通りで有れば、これからも――





 そして、いよいよ【アルティマ】が到着する!
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第四章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする