2758年01月01日

第I光:『覚醒』 第六章 Boy & Girl Meets Boys & Girls - I


「――?」
 何かが擦れ合う音が、自分の前方に座っている上官から発せられているものだ、とソフィ・ムラサメ少佐が気付くのに時間は掛からなかった。
『――艦長?』
 見れば、その左手が小刻みに震え続けている。遠目では分からないだろうが、一メートルと距離を置かずに、その後方に座している自分にはそれが把握でき――やがて、その擦過音の正体が判明した。
『歯軋り(はぎしり)だ――!』
 今、クリストファ・アレン大尉(当時)の【火星沖会戦】に於ける美辞麗句を壇上の提督が拳を振り上げながら熱く、語り続けている。
「然るに、勇気有るアレン大尉の決断は地球のみならず、火星においても多くの民間人の貴重な生命と財産を――」
 彼女、ソフィ・ムラサメの上官が、自分の過去を語りたがらないのは彼女自身が一番良く知っている。実際、彼の口から【火星沖会戦】に関する事柄を直接、聞いたことすらない。
話題に上がった際に機嫌を損ねることこそ無いが、明らかに『陰』の色が強くはなるので、【エクスィード】乗組員の中では、『艦長に火星沖の話はタブーだ』と言う不文律が広められている位だ。

 一方、渦中のクリストファ・アレン大佐は。
『ヌケヌケと抜かしやがる』
 どうも、怒りが抑えられなくなってきた。歯軋りの音が漏れているのは先刻承知のことで、自分の左後方のムラサメ少佐が気を病んでいるのも分かっている。トラウマ、と言う簡単な言葉で片付けたくはないが、あの戦争で精神に刻み付けられた傷は、今なお、疼き続けているのである。
 
 夢に見る。

 喪われた【エンプレス】中隊の最初で最後の出撃の瞬間から始まる夢は最悪だ。

 その悲劇的な結末を知っているだけに、なんとか事態を改善しようとする自分。

 だが、夢の中ですら。彼女たちを救うことが出来ない。

 そして、『最悪』とすら、形容出来ないのが、【クサナギ】艦内において自分が行った、一対一の白兵戦に関する夢だ。

 ご丁寧にも、自分が銃の手入れをしていたシーンから始まってくれる。

 エンリケ・ルージュル。その響きは激痛を伴って。

 魂が、精神が引き裂かれるのではないかという、絶叫が?

  ・
  ・
  ・

『いかん』
 この場で一つ一つの場面を思い出しかけている自分に気付いたクリスは、慌てて回想を打ち切った。この傷が癒える時は来るのだろうか――と、溜息を深く吐いた。

 そんなクリストファ・アレン大佐が自分自身を完全に取り戻した時、いつの間にやら式典会場が拍手の渦に満たされていた。どうやらこの会場においてはアレン大佐にとってのみ、拷問に等しかった『なんとか提督』の演説は円満に終了したらしい。
 心、ここに有らずの状態で、それなりに流すことが出来たことには心の中で自賛をしながら、握り締めていた肘置きを開放し、心にも無い拍手を自分も打った。笑顔すら浮かべることができたが、これは心からの笑みだったかもしれない。
視線を会場に設置された大画面に投じると、自分の笑顔がアップで反映されており、大きなクリストファ・アレンと目があった。
『やあ、あんたはどうやらヒーローらしいなぁ』
 そんな言葉を心の中で巨大な自分の顔に投げ付けた。クリスのアップは更に五秒ほど続き、次は客席の方へとカメラが向けられた。
「ふう」
 この間であれば問題は無い、と判断したクリスは胸元からハンカチを一つ取り出して、顔を拭った。それほどの汗をかいている訳でも実は無いのだが、どうにも気分が悪くてしょうがない。
 
 最大の拷問を抜け、あとはそれほど精神的にも負担になるイベントは残されていないはずだ。

 クリストファ・アレンは顔を上げた。

 笑顔すら見せている上官に、ソフィ・ムラサメは心から胸を撫で下ろした。当然、その笑みが意味しているところは、彼女には把握できない――今は、まだ。

 式典は進行して行く。

 普段にあってもTVの類をまるで、観ることの無いクリスですら何度か拝見したことのある位の、有名な女性アナウンサーが、その内から湧き上がる熱い興奮を隠そうともせずに妙に甲高い声で告げた。
「それでは、太陽系惑星連合軍の誇る、最新鋭航宙艦――【アルティマ】が只今よりその勇姿をご覧にいれます!皆さん、沖合にご注目ください!!」
 会場をざわめきが満たす。プログラムには載っていない演出だ。

 当初は見送られる予定になっていた『新造艦のお披露目』だったが、民衆に対するアピール性の高さに期待をする声が多く、採用の運びとなったらしい。【アルティマ】は本来、地球本星に降下する予定はなかったのだが、大気圏突入、及び圏内に於ける機動試験も兼ねて、その演習予定すら繰り上げ、太平洋上に降下を果たすことになる、と聞いたのは何日前のことだったか。

 大部分の関係者も、そして報道陣もこの展開は予想外だったようだ。しかし、実際に沖合で海面が隆起していくにつれ、誰もが魂を抜かれたように無口になっていった。この演出を事前に知っていたクリスとソフィだけが、特に感動も思えず、その海面が割れていく様を無表情に観察をしている。

「型式番号【RI-ma01X-002】、全長884.5メートル、総重量――」
 ソフィが耳をそばだてると、クリストファ・アレンの呟きが聞こえた。

 クリスとソフィ、この二人の脳裏には【アルティマ】のスペックは全て、完璧に刻まれている。

 艦の最先端に備えられた1番アンテナがまず、最初に海を割った。

 続いて、【アルティマ】の外観上の最大の特徴である、最後部のドームの突端が露出する。この中には、各種機関ユニットが巧みに絡み合った状態で含まれているはずだ。

「浮上角度が甘いな」
 クリスは、顔は向けずにソフィ・ムラサメに言った。
「――ですね」
 苦笑を作りかけた自分の顔を慌てて引き締めながら、ソフィは一言だけ答えた。

 現在の乗り手達が垂直上昇による海面離脱を試みていたのであれば、最初に露出するのは最後部のドーム突端で無ければならない。

「――まあ、本職じゃあないしな、仕方無しか」
 柔らかい声を出しながら、クリスは襟元をハンカチで拭った。

「――出るよ」
 クリストファ・アレンが指を天に向けた。勿論、腕を上げることはなく。

 その艦体に残留した海水が、滝の様に海面に流れ落ちていく。その音が、会場まで響いてくる。その海水の音が静まるに連れ、重低音を伴う機動音が伝わってきた。もっとも、その機動音は従来の空中艦のそれと比較すると、「無音」に等しいとも言える。

 それ――【アルティマ】は、桁外れのスケールだった。沖合での浮上にもかかわらず、人々はその輪郭をきちんと捉えることが出来るのだから。報道機関専用座席にて、互いに半ば罵倒をしながらより良いスペースの確保に勤しんでいた各局の報道陣にしても、咄嗟(とっさ)に対応が取れるものはいなかった。
『バカ野郎、カメラを向けろ、このボケ! 給料分の仕事しろッ――』
 一人のカメラマンがスタジオのスタッフからの罵声を受けて、左肩に備えられたそのカメラの望遠を慌てて定めると、ようやく我に帰った他のカメラマン達も堰(せき)を切ったようにカメラを向け始めた。

 ダークシルバーの怪鳥【アルティマ】は予定通り、その巨体を滑らせるように式典会場へと接近して来る。

 わあっ、と溜息とも畏怖の叫びとも付かない声が会場を多いに満たした。

 スペックを熟知はしていても、実際に目の当たりにすると自ずと、別の感想が出てくる。
「――すっげ」
 クリスのその呟きが顕著な例だろう。

 あまりにも巨大過ぎるので、距離感がまるで掴めない。クリスやソフィですらそうなのだ。観衆の中には、半ば腰を抜かし掛けている人間までいる。

 全長800メートルを越える艦艇は、実は過去に例がある。現在は一隻しか残っていないが、『シャイン級』と呼ばれる航宙母艦がそれだ。もっとも、【クサナギ】、【カーリマン】に始まる『シャイン級』は大気圏内での機動はほとんど果たせない。有事の際の緊急接地――が関の山だ。

 だが。

 こいつ――【アルティマ】は1Gの重力の楔を自ら断ち切って、その大気を自由に飛翔することが出来るのだ。大気圏突入は元より、離脱すら可能。

 機動力に秀でているだけではなく、従来の艦艇とは比較にもならない、火力、武装をも備えた強襲巡洋艦。【ULTIMER(=極め)】のネーミングは、決して伊達では無い。

 そんなバケモノは速度を落としながら、会場上空に進入をしてきた。

 繰り返すが。当日のハワイはホノルル、その天候は極めて、良好也。

 にも関わらず、【アルティマ】の式典会場上空での滞空は、その式典会場にそれまで存分に降り注いでいた太陽光を全て、遮断してしまった。

 全員が全員、圧倒的に過ぎる質量――【アルティマ】を呆けた顔付きで見上げているのを責めることの出来る者はいない。

 気の抜けるような音を立てて、【アルティマ】は完全に停止した。

 それを皮切りに、軍楽隊が盛大な演奏を始める。

 これはどうやら本日の為にわざわざ作られた楽曲らしい。

 クリスは実は、軍楽隊の演奏は非常に好きなのだが、今回の楽曲はどことなく威圧感だけが強調されているように感じられ、彼の好みとは懸け離れたものだった。明確な、それも好意的とは表現し難い先入観があることが影響を及ぼしているのだろう、とは自覚している。

 まともに耳を傾けるのを早々に放棄したクリストファ・アレン艦長が【アルティマ】の船底の細部を注視している内にそんな演奏が終演した。軍楽隊に対して、観衆から盛大な拍手が湧いた。
「それでは【アルティマ】の艦長となったクリストファ・アレン大佐、同じく副長のソフィ・ムラサメ少佐の記念すべき、初乗艦です!!」
 進行役を務めている女史某(なにがし)が良く通る声で、この場の多くの人間から忘れられ掛けていた司会役の存在を改めて表明した。

 それまでは後方と横合いに二分して控えていた水兵達がクリストファ・アレンとソフィ・ムラサメの周囲を再度、その銃剣を構えた状態で固めた。

 壇上前面の床が割れて、ジャイロ(ヘリコプター)が迫り上がってくる。ご丁寧に、白銀に塗装され、その側面には【鳳凰是太刀也】、つまりクリストファ・アレン大佐のノーズ・アートまで刻まれている。仮に事前説明が無かったとしたら、クリスは平常心を保つのに相当の苦労を背負い込むことになっていたに違いない。

 後の自分達は、役者に徹するのみ。

 クリストファ・アレン大佐とソフィ・ムラサメ少佐はヘイスティング及び、その幕僚達が固まっている特別席の方向に向き直り、全く寸分の差も無く、その両踵を打ち付け、肘から上げる最敬礼を行った。

 これ以上が無いほどに完璧に揃った二段階式の最敬礼を目の当たりにした観衆達から溜息と拍手が上がる。ディスプレイには、特別席のシャルル・ヘイスティングが満足げな笑みを浮かべ、返礼を作っている様子が映し出されている。

 ヘイスティング元帥がその敬礼を崩すのをディスプレイにて確認し、クリスとソフィもその敬礼を解いた。

 水兵の一人が、銃剣を一回転させた。目前で高く掲げた後、左肩に乗せ、大仰に一歩を踏み出した。

 一人、もう一人。次だ。

 『この時に観客席に向けて手などを振っていただけると、観衆が盛り上がると思います』

 ハミルトンが感情の一切をその顔に乗せずに言ってきたことを思い出したクリスは、水兵に囲まれながら、観客席に対し、手を振って見せた。

 割れるような歓声が瞬時に返ってきて、正直『引いた』が、どうやらそんな行動を中止するタイミングを完全に逸してしまった。半ば諦めて――当然、顔には出さない――上半身を回しながら、なるべくの多方面に向けて手を振ってみせる。自虐思考が再度持ち上がる気配があったが、どうにか押さえ込みながら、クリストファ・アレンは手を振り続けた。

 軽快な音を立てて上昇するジャイロの中で己の精神をいくばくか、開放することが出来た。それでも、どこからかカメラは追跡にあたっているだろうから、完全に気を抜くことは不可能。

「ジャイロ、初めて乗るよ――楽しいね」
「あら、そうなんですか?」
 数時間ぶりにまともにソフィと言葉を交えることが出来た。意外そうな表情をソフィは作った。そんな上官は本当に、心から楽しそうな笑顔を浮かべている。
「でも養成校では――?」
「――うん。ジャイロ実習の前に招集されちゃってさ」
 上官の表情が曇り掛けるのに気付いたソフィが話題を転じようとした時、ジャイロのコ・パイロット(副操縦士)が、
「大佐、そろそろ着艦致します」
 クリスが後部座席から体を乗り出して、前方の景色を覗き込んだ。
「あそこかい?」
 クリスが示したのは、【アルティマ】の前部甲板の一部だった。素早く脳内の【アルティマ】艦内図を展開する。
「なるほど、第二物資搬入口か――」
 目を細めると、数人の人影が確認できた。その内の一人が着艦指示器をその両手に持って、ゆっくりと振っている。
「なあ、副長――正規軍人はまだ誰も乗っていないはずだよな?」
 クリスの頭の隙間から同様に前面を眺めながら、ソフィは頷いた。
「ええ――その筈です」
「って、ことは例の技師の連中か――」
 クリスはパイロットに対しても笑って見せた。
「なんでもやるんだね、アイツら」
 メイン・パイロットがクリスの言葉を受け、苦笑気味に
「ですが、誘導は完璧ですよ」
 言った。
「この程度だったら無誘導でも完璧に着艦できますけど」
 コ・パイロットも不思議そうに、だが笑いの衝動を隠しもせずに言ったものだ。

「まあ、指示に乗ってやってよ。折角だ」
「アイ・サー」


 リョウ・ターミナが完璧な誘導を行って、ジャイロは振動音を全く立てずに着陸した。

 ヒムラ・キリオとレティシア・ハザリンは姿勢を正した。ジャイロの起こす風が、彼等の髪の毛を叩き続けている。レティシアは風圧で飛ばされ掛ける自分のベレー帽を小脇に抱えた。

 なお、この段階で彼等は軍から支給された軍服――【アルティマ】乗組員のみに支給される特別にデザインされたもの――でその身を包んでいる。技術士官、と言うことで、その色はベージュが基調となっている。

 キリオはどうにも苦しい詰め襟を弄り回したい衝動に強く駆られ続けているのだが、さすがに今、それを実行に移すわけにもいかなかった。

 ジャイロの扉が音を立てて、跳ね上がって。





 クリストファ・アレンが果たして、【アルティマ】に降り立った。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第六章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2757年01月01日

第I光:『覚醒』 第六章 Boy & Girl Meets Boys & Girls - II


 ジャイロのパイロット達が略式の敬礼を作りながら、その機体を上昇させた。クリストファ・アレン大佐とソフィ・ムラサメ少佐がその甲板上にて返礼を作るのに倣って、ヒムラ・キリオも返礼を作って見せる。
「ジャイロ離脱を確認。搬入口、閉じます」
 そう言ってきたレティシアに敬礼を維持しつつ頷く。
『――うう、胃が痛ぇ』
 どうも、敬礼を解くタイミングが良く分からない――ヒムラは、さりげなく敬礼を崩しつつ、軍人二人組の方に体を運んだ。

 三重構造のハッチが素早く閉じられ、一瞬、搬入庫内は暗闇に包まれた。
「ランクS、音声認識要求――庫内、点灯!」
 声の主はだが、ヒムラ・キリオでは無かった。正しくは、キリオは口を開いたのだが、その前に、正に発しようとした言葉を先取りされた形に近い。

 プログラムに即した音声命令に速やかに応じたシステムが、庫内に照明を一斉に入れた時、キリオは気付いた。声の主が、クリストファ・アレン大佐であったことに。

 初めての乗艦でありながら、相手が【アルティマ】のシステムを把握しているのに、少なからずキリオは驚いた。それも、模範通りの音声命令で。

 止まり掛けていた足を心持ち、早くしてヒムラ・キリオは二人の元へと辿り着いた。

「初めまして。【team-A(アルファ)】代表、ヒムラ・キリオです」

 見るからに、馴れない敬礼を作ってみせた相手に心からの笑顔を向けながら、クリストファ・アレンが返礼を返す。

「こちらこそ。【アルティマ】艦長を拝命した、クリストファ・アレン大佐です」

 驚いたことにクリストファが手を伸ばしてきたので、ヒムラ・キリオは慌てて手を出した。
「――」
 二人は握手をした。キリオにとって、相手の手の平は驚くほど、柔らかく、暖かみのあるものだった。
「どうか、今後とも宜しくお願いします」
 曖昧な言葉を発しながら、失礼にならない程度に素早く、相手を観察した。

『――どうも調子が狂うな』

 目の前の人物が、どう見ても百戦錬磨の『猛者』に映らないのである。

 以下、キリオの脳内。

『なんだかなあ。背も高くないし――筋骨隆々と言う訳でも無し――髪の毛は長いし――ああ、確かに女性みたいだな――実は女だったりして――いやまさかなあ――うーん――まあ、ウチの奴等(女性社員)が目を丸くするのも無理はねえか』

 結論。

『軍人に見えねえ――ましてや、【白の戦慄】ってウルトラ・エースになんて』


 事前に、彼の経歴、素性に関しては完璧に調べ上げてきたが、実物を目の前にした感想は、そんなものだった。――人の良さそうな色男――以上の人物には、見えないのである。

 握手を解いたそんなクリストファ・アレンが副長兼副官を紹介に入った。

「あ、こちらがソフィ・ムラサメ少佐です」
 クリストファがたった今、握手を行っていた手をソフィに向けた。
「ムラサメです。宜しくお願いします――」
 やはりソフィが手を出してきたので、ヒムラは慌てて手を出した。


 ヒムラ・キリオの脳内(再):この番組は立体映像で放送しております:

 『ウッヒョー、美人(以下省略)』

 ……こんなヒムラ・キリオを誰が責められようか。いや、誰も責められまい(反語)。


   ◆ ◆ ◆


「――この世の中は舞台。人は皆、役者――」
 少女が虚ろな目を宙に漂わせながら、突然そんな呟きを漏らした。
「――どうしたの、ミランダ姉さん?」
 ミランダと呼ばれた少女の前で不器用に箸を使いながら味噌汁を飲んでいた女性が尋ねる。姉――確かに、その女性はそう言った。明らかに、彼女よりも年少に見える少女に対して。
「ううっ。なんだか、そんなかんじしたの。ごめんね、マノア」
「別に謝らなくてもいいんだけどさ――またシェークスピアなの?」
 マノアは半ば溜息を吐きながら言った。この姉の会話に着いていくのはなかなか、大変なことなのだ。
「うん。あ、おみそしるのおかわり――いる?」
「あ、貰おうかな。ありがと、姉さん」
 ミランダに二杯目の味噌汁を注いでもらいながら、マノアは壁に掛かったTVモニターに視線を投じた。相も変わらず、面白くもない式典の映像が繰り返し、流されている。それでも、あの中には愛すべき人達が沢山、乗っているのだ。
「姉さん、明日にはここ、出るからね――準備は終わった?」
 椀を差し出しながら、ミランダは首を傾げた。
「だいたい――おわったよ」
 二つの言葉を繋ぐ間の意味するところに気付いて、マノアが今度は溜息を吐いた。
「明後日にはキリオさん達が来るんだからね。後で手伝うから、荷造りしましょうね」
「にいさまたちが――!?」
 数日前から繰り返されている会話だ、と言うことをマノアだけが認識している。重い溜息を再度、吐き掛けた彼女はなんとか、押し留めることに成功した。
「どんなおようふく、きていこうかなあ――」
 視点の合わない目を漂わせながら、ミランダはその整い過ぎた顔に幸福の色をしばし、湛えた。


   ◆ ◆ ◆


「まずはブリッジ(艦橋)に赴きましょう。会場上空より離脱をしなくてはなりません」
 場にいた全員で互いに簡単な自己紹介を終えた後のクリスのその言葉で、艦内の長距離移動に用いられる六人乗りの屋根無しエアカーに揺られて、ブリッジへと一団は向かっていた。ハンドルを握るのは、つい先程、有能な誘導手として認識をされたリョウ・ターミナだ。

 艦内の移動に関して、エアカーを『足』として使うことは通常、有り得ない。

 【アルティマ】の艦内空間の広さが自ずと伺い知れる一幕ではあるだろう。

「この世の中は舞台。人は皆、役者――か」
 エアカーに揺られながら、そんな呟きがクリストファの口から唐突に零れた。
「何か仰いまして?」
 そんな呟きに気付いたソフィが、隣の席からクリスに顔を向けてきた。
「いや? 何も――」
 惚(とぼ)けてみせたが、実は一番驚いたのはクリス自身である。
『なんで、突然シェークスピアの一節なんて思い浮かんだんだろう?』
 風の抵抗によって舞い上がり掛ける軍帽を抑えながら、クリスはしばし、己の世界に没頭した。

 軽快なモーターの駆動音を立てながら、エアカーがブリッジに向かう。

   ・
   ・
   ・

 式典会場の方では、数十分後の【アルティマ】機動の瞬間を待っている多くの人々がいた。その時までの『つなぎ』として、任務の成功を確信するかのような演説を再びハミルトンが始める。誰からとも無く始まったエールが、次第に会場全体を包み込むようになっていった。

「あーあ、何だか猿芝居よねぇ。」
「それは言わない約束だろ。」
「いつもすまないねぇ……」
「何を言いたいんだ?お前さんは……」
 盛り上りを見せている式典会場とは打って変わって、肝心の【アルティマ】のブリッジでは何とも表現し難い会話が続いている。会場の様子をサブ・ディスプレイで観察ながらのシャルロッテ・グルーミングとキム・レクソールの会話だ。同様にブリッジ詰めの他の6人は、そんな二人の他愛の無い会話を、笑いを堪えながら拝聴している。
「……何だか、大昔の映画で、こんなシーン、観たことある様な気がするなぁ……」
「大抵、碌(ろく)な結末を迎えないヤツね」
 不毛な会話を打ち消すように、彼らの背後で圧縮空気によって扉が開かれるお馴染みの音が立った。
「イヨイヨ来るわね、『美形』が」
「――間違っても艦長の前でそんな発言をしないように」
「わかってるわよッ!!」
 二回目の音が響く。有事の際を考慮して、ブリッジの扉は三重構造になっているのである。目的がその点にある訳ではないのだが、結果的に誰かがブリッジに入る時はその直前に自ずと察知できる、ということになってはいる。
「来るよ」
 複数の靴の音が響いてくる。シャリーとキムが新艦長と新副長を迎えるべく、その専用の座席から立ち上がった。サブ・オペレーター席のナナ・マネーシー、エリザ・ヤマナカ等も慌てて立ち上がる。他の四名も、それに続いた。

 16の瞳が、扉へと向けられた。

「よぉし、みんな揃っとるなぁ」
 まずはお馴染み、それでもほんの少しだけ緊張感を湛えた彼らの主任、ヒムラ・キリオがその姿を現わした。

 続いて軍の特別製の、この日のためだけの軍礼服を窮屈そうに身に巻き付けた青年が現れた。そしてその横にひっそりと、やや意匠の異なった軍礼服を着用している女性。
「初めまして。本艦の艦長に任命された、クリストファ・アレン大佐――」
「並びに副長の任に就きました、ソフィ・ムラサメ少佐です」
 横に控えるヒムラは正直、驚いた。阿吽(あうん)の呼吸とでも言うのだろうか。事前に打ち合わせでもしていたのではないだろうか、とすら思える。そんな完全に息の合った挨拶に対して、ブリッジ組が慌ててバラバラの敬礼を返す。
「――紹介しましょう、現段階で操舵士を務めているキム・レクソールとメイン・オペレーターのシャルロッテ・グルーミングです――」
 最初にヒムラ主任の紹介を受けて、キムとシャリーが頭を下げる。
「そして、サブ・オペレーターのナナ・マネーシーとエリザ・ヤマナカ――」
 クリスは大きく頷きながら、ヒムラの紹介を聞いている。
「それと、現在は研修中――と申しますか、訓練途中の四人――左から、ヒャック・リー、セクノア・ロットフィル、サーヤ・リベル、そしてレティシア・ハザリンです」
 最後に全員が会わせて頭を下げたのに対し、クリスとソフィも同じ角度で頭を下げる。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
 
 この二人の腰の低さとはなんなのだろう、ヒムラ・キリオは判断に苦しんだ。

   ・
   ・
   ・

「オペレーター、発進予定時刻までの残り時間を知らせてください」
 艦長席に腰を沈めたクリストファ・アレン大佐は、開口一番そう言った。もう、その表情に柔らかさは無い。ここに来て、キリオはようやく、【白の戦慄】の一端に触れることが出来たことを知った。
「はっ。発進予定時刻まで、あと4分と14秒です」
 心持ち、緊張をしながらシャルロッテ・グルーミングは応じた。
「――心得ました。各種機関の現在の状態をムラサメ副長の端末に転送を願います」
「了解です」
 シャリーに代わって、サブ・オペレーターのナナが素早く端末を弾いた。艦長席より少しだけ低い位置に設定された副長席にソフィ・ムラサメが礼服の裾を若干、気にしながら着席を行った。ヒムラ・キリオの指定席は、それとちょうど反対側にあたる部分だ。つまり、クリストファ・アレンをヒムラとソフィが挟む形となった。
「艦長、これを――」
 ソフィ・ムラサメが両手を添えて恭しく、一本の杖を差し出した。指揮杖である。
「感謝する、副長」
 目礼しながら、クリストファは指揮杖を受け取った。【エクスィード】にある物と全く同じ物を――と言う自分のリクエストが完璧に通っていることを確認して、クリスはその顔(かんばせ)に微笑みを浮かべ、艦長席から立ち上がって、何も存在しない、自分の正面の虚空を力強く突き刺した。
「――コレじゃないとなっ。フフッ」
 誇らしげに笑い声を一つ立てたが、ソフィを除く全員が自分の方を唖然とした顔付きで眺めやってきているのに気付いた。ナナ・マネーシーと紹介されたサブ・オペレータなど、その体を震わせ掛けている。
「ナニかね――?」
 素早く居住まいを正し、艦長席に楚々と座り込んでそんなことをクリスは言った。
「い、いえ、なんでもありません」
 キム・レクソールと言ったか。操舵士が、シドロモドロに答えながら、頭の回れ右をする――が、やはりその体は小刻みに震えているように見えてならない。
「各自のモニターから目を離すな。それと、グルーミング――さん」
 言葉に詰まったのは、彼女の階級が咄嗟に出てこなかったためだ。もっとも、彼等に階級はまだ無い。
「はっ――はい」
「先程、発進時刻についてこちらが尋ねた時、長ったらしく答えてくれましたが、もっと簡潔に答えてもらわないと、実戦では命取りになります。今後は、気を付けて下さい」
「了解です――」
 どう見ても、照れ隠し以上のものではない。それもあまり、巧みとは言えない茶の濁し方だ。振り向いたシャリーは、笑いを堪えるのに尋常でない苦労を背負わなくてはならなかった。

 迂闊にも、【エクスィード】艦橋で執っているかのように振る舞ってしまった自分に、クリスは人知れず、赤面した。だが、決して不快というわけでもなく。

 この感覚はどこから、来るものなのか。クリスはしばらく、その点に思いを巡らせた。

   ・
   ・
   ・

「艦長、定刻です」
 ようやく笑いの衝動を消し去ることができたシャルロッテ・グルーミングが顔を半分、向けながら報告を上げてきた。
「――心得た」
 クリストファ・アレンは艦長席から立ち上がり、指揮杖を前方に『軽く』向けながら、その朗々たる声で述べた。
「高度現状維持、1微速前進、面舵23。機動開始十秒後に、前進速度、2微速へ。以降、速度・高度共に維持。通信回線は、フルオープン――副長は潜水に備え、艦内気密チェックを二回、行うように」
 一息で言い終わり、各々の担当者から一斉に返答が返ってくる。
「艦長、発進の指示を」
 操舵士であるキムが、その席上にて長身を一際、伸ばしながら指示を仰ぐ。

「艦長であるクリストファ・アレン大佐が命ずる」
 敢えて、クリスは一拍置いた。

「――【アルティマ】、機動ッ!!」
「――アイ・アイ・サー」
 当初、軍隊用語の使用を頑なまでに拒み続けてきた『はず』のキム・レクソールにとって、この返答は生涯、忘れられないものとなった。

 彼、キム・レクソールは、その生涯において。


 クリストファ・アレン

 ヒムラ・キリオ

 ソフィ・ムラサメ

 この三人以外に、決してこの復唱を行わなかったのだから。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第六章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする