2747年01月01日

第I光:『覚醒』 第七章 孤児達の叛乱 - I


「――落ち着けたら、大宴会でもやりたいね」
 アルティマの第一電算室において、リンダ・フュッセルから簡単な説明を受けたばかりのクリスは、思わずそんなことを口にした。
「いーですね、派手にいきたいですねえ」
紙の書類から目を上げながら、リンダは大きな笑顔を作る。
「酒も山のようにあることですしね」
 合いの手を入れてきたのは、マエダ・イチローで、やはり紙の書類と格闘している。
「その表現は実に的確だと思う」
 呆れた様子を大袈裟にアピールしながら、クリスはイチローに軽口を叩く。そんな折り、携帯端末が音を一つ立て、予定時刻の終了をクリストファ・アレンに通知した。
「忙しいところ、すまなかった。分かり易い説明で助かったよ」
 携帯端末の画面表示を一瞥しながら、クリスは二人に礼を言った。
「まあ、最終チェックなんで、問題はねえ――ですよ」
 ちょっと気を抜くと、言葉遣いがぞんざいになってしまう。半ば、強引な修整を行いながら、リンダが答える。
「本当にありがとう――さて、ブリッジに戻らないと――」
 そんなリンダの言葉遣いを全く気にしない様子で、クリスは電算室から足早に退室していった。電算室の扉が鈍い音を立てながら閉じるのをさり気なく確認した後、
「いやー、上手く落ち着いてよかったねえ、ホント」
 部屋備え付けの給茶機から新しい一杯を取り出しながら、リンダがしみじみと呟いた。
「同感。でも、結果論になってしまうけど、もっと早く互いの意志疎通が果たせていたら尚、良かったけどね」
 ちょうど、プリンタから吐き出されたばかりの書類を裁断しながら、イチローは答えたものだった。
「でも、ベストのタイミングだったんじゃないのかな。切っ掛けを作ってくれた『俗物くん』には感謝を、だね」
 言いながら、裁断されたばかりの書類を一瞥し、リンダは胸ポケットのボールペンを取り出した。幾つか、気に食わない数字が見えた様な気がしたのである。
「あ、それは問題ない。【ヤオ】のフラクタルノイズ(=f分の1ゆらぎ)みたいなものさ」
 確かに、良く見れば誤差範囲内の数字ではある。
「ふむ、思いの外、高性能に仕上がったね【ヤオ】は」
 満足感を覚えつつも、妙な悔しさをリンダは覚えていた。
「つーか、責任者は俺なんだから、あまり凹むこと言わないでくれよ」
「わりいわりい」
 苦笑いを浮かべながら、リンダは半分ほど中身の残ったカップを端末脇に置いた。
「やっぱ、ノープロだね。完璧じゃん」
 端末の表示画面と、最終結果を示す書類を見比べながら言う。
「ああ。【ヤオ】の検算、シミュレーションとエミュレーションも5000回づつ、任意条件下で行ったけど問題は無い。パーフェクト」
 ブルゾンの袖をまくりながら、誇らしげにマエダ・イチローは宣った。自分達の第一段階の仕事は、完全に終了した。あとは、『実戦』の時を待つのみだ。
「あ――そう言えばイチローさあ」
 イチローに先んじて寛ぎ(くつろぎ)の体勢に入っていたリンダが、間の抜けた声を出した。
「なーにー?」
 目元のマッサージを行いながら、イチローも緊張感の欠如、甚だしい返事を投げ返す。
「あんた、ユキとマックスのこと、艦長に話とかしたの?」
 イチローの動きが、物の見事に静止した。このボールペンで突っ突いたら、砕け散るんじゃないか――とリンダが思うほどに。
「忘れてた――っつーか、そもそも時間が無かったし」
「まあ、落ち着いてからの方が良いかもね――アタシだったら――」
 リンダはカップを持ち上げて、言葉を選んだ。
「こんなテンパってる状態で聞いたら、卒倒するけど」
 自分の首を絞めるような真似まで演じて見せたリンダのその言葉に、マエダ・イチローはその頭を抱え続けるしかなかった。白目まで剥いて見せた絞殺死体、リンダ・フュッセルが続いて、右拳を左掌に打ち付ける。ぱあん、と景気の良い音が電算室に反響した。
「それと、今度の件が終わったら――【ヤオ】とあんた、でもって部下達。協力して貰うからね。フフフ」
 もう一つ、頭を抱えるべき問題が提示された。
「本当に、やるつもり?」
「当然。時間はタップリあるだろうし、心弾まないか? 謎の巨大人型ロボット! これで血が騒がないヤツはタマナシもいいところさ」
「――相変わらず、お下劣だね――大体、あれは『人型』って表現するには問題があるような気がするが」
 細く、たなびきたる息を、イチローは吐いた。既にこの時点で彼は、リンダの依頼に関しての抵抗行為を、完全に放棄していたのである。

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『しかし面白い人が多いな――』
 後はブリッジに戻って、キリオと最後の打ち合わせを行えば、予定時刻を待つだけの身となるクリストファ・アレンは、その後ろ髪を揺らしながら通路を足早に進んでいた。途中、何人かの技師とすれ違うが、もはや互いに遠慮はなかった。『艦内での敬礼禁止』をまず、先んじて布告しておいたこともあり、お互いにすれ違いざまに軽い笑顔を浮かべつつ、片手を挙げる程度である。
「お疲れさまです!」
「こちらこそ」
 この時は、そんな一言を交わし合ったりもした。そんな今の状況に想いを巡らせ、しばしクリストファ・アレンは自らの精神の躍動を強く自覚した。【アルティマ】に乗り込んでから、初めて『人間』になれた気がする。人は、人の間にいてこその人間なのだから。

「俺、ヨモギとミタラシで」
「第一電算に詰めている人の分も持っていくから、適当にまとめて」
 つい先程、後にした第二電算室と、目的地である艦橋の、ちょうど中間地点に据えられているカフェテリアの中から人のざわめきが聞こえてきた。
「――?」
 クリストファが何事かと覗き込んでみると、先日、見知ったばかりのマノア・ルヴァトワが、厨房の一部を占領して何人かと共に『店』を広げていた。その周囲を、多くの人間――客と言うことになるのか?――が、取り囲んでいる。何の店なのだろう、と興味はあったが、ゆっくりと観察をする時間的余裕は無い。クリスが一歩を踏み出しかけたその時。
「あっ」
 マノアの隣の女性――なんと、割烹着姿だった――が、立ち去り掛けた自分に気付いて、明らかな反応を見せた。何やら、イソイソと袋を取り出して、こちらに駆け寄ってくる。どう控えめに考えても自分を目標としているようだったので、どうにも立ち去れない。
「あっ――姉さん」
 気付いたマノアがそんな声を上げた。なんやかんやと注文を付けていた客達も、そのマノアの声に一様に視線を返した。カフェ入り口に佇む艦長の元に、ミランダがトコトコと頼りなげに駆け寄っていくと言うビジュアルを、多くの人間が共有した。
「ブリッジ、いくんでしょ? これ、みんなのぶんだから、ついでにもっていってあげてね。おちゃもはいっているから、こぼしちゃだめよ?」
 満面の笑顔で、ミランダは袋を両手で、クリスに差し出した。
「え――ああ、良いよ」
 やはり、両手で袋を受け取りながら、クリスはさりげなく、相手を観察した。うーん、前回のマノア・ルヴァトワの時と同様に、その顔には見覚えがない。それに――アルファ・チーム構成員の平均年齢が低いことは当然、知ってはいるが、目の前の女性はどう贔屓目に見てもミドル・スクールの学生以上には見えなかった。大きな瞳が大層、印象的で、この上なく綺麗な女の子ではあるが――どこか――違和感を覚えないでもない。
「とおーーーーーーーーーーっ!!」
 硬直したマノア・ルヴァトワと客集団の中で、最も早く自分自身を取り戻した男がいた。ピエトロ・オサナイが、半ば砂煙を立てて疾走してきて――アルティマの船内で砂煙が立つ筈はないが、比喩表現と受け取っていただきたい――クリスとミランダの間に割り込んだ。トリプルアクセル。
「はっはっは。いや、私が持ってきますから、気にしないで下さい艦長! わは、わははははははははは」
 わざとらしい作り笑いを声で出しながら、ピエトロはその両手をクリスに対し、大仰に差し出した。
「いや、ブリッジに行くのは事実だし、全然気に障っていないからいいよ」
 元より、奢らない性格でもあるクリストファ・アレンは事実、全く気にしていない。寧ろ、気持ちが良い位のものだ。
「これ、何人分?」
 満面の笑顔を浮かべているミランダに、クリスは質問をした。
「えっと、たっぷりとじゅうごにんぶん」
「ン――充分だ。ありがとう」
「きをつけて、はこんでね」
「了解〜」
 微妙に足を開き、その両手を空中で広げたまま、凝固しているピエトロを尻目に、クリスはその手をヒラヒラと振りながら全員の視界から消えて行ったのだった。

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「へえ、団子だ――」
 袋の中から匂い立つ香りに満足しながら、クリスはブリッジ直通のエレベータに乗り込んだ。恐らくは、『作戦前』最後の、ティー・タイムになるだろう。
「はあ」
 自分以外に誰も存在していない、と言う状況下で、思わず溜息が漏れた。小一時間後に控えられている『作戦』において、自分が協力できることが絶無に等しい、と言うのがその溜息の主成分を構成していたのである。
 今までの数え切れないほどの任務において、常にその中心的役割を果たす位置に立っていた自分としては、非常に落ち着かないものがある。『他人を信用し、全て一任する』と言う状況には馴れていないのだ。
 チャイム音が鳴り、電子音声が艦橋通路への到着を告げた。クリスは自分の頬を一つ、軽く叩いて、その表情を元に戻した。

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「問題は無い?」
 袋を下げたまま、クリスは艦長席脇の第一副長席にて端末を叩いている副長、ソフィ・ムラサメに声を掛けた。
「ありません。全て、順調です」
 副長の端末を覗き込むと、彼女は艦のセキュリティ・システムのフルチェックを行っている最中だったことが分かった。恐らく、リンダ・フュッセル女史から依頼でもされたのだろう。今回の『作戦』において、自分達が手伝えることはほとんど無いのは全くの事実でもある。
「作戦開始まで、あと如何ほどだ?」
「――二時間を切りました」
 ソフィの言葉に一つ頷いて、クリスは手に持った袋を高く持ち上げながら、ブリッジ組の全員に届く声量で。
「手の空いている人は、お茶にしよう――」

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 艦長席のデスク上に各種団子――醤油餡、ヨモギ餡、きな粉――が並べられた。
「手の空いた人から、勝手に取っていってくれよ。一人、三本がノルマらしい」
 本数を数えながら、クリスは言った。
「なんだか、使い走りの様なことをさせてしまって、すまないな艦長」
 ヒムラ・キリオが醤油餡を一本、手に取りながら謝罪を行った。
「いや、ついでだったし、気にしていないよ」
 この二人は日常においては、敬語は省略することを既に決めていた。答えながら、クリスはヨモギを拾い上げて、口に含んだ。
「美味いな――冷凍品にしては」
 口の中に広がる草の息吹と粒餡の絶妙な取り合わせに満足しながら、クリスは呟いた。
「あ、コレ冷凍じゃないですよ、多分」
 いつの間にか横に立っていたシャリーが、クリスと同じヨモギを咀嚼しながら言ってきた。
「冷凍ではない――って?」
「ええ。多分、ユキさんの『お手製』じゃないかなあ、この味。前に貰ったことがあって」
 目を閉じて、その味を深く確かめながらシャリーが答えた。
「へえ――手作りとは、大したものだね」
 ユキさんと言うのが、誰を示すのかは分からなかったが、クリスは適当な相槌を打った。団子が大変に美味なのは事実でもあることだし。
「あ、忘れてた――お茶も貰ったんだった」
 クリスが袋に伸ばそうとした手よりも早く、折良く仕事にケリを付けたソフィが中身のポットを持ち上げた。
「これは私がお入れしましょう」
「ありがと」

 アルティマのブリッジは団子の甘い香りと、焙じ茶の芳香に満たされた。

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 遡ること二時間前。つまり、クリストファ・アレンとヒムラ・キリオの同盟が成立した、直後のことだ。
「――なるほど、そんなことを考えていたのか」
 ヒムラ・キリオ率いる【team-A】の計画全容に関する簡単な説明を受けて、クリストファ・アレンはいたく、感心したものだった。
「最初は、物理的攻撃も考えたんだがね――どうも、一般人を巻き込み過ぎるんだよな」
 キリオは無精髭を撫でながら、溜息混じりに答えた。
「ああ、それは僕も反対だ。根本的解決にもならないしね――だが、これは素晴らしい計画だ」
 クリスは腕を組んで、大きく頷いた。
「――人的被害が『ゼロ』と言うのが素晴らしい。その実、その影響は長期に渡ること、計り知れないしね」
「しかし、そう簡単に事は運ぶのですか?」
 敢えて、慎重論を展開したのはソフィ・ムラサメだった。
「【ラリー】の機密は事実上、軍事機密と同じレベルなのでは?」
 自分の最後の疑問を代弁してくれたソフィの判断力に軽い満足感を覚えながら、クリスはキリオに目を向けた。
「事実上の試験戦艦【アルティマ】――正に、そこに付け入る隙があったのさ」
 手元のキーを叩きながら、キリオは説明を続けた。
「本艦の各種データは、今、この段階も本社のマザー・コンピュータ【エイジス】に連綿と送られ続けている。対消滅機関の機動効率云々諸々が」
 キリオは、その顔を上げた。
「事実上、直結しているに等しい状態なんだ。そして、その防壁――は極めて、いい加減。よって――」
 クリストファとソフィは次の言葉を待った。専門家の言葉に、口を挟むような無粋な真似はしない。欲しいのは、結論だった。
「ハッキングは容易だ。【エイジス】の防壁はこの【アルティマ】に限っては、裸同然に近い」
 力強く語るヒムラ・キリオに対し、クリスとソフィは深く頷いた。
「お任せをする。何か、手伝えることがあれば言ってくれ」
「ああ、二人に休んでいて貰おうなんて元より、考えてはいない。すまないが、ブリッジに詰めてもらうことになる。変な言い方になるが、役者を演じて貰う必要があると思うんだ」
 人の悪い笑み――本人としては満面の笑みのつもりだが――を浮かべながら、キリオが言った。
「心得た」


 かくして、反乱の狼煙は、まずは月面にて、上がることとなった。

 ――目的、それは、アルティマを筆頭とする、【ニュー・ゼネレーション級】に関するデータの全消去。

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 団子をしっかりと三本、胃に収め、クリストファ・アレンは軍服の襟を正した。

 恐らく、最後の着用となるであろう、太陽系惑星連合軍の軍服の襟を。

「あまり、時間に余裕があるとも思えないが、今回の件が済んだら、じっくりと話し合いたいね」
 クリスのその言葉に、ヒムラを始め、その場の全員が無言で頷いた。その口に団子が含まれていたためである……。
 冬眠に備えるシマリスを彷彿とさせるシャルロッテ・グルーミングから、『自称紳士』のクリストファ・アレン大佐は咄嗟に目を反らした。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第七章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2746年01月01日

第I光:『覚醒』 第七章 孤児達の叛乱 - II


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『まず最初に【フォーチュン】――いや、【アルティマ】の能力の全てを知った時、自分の中に天啓が閃いたと言って良いだろう。無補給での長期間航行と、消耗火器に依らない武装。そして、リーヌの早期離脱入を可能とするその機関。僕はこの船だったら何かが出来る、と確信した。んまあ、でもヨモヤここまでのことがやれるとは思わなかったけどねぇ』
 そう言ってクリストファ・アレンは笑って見せた。ああ、この男は乗るべくして、この船に乗ったのだ、と、当時の私は感じたものだった。『運命』と言う適当な言葉を信じ込むほどウブでは無い自分だったが、この時は何の違和感もなく、その感じ方を受け入れることが出来たのは今でも不思議に思えてならない。彼の放つ言葉にはそう言う力があったのかもしれない、とすら。まあ、それはこの時に限ったことではなかったのだけれど。
『――なあんてこと言っていると、RLが拗ねるかもしれないな』
 最後のこの付け加えは、実に彼らしいウィットに富んだものではあっただろう。そして彼はビールを実に美味しそうに呑み干すのだった。余談ながら、彼ほど幸せそうにビールを呑む男を私は後にも先にも見たことがない。本当にどうでもいい話だけれど。

                  ヒムラ・キリオ著:『ミネルヴァ創世記』より抜粋
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「副司令官閣下、【アルティマ】艦長、クリストファ・アレン大佐より通信が入っております」
 月面はアルテミス・ベース、司令室において女性の専属オペレーターが紙を片手に、司令官席に構えるウィリアム・ステッグマイヤー中将の元に報告に上がってきた。
「ようやくか――回線を開け」
 ディスプレイが自動的に立ち上がるのを確認し、ステッグマイヤー中将が居住まいを正すと、かつては彼の部下だった若い左官の上半身が現れた。当然、その若者はアルティマの艦長として着任したばかりのクリストファ・アレン大佐である。
『――お久しぶりです、中将閣下』
「元気そうで何よりだ。少……いや、大佐」
 互いに儀礼以上のものではない敬礼を交わすと、すぐにクリスは本題に入った。
『本艦は予定通り、二時間三十二分後にアルテミス・ベースへと到着します。入渠(にゅうきょ)にあたっての指示はステッグマイヤー中将に仰ぐように、と承っております』
「うむ。後程、入港手順を送信しよう。こちらの準備も極めて良好である。貴艦の無事なる到着を願う」
『こちらも極めて順調であります……それでは、また』
 完璧な敬礼の残像を残しながら、副司令の前の映像は消滅した。アルティマからの連絡が想定よりも若干、遅れていたため、その内心に相当量の不安感を中将は抱えていたが、どうやら杞憂に終わったらしい。
「ふむ――順調だな」
 全ては順調に進行している。寧ろ、順調であり過ぎることに得体の知れない不安感を副司令は漠然と感じてしまっている。
「何もかもうまく行っていますな」
 副官のパウエル中佐はそんな上官の杞憂を共有していたのか、そんなことを口にしてきた。
「――問題がない、と言うのは逆に落ち着かんが」
 自分の胸中を思わず、ステッグマイヤー中将は吐露してしまった。パウエル中佐は追従の要素を軽く含めながら笑い声を立てたが、彼の目にはその副司令の慎重な発言はいかにも弱腰に映ってならない。若いながらも、太陽系惑星連合軍双鷲戦士勲章を授与されること3回、史上最年少の大佐、【白の戦慄】ことクリストファ・アレンが繰艦を行っていて、間違いの一つだって有り得ないはずではないか――と。

 無論、二人はその閉じた回線の向こうでクリストファが『作戦』のスタートを指示していたことなど、知らなかった。

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「さあ、ショー・タイムだ!」
 ヒムラ・キリオは第一電算室で、大きく手を叩いた。艦内から選抜された二十名余が、一斉に動き出す。
「繰り返すが、【ニュー・ゼネレーション】以外のデータには、目もくれるなよ!」
 ラリー・インダストリー月面本社のマザー・コンピュータ【エイジス】への侵入自体は、【八百万(ヤオヨロズ)】、つまりアルティマのメイン・コンピュータが行う手筈となっていた。その点の制御、命令は第二電算室にてマエダ・イチローとリンダ・フュッセルの二人が中核となって行う。実際の作業に従事するのは、第一電算室となる。

 大雑把な作業を第二電算室が、細かな作業を第一電算室が行う――そんな簡単な説明を、クリスとソフィは事前に受けていた。

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「リンダ・フュッセルより報告。【エイジス】にアクセス開始、とのこと」
 ソフィ・ムラサメが、すっかり人気(ひとけ)の無くなった艦橋で、アレン艦長に報告を行った。現在、アルティマの艦橋には、必要最小限の人員のみが配置されている。メイン・オペレータのシャルロッテ・グルーミング等はその本来の専門が手伝って、第二電算室へ詰めており、『訓練中』であった予備要員も、そのほとんどが本来の持ち場へと戻っているのが現状であった。その数、なんと艦長、副長を含め、たったの五人。言うまでもなく、たったの五人で繰艦可能な航宙船舶など、アルティマ以外には存在しない。もっとも、この人数で戦闘を行うのは少々、荷が勝つだろうが。
「彼等を信用しよう――」
 こと、コンピュータ関係にあっては、自分達に手伝えることは皆無に等しい。実際に、クリスとソフィに出来ることと言えば、彼等を全面的に信用することのみである。
「副長、映像の録画と、ログ(データ記録)の保存には手落ちがないように。後々、必要になるだろうからね」
 クリスは再度、その点を強調した。
「はい。三系統でデータを収集しております。問題は、ありません」
 美しい副長に一つ頷いておいて、クリスは自端末に外部の状況を表示させた。電波状態は極めて良好で、全く問題は無い。自分の仕事が始まるのは、これからおよそ、三十分後と言うところか。それだけ経過すれば、さすがに何らかの動きが出てくるはずだ。
「万事完璧に進行中……か」
 独り言に近い呟きを零しながら端末に向けていた目を正面に戻すと、ちょうど操舵士のキム・レクソールの後頭部が目に入った。静かな所作で艦長席を立って、クリスはキムの元へと歩み寄った。先程から、彼の落ち着かない様子がずっと気に掛かっていたのである。
「――緊張することはない。いざとなったら、僕がフォローするから大丈夫だ」
 声を掛けながら、キムの肩に手を置いた。
「え――ええ。ただ、僕、本番に弱いんですよね――昔から」
 キムはそう呟いた後、慌ててオペレータ席へ視線を泳がせた。
「シャリーは電算室だってば」
 今や、メイン・オペレータとなっているナナ・マネーシーが苦笑いを浮かべた。
「なんだ、弱みでも握られると思ったのか?」
 自分も等しく笑い声を立てながら、クリスはキムの堅く凝り固まった両肩をマッサージした。
「もっと、肩の力を抜けってば。そんなんじゃ、【アルティマ】に愛想を尽かされてしまうぞ」
 最後にキムの背中を強く叩いて、クリスは片手を挙げながら自分の指定席へと戻っていく。まさか、自分の緊張を緩和するためだけに、足を向けてくれたのだろうか。いずれにしても、その精神だけでなく、肉体にも影響を及ぼしていた緊張感が解消されたことを自覚できたキム・レクソールは、そんな艦長に心から感謝した。
「よし――やってやる!」

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「防壁が事実上のゼロか――信用されているみたいだねえ、アンタ達――」
 キーボードを忙しく叩きながら、リンダがこぼす。
「まあ、『飼い犬』に手を噛まれるとは思っていなかったんじゃないか?」
 自画面に表示された、複雑怪奇に絡み合う【エイジス】の階層構造に軽い苛立ちを覚えながら、イチローが答えた。
「それは言えるだろうね――」
 リンダが答えながら、素早い動作で別の端末に向き直った。いずれも高性能を誇る端末ではあったが、膨大な作業を重ねて行っている内に、どうしても処理速度が追い付かなくなってくるため、使い回しをする必要があったのである。時間は、とにかく貴重だった。本来であれば、私語の介在すら有り得ない重作業ではあったが、プロフェッショナルの身にとっては、口を動かすことと端末の操作を平行して行うことなど、造作もないことだった。
「なぁ、ラリーがクラックを受けていることに気付くのはいつ頃になると思う?」
 恐るべき効率の良さでデータ処理を継続しながらイチローが尋ねる。その間も、その手の動きに淀みは全く、伺えない。
「……どうだろうねぇ……防壁の欠片もありゃしないし、ダミーは別で走らせてるし――上手く行くとかなり時間が稼げるかもしれないけどね――うわあ、なんて適当なガードだよ」
 独り言を混ぜつつ、リンダは端末を叩き続けた。
『やっぱ、この人達――スゴイ』
 実はこの第二電算室には、マエダ・イチローとリンダ・フュッセル以外に数人が詰めている。シャルロッテ・グルーミングもその一人だったが、とても会話に参加を果たすことは出来ない。先輩技師達の技量の高さを再認識しながら、ともかくシャリーは与えられた作業に集中した。

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「――あれ……? ……?」
「どした?」
 第78情報管理室、と名付けられた室内にて、一人の当直係員がささやかな異変を察知した。【エイジス】の一部に、アクセスが集中していたのである。
「いや、激しいアクセスが内部からあるみたいだ――」
 相棒に答えながら、どの部署からのアクセスなのかを調査するため、命令を走らせる。
「――内部だったら問題ないじゃん」
 雑誌を片手に、半ば眠り込んでいたそんな相棒が、間接的に抗議を行った。曰く、そんなことで騒ぎ立てるな、と。
「まあ、念のためさ」
 答えてより数秒、ここ半日のアクセス元の表が弾き出された。
「――なんだ、【アルティマ】か」
「だろ? 問題ない問題ない。アクセスが集中するのは当たり前じゃねえか」
「まあ、一応書式に残しておいた方が良いかな?」
 相棒は、雑誌を顔の上にかぶせながら、答えた。
「仕事増やさなくてもいいじゃねえか。給料は変わらないんだから、楽にしようぜ、楽に」
「そりゃゴモットモ」
 弾き出されたばかりのグラフを反映したウィンドウをその係員が消去した、ちょうどその時、管理室の扉が景気良く開いた。
「――よ、おまたせ。何を陰気に話し込んでいるんだ? 今夜は海老グラタンだぜ」
 大きな手提げ袋を下げ持ちながら、夜食の調達に赴いていた二人の同僚が戻って来た。
「いや、なんでもない――ああ、腹減った」
 
 様々な状況、偶然が絡み合った結果――【ラリー・インダストリー】に危機が迫る。

    ・
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『第一段階終了。無駄データの準備も万全。行けますよ、主任!』
 通信越しに、イチローの浮き立つ声がキリオの耳に飛び込んできた。
「オッケ。よーし、片っ端からデリートするぞ。『ベータ』や『デルタ』の奴等には申し訳ないが遠慮無く侵入しろ! 後々面倒な事になるからな! いいな!」
「「おうっ!!」」
 と、鬨(とき)の声が第一電算室を多いに満たした。

 そして、【ラリー・インダストリー】からすれば、誠に慙愧に耐えない悪夢の十分間が、始まったのである。


   ◆ ◆ ◆


 【ラリー・インダストリー】会長、つまり、この超大企業のトップに君臨する男、エステルファ・エイム。そのエイムが、『不明瞭な事態が現在、発生中』という、何とも抽象的な報告を受けたのは西暦2809年9月9日、標準時の午前3時43分だった。
「もっと具体的な報告をせんか!!」
 と、彼は貴重な安眠を妨害してくれた部下に一声、怒鳴った。そして正確に十分後、不機嫌極まりない彼の元に『より具体的な報告』がもたらされることになる。これは、ジュリアス・オークランド社長自らの報告であった。
『――マザー・コンピュータ【エイジス】が現在、深刻なクラッキングを受けています』
 という報告だった。エイムはやや肥満気味の体を揺すり、不本意極まりながらも寝室を後にした。この上なく不機嫌ではあったものの、この時点においての彼はそれでも全く、焦ってはいなかった。
 『自称ハッカー』が侵入を試みてくるのは日常茶飯事というほどではなかったが、かと言えば、それ程珍しいことでも――まして、会長たる自分が安眠を妨害されなければならないほどのことでは、断じて、無い。【ラリー】の堅牢なセキュリティを突破したい、と言うネガティブな情熱に身を焦がすハッカー、クラッカー達が、かなりの数に上るのは有名な話だ。
『ハッカーごときに、何を恐れるものか――』
 彼のそんな不動の自信は、その堅牢に堅牢を重ねた、と評しても過剰表現には決して成りえない、7982層にも及ぶ、【エイジス】の防壁に寄せる、絶大な安心感に直結したものだった。事実、この壁を全て突破することに成功したハッカーは存在していない。完全無敵の鉄壁を誇る【エイジス】。そのネーミングは当然、古代ギリシャ神話において完全無欠の盾として知られた、名高い【エイジス】から取られたものだ。

   ・
   ・
   ・

「お互いにヤレヤレだな、社長?」
 専用のリムジンで乗り付け、社長室にエステルファ・エイムが荒々しく足を踏み込んだ。既に、第一報より二十分が経過している。
「……で、今度のハッカーは幾つ防壁を食い破る事に成功したのだ? 百か? 或いは二百か?」
 備え付けのソファに体を沈め、秘書に差し出された薄めのコーヒーを手にしながら、悠々とエイムは社長に尋ねたものだった。オークランド社長は報告を行わなければならない、自分自身の立場を心から呪いつつ、乾き切った唇を何とか引き剥がした。
「――全ての防壁を突破されています」
「ほう、やるじゃないか」
 と、エイムは頷いた。自分好みに淹れられたコーヒーが、なんと香しいことか。だが、その数秒後にエイムはソファから立ち上がった。いや、跳ね上がった。
「――なんだとッ!?」
 掴みかからんばかりの勢いで、エイム会長はオークランド社長に詰め寄った。
「……今現在我が社は【エイジス】に深刻なクラッキングを受けている、ということです」
 オークランドは、苦々しい表情で先の報告と全く同じ言葉――と言うより、社長本人も現状を認識しきれていない――を会長に示した。
「――そんな……まさか……」
 力無く再び自分のソファに沈み込むエイム。
「信じられん……どのようなハッカーでも我が社の防壁を全て突破する事など出来なかった筈だ――」
 一気に老け込んだ様に見える会長を痛々しく思いながら、オークランドがデスク上のコーヒーカップを持ち上げたその時、入室してきた第二秘書が一枚の紙を彼に無言で差し出した。引ったくるように取り上げ、内容を確認する。

 ――どうやら、唇を湿らせる余裕は、当分、期待できなくなった。

 ジュリアス・オークランドは静かに深呼吸を行った。
「――会長閣下」
 エステルファ・エイムが生気に欠ける眼差しを社長に向ける。普段、豪放で知られる会長と同一人物とは、とても思えない。
「更に不本意な報告をさせて頂く必要があります。今、この時点で判明していることですが――」
 エイム会長は、無言のままだった。
「最重要機密の内の一つ――【ヘヴンズ・ソード(天國の剣)】の全データが、完全に破壊されました」
 彼等、ラリー・インダストリーが永い年月とそれに比例する莫大な予算を投入し、ようやく実用化に至った、新造艦の目玉の一つである、【荷電重力波砲】。【ヘヴンズ・ソード】とはそのコードネームであり、現今の火器とは比較にならない破壊力を――
「ななななななななななななななな――ナニを言うんだ、君はッ!?」
 エステルファ・エイムの大絶叫が、社長室を揺らした。
「ナニを――!」
 両の肩を大きく上下させながら、それでも懸命に自分自身を取り戻そうと試みる。だが、深呼吸には失敗し、逆にむせ返ることとなってしまった。震える手で卓上の水差しを取り上げ、自らグラスに中身を注ぐ。加減が効かず、溢れた水が机上の書類に染みていった。
「――完全破壊と言ったか!? それは一切のコピーも、と言う意味なのかッ!?」
 ジュリアス・オークランドは、一つだけ間を置いて、肯った。
「申し上げたように――完全破壊です。『正』・『副』・『予備』・『非常』――その全てが」

 【ラリー・インダストリー】に関する全ての情報を統括する、マザー・コンピュータ【エイジス】。情報の一極集中を危惧する声はその内部においても少なからず存在はしていたのだが、ラリー全ての支社、営業所においても必要情報の即時入手を保障すると言うシステム上のメリットが計り知れなかったこと、そして、危惧の声が霞むほどの万全なセキュリティ・システムの存在――この両要素が巧みに混じり合った結果、ラリーにおける、数十年にも渡る【エイジス】の君臨は支えられてきたのである。

 だが、そんな【エイジス】の堅牢さは、過去形によって語られる時が来た。

 【エイジス】は、確かに外部からのアクセスに対しては鉄壁を誇っていたと言っても良い。だが、一度(ひとたび)その中枢部へと潜り込まれた時、そんな鉄壁は一瞬にして、無用の長物と堕してしまったのである。有事の際に備え、全データのバックアップ(予備保存)はリアルタイムで行われてはいたのだが。
「全て、乗っ取られているのが現状です――現在、【エイジス】を介しない端末により、調査を続行させてはおりますが」
 オークランド社長は敢えて感情を欠落させた声を出した。自分自身を見失い掛けている会長に対し、婉曲的に冷静さを要求しているのである。そんなオークランドの手元のメモには、今回の侵入者の巧妙な手口が簡単に列挙されていた。狡猾な侵入者は、まず最初に【エイジス・正】から伸びる、三つのサブ・マザー・コンピュータとも言うべきユニットへのラインの確保を試み、それに成功した。
 既に、この時点で『正』・『副』・『予備』の全データが、平行して失われる条件が整えられたことになる。
 そして、最後の保険とも言うべき、四番目のユニット、【エイジス・非常】は、最悪の事態を想定し、半日に一度のみのバック・アップスケジュールが設定されており、その限定された時間以外は、物理的に回線が切断されている。

 ところがしかし、侵入者達はなんと、その時間を見計らったかのように、ハッキングを敢行してきているのだ。物理的なケーブル切断と言う手段もあったが、半ば形骸化していたその手段を咄嗟に脳裏から引き出せる者が情報保安室におらず、尚かつようやく、別端末から引き出されたその手段を実行に移すには『社長承認』が必要だったと言うこともあり、貴重な時間をむざむざと浪費することになり――結果的に、侵入者に充分な時間を与えたこととなってしまった。
「どこのどいつがそんな真似を出来るのだ――?」
 多少、落ち着きを取り戻してきたエイムは、それでも卓を掌で叩きながら言った。
「私の元にもこれ以上の確定情報がありません――情報部の責任者には細大漏らさずの報告を挙げるようにと、言明はしております――今しばらく、お待ち下さい」

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 コーヒーが苦い飲み物であることをこの上なく、改めて知らされながら会長と社長の二人が無言で待つこと、数分。秘書の案内を半ば振り切る形で、一人の女性社員が社長室に飛び込んできた。オークランドの記憶に依れば、彼女は情報システム部の副部長だったはずだ。
「――失礼します!」
 肩で息をしているのを隠そうともせず、副部長は抱えていたフォルダから書類を取り出した。
「簡潔に述べろ。どこのどいつが、こんな真似をしでかしたのだ?」
 社長の言葉を待たず、エイム会長が直接、言葉を放った。彼女は狼狽の色を少なくとも表面上は隠しながら、社長室備え付けのディスプレイを起動した。
「まず、結論から報告させていただきます。どこの誰にもその様な真似は出来ません。我が社の全ての防壁を今回のように、極短時間で突破するのは、どんなに優秀なハッカーでも『物理的に』不可能なのです。言うまでもなく、これまで連綿と続けられてきた改良、修整により、セキュリティ・ホールは文字通り、針の穴一つ確認されておりません」
 迫り上がったディスプレイをレーザー・ポインタで示しながら、副部長が報告を続ける。会長と社長は、頷きを加えただけで声は発しない。
「侵入を果たすことの出来る手段――私は逆に、それを調べさせました」
 エイムは額の汗を拭った。
「……検索の結果、二つのアンサーが出ました。一つは太陽系惑星連合軍諜報部からの侵入」
 彼女は言葉を句切った。息を一つ呑んでから、言葉を続ける。
「そして残る一つは……我が社謹製、【アルティマ】のマザーからの侵入です」
「下らん!!」
 エイムは一言で部下の報告を一刀の元に両断した。
「莫迦か、貴様!! 何を言うかと思えば軍と『我が』アルティマだと!?」
 会長のそんな罵詈雑言に気分を害しつつも、彼女は更に言葉を加える。
「――あくまでも可能性に過ぎないことも事実ですが、理論上、この二つ以外の組織、個人が我が社にクラッキングを仕掛けることは不可能――」
「ふん、大方、貴様の使用したコンピュータもなんらかのクラッキングでも被ったのだろうが!」
 副部長の報告を遮断して、エステルファ・エイム会長が卓上のコーヒーカップを思い切り、右手で払った。僅かに残っていた中身を撒き散らしながら、カップが壁に叩き付けられ、盛大な音を立てながら砕け散った。
「うっ――」
 粉々になったカップと、呆然と直立を維持する副部長を同時に目の当たりにして、自分の行動が常軌を逸していたことを自覚できる理性だけは辛うじて、残っていた。
「――まぁ、いい! 早急に、新たな方策を探るように!! これ以上の侵入はどのような損害を以ってしても、阻止しろ!! A級機密の保護を最優先だ!!」
 情報システム部副部長、ナターシャ・エンボロウは誠意を全く伴わない一礼を行って、社長室を退室していった。『辞職願』の文案を、その脳内で推敲し掛けながら。

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 そんな副部長が去った後、軽い心臓の発作を訴えた会長が自ら医務室に向かう背中を見送って、ジュリアス・オークランド社長は力無く自分の椅子に腰を降ろした。自分と会長の責任は免れないだろう。場合によっては、それ以下の処分を内外に示す必要が発生するかもしれない。
 今回の損害は、ラリー一企業には到底、収まらない。事実が明るみに出れば、現軍部から一体どの様なペナルティが課せられることだろうか。ヘイスティング元帥が【ハリマ・ガーランド】と水面下で接触を密にしている、と言う報告も受けている。
「最悪の事態を考えておくべきかな」
 ――会長に比べ、辛うじて理性を保てている自分の口から、そんな言葉が零れた。既に会長と、そして社長である自分の肩書きに、「前」を加えているオークランドだった。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第七章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする