2733年01月01日

第I光:『覚醒』 第九章 Fortune favors the Braves - I


「ちっくしょ〜」
「完璧超人か――あのヒトは……」
 食堂『朔風館』において簡単な手伝いを行った後、艦長室へ向かう途中のソフィ・ムラサメは汗まみれの二人組に出会った。何かしらのスポーツを行った後なのか、ユニフォーム着用で通路にだらしなく座り込んだまま、ドリンクを傾けている。
「あ――ソフィさん、チワス」
 その片割れの一人が流れ出る汗を拭いながら手を挙げてきた。
「こんにちは――どうしたのですか?」
 汗でモウモウの二人だが、そんな人間に対してソフィは汚らしい、と言う感覚は全く覚えない。軍艦と言う特殊な空間での勤務が長かったこともあり、無頓着と言えば無頓着になっている。
「いやあ――艦長がね、フットサルに飛び入りしてきたんですが――」
 ジャスティン・シューマッハが額から玉のような汗を落としながら口を開く。
「ふっとさる?」
「ミニ・サッカーみたいなものです。エスペラント語だっけな……」
 専門用語の説明に当たったのはスズキ・ローラン。彼は多少、ジャスティンよりは元気が残っていそうだ。
「まあ――それに艦長が――?」
 食堂備え付けの冷蔵庫から良く冷えた『おしぼり』を取り出して、ソフィはそんな二人に手渡した。
「ありがとうっす――ふー、生き返るな」
 ジャスティンが嬉しそうにその顔中を拭った。火照った顔に冷えたおしぼりが大変に心地よい。
「――いやあ、あの人――艦長はバケモンっすわ」
 スズキが呆れた様子で述べる。
「バケモノ――?」
 ソフィは顎に手を宛てた。自分の上官がバケモノじみている(褒め言葉)のは充分に認識しているが。
「それがね、聞いてくださいよ――」

    ・
    ・
    ・

「おいおいおいおい、なんだよ、一人足りねぇじゃねえか」
 ジャスティンが完成したばかりのグラウンドを忌々しげに踏み付けた。
「ユミエ、なんでも激しいゲリピー状態らしいからしょうがないじゃん」
 ボールを指先で器用に回しながら、ドロシー・ウィンストンが言う。
「――ドロシーちゃん、ナニもそこまで言わなくっても――」
 ニノマエ・ミコトがドロシーの『包み隠さなさ過ぎる』発言をそれとなく窘めた。全く、男性陣がほとんどだってのに――。
「ゲイリーさんじゃしょうがないけどさ――誰か、暇なヤツいねえかな」
 一際大きな体を誇る、ハタナカ・ダイサクがその巨体を揺らすように溜息を吐いた。
「呼び掛けてみっか――」
 ジャスティンは一つ決断し、その携帯端末を取り出した。さすがに艦内全域に呼び掛けるわけにもいかないので、レクリエーション・ルームと『朔風館』に限定して発信を行った。
「こちら、特設グラウンドでーす。人が一人だけ足りなくて困ってマース。誰でも良いんで参加してくだサーイ。ちなみにフットサルだよーん。未経験者優遇、決して怪しくありません。お触りはありまセーン。怖いのは最初だけデ――がぼっ」
 脱線したジャスティンの呼び掛けは、その後方からのドロシー嬢による『真空飛びヒザ蹴り』によって寸断された。

   ・
   ・
   ・

「――あんな放送で誰か、来るかな――」
 グラウンドに頭から突っ込んだままのジャスティンを見向きもせず、ミコトが呆れ声を立てる。全く、なんでウチの野郎共と来たら取り敢えずはボケないと気が済まないんだろうか。

 そんなこんなでも、きっかり一分後。

「放送聞いて、来たんだけど――もう誰か来ちゃった?」
 握り飯をモグモグと咀嚼しながら、クリストファ・アレンが現れた。


「いやあ、しかし見事なグラウンドになったね――」
 人から借りたユニフォーム、そしてスパイクを完全装備したクリスが、その顔中を何故か泥だらけにしているジャスティンの肩に手を置いた。
「ええ、お陰様で――」
「ところで艦長、サッカーをおやりになったことは?」
 ドロシーがそのボールを手渡しながら尋ねる。
「――全く、無し!!」
 力強く応えるクリストファ・アレンであった。取り敢えずはフル装備なその姿にソコハカとなく威厳があるだけに、なんとも微妙な説得力があるような無いような。無いけど。
「ルールはちょっとだけ知っている。手を使ってはいけない、そして相手のゴールにボールが入れば、スコアになる……ってとこだよね?」
「あー、まー、確かにソウナンデスガ」
 未経験者歓迎ではあったが、まさかここまでの未経験者が来るとは想定外だった。ドロシーはその先行きに不安なものを感じざるを得ない。
「ちょっとだけ、基本練習をしてみましょうか――?」
 ミコトが少しだけ気を遣いながら言ってくる。
「いや、みんな待ってたんでしょ? いきなり実戦で良いよ」
 その場で屈伸を行いながら、平然と答えるクリス。
「マジ????」
 全員が、のびのびと屈伸運動を行っているクリスに視線を注いだ。
「マジマジ。なんとかなるよ。あまりにも邪魔だったら抜けるからさ」

   ・
   ・
   ・

「じゃ、じゃあ取り敢えず、艦長は思うがままに自由にプレイしてください――」
 クリスは結局、ドロシーが率いるチーム『レッド・ドラゴン』に加えられた。
「オッケー。ところで、もっかい聞くけど、とにかく『どんな手段だろうが』相手のゴールを破れば良いんだよなっ?」
 自分の肩をマッサージしながら尋ねてくるクリス。
「ええ、それだけを考えてくださって結構ですよ」
「よっしゃ!!」
 自分の後ろに控える味方に親指を立てる、そんな動作が様になっている。その動作にキーパーのダイサクが大きく手を振り返す。
「ほんじゃ、始めましょうか」
 苦笑いを浮かべたままの相手チーム『サンダー・ドラゴン』のリーダー、ジャスティンが最初にボールを転がした。
「行くぜっ!」
 パスを受けたスズキ・ローランが危なげのないドリブルで上がってくる。ちょうど、クリスの真正面だ。
『取り敢えず、ボールを取らないと話にならんな』
 クリスは、その脳内で過去に数回、観戦した記憶があるサッカーと言うスポーツを思い描く。
「ふははははー艦長だからって遠慮しませんよー」
 ローランがスピードの乗ったドリブルで上がってくる。へえ、ボールを維持したままで器用なもんだなあ、クリスは感心した。
「いただくっ!」
 クリスは全速力で駆け出した。土のグラウンドをスパイクが蹴る感覚が気持ち良い。ローランは右に、左にその体を振りながら上がってくる。初心者――と言うより、未経験者を抜くことなんて、造作のないこと。

 ひょい。

 「え」

 気が付いたら、自分の足元からボールが消えている。

「えっ――」

 敵も味方も、クリストファを除く全員が自失した。

「よいしょっ――」
 一人、平静を保っているクリスはその足を大きく振り上げた。やはり、頭の中には過去に観戦したサッカー選手の動作を思い描いている。ボールの下面を蹴ると、上に上がりすぎるだろうから――蹴る瞬間のインパクトが肝心――上手く、ボールにエネルギーを与えることが出来れば理想的――。

 って言うかぁ、まだセンターラインなんですけど、艦長ぉぉぉぉ――

 左脚を思い切り振り上げた状態の艦長に対し、ドロシーが口に仕掛かった。

「フンガー!!!!」
 
 インパクト。

 命を吹き込まれたボールが、弾丸のように飛び出した。

「え」

 キーパーのリョウ・ターミナが自分を取り戻せた時――既に遅し。

「あれ、はれ、ほろ、ひれ――」

 反射的に右手は伸びたモノの、その指先を呆気なく、ボールが通過していく。

 ズシャア(擬音)。

 クリスのシュートはモノの見事に、相手ゴールへと突き刺さったのである。

「やったね!」
 一人、ガッツポーズを取るクリストファ・アレン。だが、誰も動いてもくれない。
「あの――もしかして、なんかルール違反、しちゃった――??」
 もしかして、大変に気まずい行動を取ってしまったか――反省を仕掛けたクリスだったが、スリーテンポほど遅れてキャプテン・ドロシーが、その背中に飛び付いてきた。
「すっごいですようっ! 本当に初めてなんですかあ!?」
 彼女に続いて、他の面々も一斉に集まってくる。
「すげえ! なんて掘り出し物だ――!!」
 ハタナカ・ダイサクが背中を叩いたが、これは強すぎた。
「ず、ずるいぞ、そんな助っ人!!」
「卑怯者〜」
 敵味方の賛辞とヤジが乱れ飛ぶ中、クリスは背中を叩かれ続けた。
「好きよキャプテン!!」
「好きよ好きよキャプテン!!」

    ・
    ・
    ・

「そんなこんなで、終わってみればボロボロ負けですよう――」
 ジャスティンが深く溜息を吐く。
「畜生、何か弱点無いのかなあ――」
 ローランが半ば真剣な面持ちで呟いた。
「弱点――?」
 冗談で言っているのは分かっているので、ソフィは笑いながら言葉を返す。
「そうっすよう。色男で、酒が強くてスポーツ万能でって……完璧超人ですよう」
 ローランの言葉にジャスティンも深く頷いた。
「言える。そう言えば卓球もバカみたいに強かったしなあ――」
 ジャスティンとローランはほんの数秒、互いの目を見合ってからソフィに対して同時に顔を起こしてきた。
「あの人の弱点、知りませんか?」

「――は、はいいいっ?」
 真剣な眼差しの二人から思わず半歩、後ずさるソフィ・ムラサメだった。

    ・
    ・
    ・

 フットサルを存分に楽しんで艦長室に戻ってきたクリスを待っていたのはマサラ・イボルブだった。
「中に入っていてくれれば良かったのに」
 風呂へ入ってきたばかりのクリスの体からは湯気が立っており、妙に艶っぽい。マサラは幾分、目のやり場に困ってしまった。ちなみに、クリスは艦長室に錠を施すようなことはしていない。付け加えれば、私室にも施錠を行っていない艦長であった。
「いえ、ほんの今、来たところですから」
 それは全くの事実だったので、マサラは軽く頷いてみせる。
「ま、入ってくれ」
 クリス自らが操作して、その電子扉を開ける。
「「おかえりなさい」」
 そんな艦長室には先客がいた。ソフィとミランダである。何やら、二人で同じ端末の画面を覗き込んでいたようだ。ノーズ・アートに始まるイラスト等について、ソフィがレクチャーを行っていたのだろう、と言う予想は容易についた。
「おう、ただいま」
 クリスは当たり前のように二人に答えて入室する。マサラは先客がいたことに驚いたが、それでも会釈をしながらクリスに続く。
「候補が出そろいましたので、ご報告に」
 デスクに付いたクリスに、マサラは手持ちのレポート用紙を手渡した。
「候補――ああ、船名か――」
 半ば、ソフィとミランダに伝える意図を持ってクリスが応じる。
「中にはふざけた――って言っちゃいけないかもしれませんが――モノも有りますけど」
 苦笑を綯(な)い交ぜにするマサラ。興味を持ったソフィとミランダが二人の元に歩いてきた。
「――どらどら」
 他の二人にも見える角度に紙を置いて、クリスはざっと見渡してみた。直後に失笑。
「――確かに――面白いのが幾つかあるねえ」
「ええ。元ネタが分からないのとかありますよ――大概、大昔のカルト作品から取られているようですが……」
 改名委員長は自分の額に両手を宛てた。
「これってこの前、ローカルで募集していたやつですか?」
 誰の質問かと思えば、ミランダ・ルヴァトワだった。その話し方、言葉の組み方の向上振りはクリスだけでなく、他の二人も多いに驚かせるものだった。
「ええ――そうよ、ミラン」
 マサラの変わりにソフィが答える。
「――考えていたんだけど応募するの忘れちゃっていたなあ」
 悔しそうに言うミランダ。
「まだ決定しているわけじゃないから、間に合うよ」
 マサラがミランダの肩に手を置きながら言う。
「ほんと――? ええっとねえ……なんだったかなあ……」
 自分のこめかみを押しながらミランダが記憶を取り戻しに掛かる。応募すること以前に、その肝心の名前を失念してしまっているのはなんとも本末転倒ではあるが、誰もそのことに関しては言及しない。
「やはり『自由』を文字ったのが多いね――」
 ふざけた、或いは確信犯的な臭いを持つ候補は取り敢えず無視して、真面目な候補をざっと拾い上げたクリスの言葉である。
「『平和』を臭わせるのもありますねえ――」
 横から覗きながら、ソフィが漏らす。
「一応、軍艦なんだがな」
 クリスは苦笑を禁じ得ない。そんな時、
「あ、思い出したの!」
 得意気に人差し指を立てたミランダが、デスク上のメモ用紙を一つ千切って、何やら殴り書いた。
「はい、これ」
 ミランダの差し出したメモを三人で覗き込む。

「……これで――決定かもなぁ」
 マサラの思わずの呟きに、クリスもソフィも一つずつ、律儀に頷くのであった。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第九章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2732年01月01日

第I光:『覚醒』 第九章 Fortune favors the Braves - II


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 西暦2809年9月22日
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 リーヌに飛び込んでより10日間が経過した。最初の数日間は記録を記してはいたが、その後は多忙を極めたこともあって疎かになってしまっていた。そんなに時間と手間が掛かるわけでもないのだから、これからは欠かさずに付けることにしようと思う。他の誰の為でもなく、自分の為に。もっとも、恐らくは『日誌』と言うよりは『日記』に近いものになるかもしれない。公私共々、と言ったところだろう。

 改めて日誌を付けようと思った、そもそもの切っ掛けはつい先日、自分の携帯端末に珍しくも艦長からコールがあったことに起因する。
 私はたまたま『朔風』でリンダと共に食事を摂っており(ユキノ特製煮込みうどん&かやくご飯……恐ろしく美味だった)、そんな中でのコール受信だったので大変に狼狽した記憶がある。時間が出来たら艦長室の方に出向いて欲しい、と言うのがその内容であった。いつになく真剣に感じられる艦長の声でもあり、速やかに肯定の念を伝えた。
 そんな様子を確認したリンダが『誰からよう』と、やっぱり冷やかしてくれる。私は隠し事が苦手なので、艦長から呼び出しを受けた旨を正直に話した。だけど、彼女は『ふうん』って呟いたきり、それ以上を続けることはしなかったのだ。どこか拍子抜けしながらも胸を撫で下ろしたものだったけれど……今思えば、キリオさんから大なり小なりを聞いてでもいて、全てを知っていたのではないかしら。

 今のシフトの責任者はキリオさんであることもあって、艦長は自分にコールを行ってきたのだろう。私と彼の休憩時間が重なるのは珍しいことではあった。前回において半ば、立ち消えと化してしまった『新艦長』に関する話でもあるのだろう、と言うのが率直なところではあった。

 勿論、話というのはそんなものではなかった。日記に記すべきか否か、非常に悩んだけれど、やはり記させて貰うことにした。

 艦長のお話というのは、彼の身の上についてのことであった。うすうすと感付いてはいたものの、あそこまで酷い話であるとは……こうして思い返しながらタイピングを行っていて、ミスタッチをしがちになってしまっている私の指は、実に正直だ。珍しく、眠る前にお酒を入れているということもあるのかもしれないけれど。

 彼、クリストファ・アレンはいつもの表情、口調で静かに語ってくれたが、その内心の辛苦たるや想像に余りある。彼がこれまで、私を含めた第三者に対し、その過去に関する話をまるで行ってこなかった、そんな理由を痛すぎるほどに知ることができた。一頻りの話を聞いた後、私の中にはそんな彼に対して返すことが出来る語彙の類は全く、存在していなかった。全く、全く。何も、何も。
 同情を行うのは、何よりも彼を強く侮辱する行為に他ならない、それは分かっていた。分かってはいたが、禁じ得なかった。もっとも、自らの過去が空白であると言う状況、それ自体を全く想像することも出来ないのだから、完全な同情を行うことは不可能ではあったはずだ。17才――自分の場合は両親が交通事故で揃って他界してから一年後のことだったはずだ。軍の幼年学校に入ったか、入らなかったか――それぐらいの時期だ。

 ハイティーン以前の自分自身が存在しない、と言う状況なんて想像することも出来やしない。私だったら発狂するかもしれない。本当に。


 続いて、彼の話は流れの中。火星沖会戦へと至ったのだが。

 こちらもまた、一言ではとても言い表せない体験談の数々であった。凄惨、激烈、苛酷――そんな表現のどれもが相応しくない。

 艦長が『58』と言う数字に見せる強い執着と、その特異に過ぎると言っても過言ではない純白のカラーリング、そして何よりも複数のノーズ・アートが刻まれるに至った経緯は涙無しには聞くことが出来なかった。
 『鳳凰是太刀也』を中心とし、『戦乙女ヴァルキリー』、『大剣に乗ったピエロ』、『キジムナー』、『弓で引き絞られた剣』、『薔薇をくわえた兎』。そして、直接コンバットナイフでその装甲に刻まれた言葉の意味。そのいずれの存在は無論知っていたが、含まれていた意味を知るところではなかった。今までは……。

 当の艦長が泣いていないのだから、拝聴しているだけの私が涙を落とすのは失礼な行為であったかも知れないけれど、流れる涙をどうしても止めることが出来なかった。自分はもう少し精神的にタフだと思っていたのだけれど。
 本当は、『もっと早く教えて欲しかった』と言ってしまいたかったのだが、どうしても言葉にする事が出来なかった。
 私だったら、と言う仮定が意味を成さないことは分かっているけど、私でもそうそう人に話すことが出来るような内容ではなかっただろう。

 そんな誰にも話せない孤独感、虚無感を目の前の人がずっとずっと、一人で引きずってきていたと言う事実。それでも彼はエクスィードの艦橋にあっても常に気配りをし、時には明るく振る舞いながら指揮を執ってきたのだ。それは、副長を務めていた私が他の誰よりも知っている。
 クルーの誕生日には下は二等兵から士官まで一切の分け隔てなく、プレゼントを用意し、軍務中であっても時間と状況が許す限り、バースデーパーティーを自ら企画したりもしていた。



 総じては辛く、悲しい話だったけれど。

 私は今日、本当にこの人のことを好きになったのだと思う。

 多分、本当に。




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 西暦2809年9月23日
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 今日も今日とてシミュレーションに明け暮れた。未だ戦闘訓練は行っておらず、シミュレーションの中身は有事の際の危機回避術がその大部分を占めている。そんなドリルはほとんどがアレン艦長のお手製であり、なかなかに厳しい状況が設定されている。言うまでもなく、優れたドリルは生半(なまなか)に作成することなど出来やしない。
 そこで少なからず気になっているのが、彼は他人には充分な休息を摂ることを半ば強制しているのだが、果たして当のご自身はきちんと休みを摂られているのだろうか、と言う点である。艦橋に滞在している時は大抵、自らシミュレーションの指揮を執っているし、艦長室にいる時にはキリオさんを始めとし、技師の人達と『各種新型』の打ち合わせを行い通しだ。
 本来は艦長にとっては専門外であるはずの『分野』であるのにも関わらず、なかなか鋭い指摘を受ける――とキリオさんや他の人達が苦笑いをしているという、そんな一幕を取って見ても艦長が陰でかなりの勉強、下準備を積んでいると言うことの証明に値するだろう。

 そして付け加えれば、艦長室に訪れた時、その席で上半身を机に投げ出して眠ってしまっている場面を私が見たのは一度や二度ではない。人の気配に対して鋭敏な艦長が全く動かない時すらあった。

 数日前に『頭痛がする』と言って医務室に訪れてきた――とリンダが言っていたのは今日の話だ。ところが、軍医がリンダしかいないことを今更ながらに知ったそんな艦長は錠剤のパックだけを手に取って、さり気なく医務室から立ち去ったらしい。リンダは非常に気分を害したと、その腕を大きく忌々しげに振りながら説明してくれた。

 でも、リンダには悪いけど。艦長の気持ちも少しだけ、分かる気がする。

 脱線してしまったけれど、それでも艦長のお体が非常に心配だ。何事もなければ良いのだけれど。


 以下は完全なるプライベート。

 自分の当直時間が終わった後は『朔風館』へと向かい、ユキノさんの料理教室へと飛び入りで参加させて貰った。今日の演目は各種ハンバーグと言う大雑把なもので、私は大根おろしと大葉を添えた和風ハンバーグに挑戦し、手前味噌(なんと的確な表現なのだろう)ながら大変に上手に作ることが出来た。参加者の中にはパイナップルや果物を添えたトロピカル・ハンバーグを作っている人も居たけれど、酢豚にパイナップルが入っていたり、サラダに薄切りリンゴが入っているのも嫌な自分としては、そんなトロピカル〜はおぞましいとしか表現が出来なかったりして。

 ごめんね、シャリー。

 その後は日課のジョギング(マシン使用)とウェイト・トレーニングを行って、大浴場へと足を運び、喫茶室でエリザやベアトリィチェとハーブティーを嗜んでから私室に戻った。

 なんとも、平和な一日でありました。




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 西暦2809年9月24日
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 朝(言うまでもなく艦内時間)を快適に迎え、簡単な身支度を整えてから食堂へと向かった。

 『朔風館』へと向かう途中の通路の遠方から、何の前触れもなくアレン艦長の大声が聞こえてきた。数人のギャラリーが、取り巻いている中での事もあり、どうにも気に掛かった私はその場へと足を向けた。

『オラオラオラ! 普段から体を鍛えていないからヘバるんだ!』

 何故かバーベルを片手に担ぎ上げたままの艦長が、その足元床面で大量の汗を伴って伸び切っている四人に対して檄を飛ばしている。

 ぱっと見たところ、そんな四人はヒロ・タナカ、ヒャック・リー、ミード・コウラ、サヤマ・キーヤの男性衆で占められていた。一体、何をやっていたのだろうか。その時の私にはまるで、見当も付かなかった。

「も――もうしませんもうしませんもうしません」
「かんべんしてくださいかんべんしてくださいさい――おげっ」
 四人が床に伸びたまま、心から悲しい声で艦長に慈悲を乞うていた。

「そっか――まあ、今日のところはコレぐらいで勘弁してやろう」

 そう言いながらも、物足りなげに艦長がバーベルをズシリと床に下ろした。その重さ、10kgsと私の両目は確認することができた。

 そんな被害者(どう見ても艦長が被害者には思えない)達に対して情け容赦が一切も介在しないブーイングとヤジを飛ばしていたギャラリーの一人、ミシェル・ラマディに尋ねてみた。彼等にとって、これは降って湧いた『愉快なイベント』であったようだ。

 なんでも彼等四人は研究開発に関する作業で確信犯的に徹夜を実行し、挙げ句に十時間以上の休息を摂らなかったことをタレ込まれた、との事であった。どうやら、割り当てられた作業を手っ取り早く終わらせ、密かに丸一日の休みをゲットしようとしていたらしい。
 ちなみに、密告者は彼等の主任でもあるヒムラ・キリオさんだったようだ。なんとも、容赦がない事ではある。

 そして。『不言実行』を旨とするアレン艦長が、『有言実行』を躊躇うことがあろうか。否――そんな理由で、彼等四人組は『鬼軍曹』ことアレン艦長による特別訓練を申し渡された、というのが事の顛末であるらしかった。

 仮に事があっても本当に実行するとは、実は私も思っていなかった。恐らく、銃器(実際に床の四名は揃ってG81――恐らく弾倉は空――を持っていた)を抱えた状態での艦内マラソンでも行っていたのだろう。そして、何故かG81よりも遙かに重いであろうバーベルを艦長が担いでいたのは恐らく、彼等だけにそんな試練を強要するのに気が引けてしまった結果なのだろう、と言う想像は簡単に付いた。

 床に伸びて移動力すら喪失してしまっていた彼等からむしり取るようにG81を回収し、バーベルを左肩に担ぎ上げて。
「次は容赦しないからね」
 と正に『鬼軍曹』に相応しい台詞を残して、艦長はズシリズシリとその場から去っていった。

 もはや、誰もツッコミを入れることはなかったが(私も含めて)、10kgsのバーベルと、重マシンガンでもあるG81、それもまとめて四挺となると、一体全体どれだけの重量になるのか。

 それでも汗一つ浮かべない涼しげな顔で通路を歩き進んでいく艦長は、確かに『鬼』に思えた。



 その他は特に変わり映えしない一日であった。

 あ、忘れていた。

 マノアと一緒にライスグラタンに挑戦した日でもあった。

 残り物のライスを活用したものであったが、大変に美味しく仕上がり、周囲からも好評を受けた。勿論、ユキノさんの手助けがあった事は述べるまでもないだろう。

 そんなグラタンを少しだけ抜き取って、『鬼』艦長に差し入れたのはここだけのヒミツだ。




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 西暦2809年9月25日
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 艦長室でアレン艦長、キリオさん、リンダ、そして自分を交えた久し振りの会議が執り行われた。
 キリオさんは大まかに完成した『新型艦』の基礎設計図面と、達成可能なスペック(仕様)を得意気に披露していたが、艦長が期待している要求度の高さには今一歩、及ばなかったらしい。特に艦長は『ディフェンサー級(現)』が展開可能としている重力波障壁の脆弱さにクレームを大いに付けた。
「『イージスの盾』、までは行かなくても今少し頑健でないと話にならないっす」
 頭を抱えたキリオさんだったが、リンダまでもが艦長に等しく同意をしたので、何も口に出来なかったようだ。気の毒だと思うのと同時に、良い意味で仲間に厳しいリンダの行動に感銘を受ける自分でもあった。いや、もしかするとただのサディストなのかもしれないが。なんだか段々そんな気がしてきた……。

 そして、会議が始められてから十分ぐらいだっただろうか。フローラさんが艦長室へとやってきた。これはアレン艦長が呼びだしたものらしく、彼女は『新型艦載機』に関するコンセプトの報告を簡潔に行った後、現アルティマ内でのパイロット候補生の選出と言うとんでもない上申を行ってきた。
「それは実は、僕も考えていた」
 その場で硬直していた私達を余所に、艦長がそんな事を平然と言った。フローラさんがいつもとは異なって、真剣な表情を作っていたのが印象的だったかもしれない。聞けば、アレン艦長はキリオさん達との和解直後よりそのことに思いを至らしていたらしい。
 ただ、何分にも今は時間が無いと言う事もあり、近日中に志願者の募集と適性検査を行うことだけが決定された。なお、ライルとリオンの二人は既に鬼教官(鬼しかいないのかしらね)のフローラさんに鍛えられているそうだ。なかなか見込みがある、とフローラさんは言っていた。ちなみに、私のパイロット適性は下も下だ。射撃、格闘に関してはある程度の自信は持っているけれど、とてもではないが航宙機なんかには乗り込めない。

 ディフェンサー級に関する話を更に進め、その合間に格納ブロックの『人型』にまつわる話や、近日中に発表されるであろう『新船名』に関する雑談等を挟みつつ、半日がアッと言う間に過ぎていった。

 そう言えば、グラウンド脇で野菜(トマト、茄子、その他)を育てていたセクノアと、フットサルの練習を行っていたドロシーが大喧嘩をした、という事を就寝する直前にユミエから聞かされた。なんでも、リフティングの練習をしていたドロシーがその手元(足元?)を滑らして、大きく転がってしまったボールがトマトの苗木に命中を果たしてしまったらしい。まずは一言を謝れば良かったのだろうが、逆にドロシーがトマト苗木及びそれに類するその他諸々の『不要発言』を行ってしまい、マジギレしたセクノア・ロットフィルとの衝突に及んだというのである。ちなみに、両者のそんな喧嘩は、泥団子の投げ付け合いに終始したらしい。
 それはそれは見苦しかった――とユミエは溜息混じりにこぼしたものだった。

 ……多分、彼等は明日、『鬼軍曹』によって厳しいペナルティを課せられることになるだろう。私闘の類、軽重を問わず厳に禁じる、と言うお達しがあったばかりでもある。

 女性に対しても果たして、等しいペナルティを課すのだろうか、艦長は。

 ちょっと気になっている。ちなみに、先日の四人組は全員が全員、激しい筋肉痛を訴え、ボロ雑巾と化して医務室に殺到してきた――そんなことをリンダは言っていた。
『たかだか運動不足の筋肉痛に湿布を貼ってやるのも勿体なかったからよ、ガムテープを貼り付けてやった』
 これは軍医様であるリンダ・フュッセルの言葉だったが。

 なんと言うべきか――。

 ちなみに、ガムテープを貼られた四人は例外なく、『楽になった気がする』と言って医務室を立ち去っていったらしい。

 ――病は気から。

 そう言う意味だったのかと、実例を以て初めて知ることが出来た一日だった。





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 西暦2809年9月26日
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 臨時の射撃訓練を執り行う、と艦長から連絡があったのが正午過ぎだったかな。なんでも数名の人達がその自由時間に訓練を行いたいと艦長に直訴をしたようだ。艦長は休息時間だったはずだが、快く引き受けたみたいだ。他に希望者がいるかどうか艦内に放送を掛けてくれ、とお願いされた。

 結果的に十人規模の参加者に対して前回よりも重めのレクチャーを加えた、と引継の際に聞いた。なかなかみんなが熱心だ、と艦長は満足げな表情を浮かべながら言ったものである。

『人数いかんでは定期的に執り行った方が良いかもしれないな――』
 そう呟く艦長の体からは強く、硝煙の香りが漂ってきた。実は私はそんな臭いが嫌いではない。

 その点に関しては後日の議題とすることにして、私は艦橋を艦長にお譲りした。そんな間際に艦長が本日の首尾について尋ねてきたので、私の元に着いてくれている艦橋要員候補生達は非常に優秀であり、一を投げると十が返ってくる、そんな具合です――とお答えした。それは世辞ではなく、全くの事実である。

『戦闘シミュレーションを来月中旬には開始しようと思っているからそのつもりで』

 予期せぬ答えが返ってきて、大層驚いた。それはまた、御無体な……とも覚えたが、状況が状況であるからしょうがないところではある。時間は有限だし、現在のところ、この艦を操ることができるのは我々をおいて他に無いのだから。

 こんな特殊で、ある意味で『楽しく愉快な』艦内生活に馴れ過ぎていたのかもしれない。改めて、気を張り直す必要があることに気付いた。勿論、艦長がそんなつもりで言ってきたのではないことは分かってる。


 夕食は第一班の夜食を兼ねた親子丼をいただくことになった。実は大浴場で湯船に浸かった状態で不覚にも眠り込んでしまい、夕食の時間を大幅に越えてしまったのである。本来のメニューは人気大爆発のロール・キャベツで、大変に楽しみにしていたのだが。残念無念。
 それでも大変に美味しい親子丼を食べ、マノアが用意してくれたツナサラダをありがたくいただいた。そして部屋に戻る途中に軽喫茶『アップル』に寄り、たまたま居合わせた副店長のシャクティにブランデー入りの紅茶を淹れてもらったりして。
 今日もよく眠れそうだ。

 おやすみなさい。




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 西暦2809年9月27日
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 ミランダにノーズ・アート、そして軍旗について教えて欲しいとお願いされた一日。なんだか、ほんの二週間前の彼女と比べると別人のようになっているのが分かる。当初はこちらの言葉の一割も理解できていない感が否めなかったが、今は全く違う。打てば返り、綿のように吸い込む――そんな具合だ。リンダに尋ねたところ、時期的なものもあるのかもしれない、と言う事だった。件の事故から数年を経て、その精神的外傷もさすがに薄れつつあったところに、環境の大きな変化が相乗したのでは、ということであった。
 ちなみに、今日一番の修羅場はミランダの絵を描きながらの一言だっただろう。

『ソフィってクリスのこと、大大大好きなんでしょう??』

 何とも答えられなくてお茶を濁した自分に後から物凄くイヤになった。

 何気なくミランダに同じ質問を投げてみると、彼女は赤くなって俯いて何も言わなくなってしまった。正直、とても綺麗な顔だったと思う。恋に落ちている者特有の雰囲気、臭い、オーラが強く漂ってくるような。まさか、私も他の人からするとそう見えているのだろうか。見せているつもりは無いのだけど。

 結局その後、お互いに何も無かったようにノーズ・アート、そして女子風呂壁のイラストの話などをして、その後は平穏に過ぎていった。
 二人で肩を並べて朔風へと向かってマノアやリンダ達と合流し、賑やかに食事を摂ったのはもう少し後の話だったか。

 ヒャックの誕生日が近い、と言う事で、何か企画でも立ち上げようか? 等とそんな話をした。ドロシーやベアトリイチェがケーキ作りの名人でもあるという事なので、彼等にも依頼を行ってみようか、と言う流れになった。続いてのミランダの衝撃発言があったのもこの時だった。

「ソフィやリンダはケーキとか、作れないの?」

 ……無論、悪気のない発言ではあるのだろうが、私もリンダもその場で石化したことは言うまでもない。そんな我々を見て、無邪気に笑うメデゥサ、ミランダ・ルヴァトワ。

 なお、私が料理を勉強し始めたのは本当にこの船に乗り込んでからのことだ。ユキノさんのご厚意によるところが大きいかな。でも、まだまだレパートリーなんて無いに等しい。ケーキの制作なんて、今の私の技量では消し炭を大量生産する結果にしかならないであろう。

 ……リンダの場合は……まだ、そこまで聞いてはいないけど、多分料理は全然駄目だと思われる。付け加えれば、やる気も無さそうだ。

 朔風館で冷えたジャスミン・ティーをパックに詰め、私室に戻った。今はそんな香りを楽しみながらこの日記を綴っている。





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 西暦2809年9月28日
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 今日はなんだか疲れた一日だった。そもそもは起床直後、朔風館でベーグルサンドを食べていた私の隣にシャリーが座り込んできたことに起因する。ちなみに私にとっては朝食だったが、彼女にとっては夜食だったらしい。正直、私がハムとチーズを挟まれたベーグルとカフェオレで食事を進行させている隣で七味を盛大に振られた『カレーうどん』を啜られるのは『ぶち壊し爽やか』と言う感もあったが、本人が全く気にしていないようなのでこちらも気にしないことにした。ただ、時折飛んでくるカレーの汁(つゆ)には辟易したが。

 適当な会話を交わしながら(事実、彼女は大変に疲れているようだった)、互いの食事を進行させていたが、そんな彼女は恐るべき早食いで丼を空にした。とてもあんな熱いものをぺろりと平らげることは私には出来ない。見ているだけで舌を火傷しそうだ。

 そして備え付けの給茶器から冷えた麦茶を取り出して腰に手を当てながら(飲み物を飲む時の基本のようだ。これはシャリーに限らない)ガブガブと飲んで、一息をついたシャリーは、カレー汁にまみれた整備服の一切を気に掛けず、言ってきたのだ。

「――艦長って、意中の人とかいるんですかねぇ?」

 鼻からチーズが飛び出るかと思った。昨日の今日で、なんでまた。だが、例え精神状態が荒れ狂う嵐であっても、表面的な平静を装うのは得意とするところだ。どういう意味か、と顔色も変えずにシャリーに尋ねることが出来た。多分。主観でしかないから分からない。

「いえね、あの人――ステキだなあ、ってソフィさんも思いません?」

 そんなシャリーの笑顔もまた、どこか夢見心地に見える。カレーまみれの整備服着用でなければ、絵になったぐらいに。
 相槌を適当に打つと、彼女は、『今日は艦長がああしたこうした』と熱っぽく語ってくれるのであった。私自身はまるで艦長と接する機会が無い状態なので、ちょっとしたジェラシー――と言うほどの大袈裟なものでもないが――の発生を抑えるのには少しばかり労力を必要とした。

 薄々気付いてはいたが、思っていた以上に深刻な事態が発生しているようだ。そもそもが前任艦エクスィードにあっても、下士官の多く(女性に限ったところではなかったところが今、考えると凄いかも)が艦長に心酔していた、と言う事実もある。

「あたしい、行動に出ちゃおうかなあ」

 鼻からハムが飛び出るかと思った。いや、飛び出し掛けたかもしれない。堪えきれずに、彼女の前で思い切り咽せ返るという醜態を演じることになってしまった。シャリーはうっとりと目を潤ませながら、そしてその手に比しては太い指を組みながら口にした。絵に描いたような『コイスルオトメ』であった。

 時間が時間でもあり、そろそろ私室に戻って着替えなくてはならない。適当にお茶を濁して、席を立つ私であった。動揺を禁じ得ず、コレクトシンク(流し回収台)にトレイを丸ごと放り込みそうになったが、乙女の祈りを上げ続けているシャリーには気付かれなかった――と思う。

 そんなこんなで、朝っぱらからとんでもない疲労感を覚えた一日――

 だった、と締め括りたいところだったが、この日は終わってくれなかった。

 通常の訓練、そしてリンダを始めとした各スタッフ達との『新作』に関する打ち合わせ、それ自体は何の変哲もなく、無事に終了した。次シフトの責任者であるキリオさんに後をお任せして、朔風館へ食事に向かった時のことだ。

 何やら、噂の艦長が、艦長室前の第18倉庫の扉に耳を付けてじっとしていた。

 艦長、と呼び掛けてみると、『しっ』とその人差し指を口に当ててこちらの言葉を止めてくる。一体、何事なのだろう。その眼差しは、真剣そのものだ。慎重に、足音を立てないようにその側に行くと、艦長は無言で倉庫の扉をその親指で示した。倉庫内の音を同じように探ることを期待されているようだったので、艦長に倣って自分の右耳を扉に付けた。すると。

『……なかなか上等な仕上がりじゃない――ウフフフ』
『これは売りさばくことができるかもしれんな――ヌフフフ』
『これさえあれば眠気も吹っ飛ぶというモンではあるなあ――グフフ』
『どうする。形にするか? それともアングラで――』

 そんな複数の男女の会話が耳に飛び込んできた。どうせ、碌でもないことをしているのだろう。苦笑し掛けて艦長の方に顔を向けてみたが、そんな艦長の表情は変わることなく、真剣そのものを維持し続けている。眉間に二度、三度と深い皺を刻んでから、小さな声で言ってくる。

「麻薬の精製現場なんじゃない?」

 吹き出しそうになった。いや、私は吹き出したと思う。全く、真剣な表情で何を言ってんだか。なわけないでしょ――そんなことを言ったと思うが、艦長はその表情を全く崩さない。その額に脂汗をビッシリと掻いている。大マジだ。
「踏み込もう」
 どこで用意したのか、パイロット用の手袋を装着しながら、艦長が決意も新たに宣言を行ってくる。私は止める努力を必死で行ったが、小さな声では説得力に欠けること、甚だしかった。結局、私を半ば振り切る形で艦長はその扉に艦長権限による開錠命令を出力した。

「おい!! 君達、何をやっているんだっ!!」


 そんな第18倉庫に篭もっていた『学生』はナナ・マネーシー、カシワバラ・リュウジ、リオン・ウー、アンネローゼ・フォン・シュタイナーの男女合わせた計四名。

 彼等の前で仁王立ちする、『修学旅行の引率教師』であるクリストファ・アレン。

 突然の『鬼』教師の襲来に、四名の『学生』はその場で見事にフリーズした。

「何を――ン??」

 ――言うまでもなく、彼等は何もしてはいなかったのだ。イリーガルなことなんて、何一つ。


 彼等は端末の幾つかを持ち込んで、写真データの整理を行っていただけだったのである。もっとも、そのほとんどがモデルである本人達の承諾を得ていない隠し撮りの写真ではあったから、100%褒められるようなコトでもなかったが。
 そんな写真の内訳は艦長ことクリストファ、フローラさん、ミランダ、そして私の写真もかなりの数が認められた。一体、いつの間に――。そんな『モデル』二人の前で、麻薬精製職人と誤解されていた四人組は、さすがに気まずそうな表情を作っていた。

 艦長はと言うと。咳払いを一つ行って、床に散らばっていた写真を拾い上げて。
「――ふむ。僕は右斜めから撮影して欲しいな、次からは」
 そんなことをボソリと呟いて。

「――ごめんッ!!」
 彼等の前で、土下座したものだった。

 謝られても困る四人組は四人組で、等しく土下座を返す。
「こちらこそスミマセンシタ!!」

 かくして、狭い倉庫内で五人が揃って土下座を行う、と言うシュールな場面を私は見ることが出来た。

 隠し撮り自体は本人のプライバシーが侵害されなければ原則として認める、と言う事で決着した。ただし、過剰な金品と引き替えの取引は厳として禁じる。
 そう締め括る艦長であった。

 艦長が右足と右手を同時に動かしながら立ち去った後、そんな彼の写真の何枚かを分けて貰っちゃったのはやはり秘密。考えたら、あの人の写真を一枚だって、私は持っていなかった。モデル料、ということでナナが快く分けてくれたことは言うまでもない。

 そんな一日だった。

 夕飯は珍しく、パスタをいただいた。カルボナーラ。もはや、その味に関して言及しておく必要はないだろう。
 これからお風呂に入って、コーヒー牛乳を飲んでから寝ることにする。

 そうだ。今は大丈夫なんだけど、その内に下着やシャツの類が不足することになりそうだ。言うまでもなく、着の身着のままに等しい状態で船に乗り込むことになったのだから仕方がないが……。
 ホノルルで買い溜めはしておいたものの、いずれ深刻な事態になるかもしれない。備蓄に関してリンダにでも尋ねることにしておこう。

 おやすみなさい。




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 西暦2809年9月29日
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 今日は投票日である。もっとも選挙が行われるわけではなく、新しい船名を決定するための投票である。唯一、投票権がないのは自主的に船名改訂委員長(とは言っても構成員は彼女一人)となっているマサラ・イボルブだけで、その他のスタッフ達には等しく、一票ずつの投票権が与えられている。マックスこと、マエダ・マコト君も例外ではない。

 そんな艦内から募られた候補は実に10余り。どれもがセンスを感じさせる良いネーミングに思えてならない。少なくとも、軍部に付けられた【アルティマ】よりは遙かに響きが良い。アルティマと言う語感自体は実は私、嫌いではないが、自分達の『家』にはそぐわない響きであることも確かだろう。

 投票自体は本日の24:00までに『オンライン』で執り行われる。ちなみに不参加は一切認められない、と言う艦長の署名が記された『脅し』が前もって発布されていた。不参加者が存在した場合は徹底的な追跡調査を行い、『夜食一週間分の配給資格剥奪』から始まる恐るべき厳罰の数々が課せられることとなるらしい。

 全員が全員、きちんと参加を果たすことを祈っている。食べ物の恨みは怖い。

 なお、今日は明日からのシフト変更もあり、私個人のスケジュールは非常にややこしいこととなってしまっている。よって、眠る前に日記を書いている。

 さてさて、どう言った名前に決まるのかな。楽しみではある。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 【第九章】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする